「図解塾」課外授業。テーマは「関東大震災、あの人は何歳で出あったか」
関東大震災の被害。
- 1923年(90年前)の関東大震災(相模湾)。死者10万人M・7.9:犠牲大。 その後の人生に大きな影響。
- 死者99,331人。負傷者103,724人。行方不明43,476人。家屋全焼128,266戸。家屋流出868戸。家屋消失447,128戸。東京府の死者は68,215人。神奈川県の死者は29.065人。千葉県の死者は1,335人。大雑把にいって、10万人以上の死者、60億円の財産が灰燼に帰した。
- 元陸軍省の被服廠跡を公園にした両国の横綱公園は避難の場所だったため、大地震後数万人が集まった。そこを火炎の大旋風が襲い、大多数の3万8千人が累々と重なり合い、抱き合って黒焦げになった。そのためこの地が慰霊の中心になり、葬儀場となった。
- 関東大震災。6000人の朝鮮人、400人の中国人の虐殺。関東大震災24本が脱線転覆。
- 1923年の関東大震災で横浜は10万戸のうち80%以上が被害。22000人の死。
- 港の復旧に2年。1935年に復興記念横浜大博覧会を開催。
- 1923年に発生した関東大震災後の震災手形をめぐって銀行の取り付け騒ぎが起こり、銀行の休業が続出するなど、金融恐慌が起こる。鈴木商店の不良債権救済の緊急勅令が否決され、若槻内閣は総辞職に追い込まれた。 後を襲った立憲政友会の田中義一内閣はモラトリアム(支払猶予令)等によって金融恐慌を乗り切った。
- 東京国立博物館:コンドルが設計した旧本館は関東大震災で被災。表慶館は関東大震災で被害は受けなかった。
- 湯島聖堂:1923年の関東大震災で焼失。 1935年に鉄筋コンクリートで再建し今日に至っている。
- 横浜の岩崎ミュージアム・山手ゲーテ座は、関東大震災で崩壊した。
- 渋谷区立松涛(しょうとう)美術館がある。この一帯は鍋島家が屋敷として持っていたが、関東大震災の後、松涛園と名付けて郊外住宅地となった。鍋島公園もある。
- 1923年の関東大震災で横浜は10万戸のうち80%以上が被害。22000人の死。
0歳の西丸震哉から83歳の渋沢栄一まで、60人ほどの著名人の生涯と地震の影響を、資料を見てもらいながら解説しました。
- 本日も濃い2時間をありがとうございました。「関東大震災の時に何歳で、その後の人生にどういう影響を与えられたか。」という切り口で非常に多くの人々の生き様を紹介してくださいました。これまで全く知らなかった人、名前は知っていたがその仕事に圧倒された人など、たいへん勉強になりました。特に興味を持った人を数名挙げてみると、賀川豊彦はキリスト者だということは知っていましたが、生活協同組合の創設をはじめ現代にもつながる様々な社会事業を行ったことを知りました。久恒さんが高校生の時に著書を読んで進路を決めるほど影響を受けられた朝鮮人虐殺事件で政権を糾弾した布施辰治、白洋舍の創始者五十嵐健治、2000人以上の難民を世話した岩崎久弥などが印象に残りました。いずれにせよ、今日登場した人たちの何人かはNHKの朝ドラなどのテーマになっても遜色ない生き方ですね。知れば知るほどさらに知りたいことがいっぱい出てきます。
- 本日も、ありがとうございました。関東大震災にからめた、震災を機に奮闘される人たちのお話でしたが、その人数がものすごくて、さすが先生です。逆境を、そこを踏ん張って乗り越えて前向きに進んでいくお話は、力をもらえます。人物を事象つながりでしかも若い順に紹介してくださるのは、同じ時期にそれだけの人たちが活躍されていたのだと知ることもできました。ためになる2時間でした。ありがとうございました。
- 久恒先生、皆様、本日もお疲れ様でした。冒頭の「近代と現代」お話がまず印象に残りました。以前寺島先生も「100年周期」と称され「歴史は繰り返される」とお話しされていたのを思い出しました。日露開戦以降、40年毎に上がり下がりを繰り返しているという事実が符合している点もさることながら、1990年から続く「下りが底打つ」と思われる2030年とは、果たしてどの様などん底なのか、感慨深かったです。「将軍様がミサイル打ちまくって壊滅?」「太平洋プレートで大震動が生じ日本列島が沈没?」、やって来るであろうとんでもない事柄の備えて、日ごろ寺島先生のおしゃる「対話で平和維持」「防災産業強化」の重要さを改めて認識した次第です。またその源泉は「カネ」とか「派閥」ではなく、国や言語を超えた「合意形成」が欠かせず、これにはやはり「図解がカギ」であるとの思いを深めた次第です。本日講義の「関東大震災が与えた影響」ですが、震災で繋がる偉人達の人間模様もさることながら、一つ一つを丹念に取材され、収集された先生の怒涛の情報シャワーをたっぷりと浴びさせて頂きただ感服致しました。「あきらめない」「人の恩義を裏切らない」「気概(他に誰がやる)」といった、その時代を一生懸命生きる人たちのサマを見せつけられ、勇気連れられた気が致しました。10年後に訪れるかもしれない「すごいどん底」にしっかりと対峙できるよう、学びを続けたいと思いました。ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。
- 久恒先生、本日もありがとうございました。近現代を経済の浮き沈みのパターンと関連付けて40年周期を見出した視点から始まり、近現代史の重大事件のひとつである関東大震災で影響を受けた人物をご紹介いただき、楽しめた2時間でした。何十名という方の話を聞きましたが、関東大震災がその後の人生に大きな影響を与えている方々の印象が強かったです。また、一犯一語の大杉栄の話は、刑務所生活でさえ、前向きに自己の成長の機会としている姿勢は素晴らしいと思いました。災害を悲観しすぎず、新たな気づきの場とすることで後世に残すものをうみ出せるということかなと思います。「ピンチはチャンス」ですね。来週もよろしくお願い致します
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久恒先生、みなさま。本日9/29の課外授業も有難うございました。本日、都合により9時前からの参加となり、前半参加できておりませんが、1923年9月1日の関東大震災の時に、何歳で被災したかを、若年時の方から83歳の時に罹災した渋沢栄一まで、当時の日本に生きた有名・無名に関わらず、足跡を残した先人の生き様を、ショートムービーで繋いだ絵巻のように疑似体験出来た、濃厚な時間でした。誰にとっても避けがたい厄災を、偶々、生き残ったものとして、どのように自身の人生に抱えていくのか?は、想像だけでは、片づけられない、近寄れさえしない時間の積み重ねとその凝縮としての足跡なんだな、と感じました。また、今日ご紹介いただいた先人たちと同時代に生きていた、今は亡き、本当に名も残らない普通の方々も含めた、足跡が歴史なんだ、ということに想いを至らせていただく、機会となりました。何を為すか、為したか、為せなかったか、ではなく、為そうとしたか?が、大震災が突き付ける究極の問い、なのか、と。ご紹介いただいた「一芸一能に専心せよ」という与謝野晶子の言葉と共に。ーーーーーーーーーーーーーーーーー
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「名言との対話」9月29日。井出孫六「有名無名さまざまな事件をつないでいって、ひとつの時代を浮き上がらせる」
井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日- 2020年10月8日)は、日本の小説家、ルポライター。
長野県佐久市生まれ。東大仏文卒。中・高校教師を経て中央公論社に入社し、「中央公論」などの編集に当たる。1970年に退職。1968年に発生した永山則夫連続射殺事件に関心を抱き、1970年末に犯人である被告人・永山則夫に面会する。弁護士から永山が獄中で綴ったノートを見せられて内容に驚き、その出版を企画する。永山の獄中手記は1971年3月に『無知の涙』として刊行され、永山の作家としてのデビュー作となった。
『秩父困民党群像』で文壇に登場。1975年、川上冬崖の謎の最期を描いた『アトラス伝説』で第72回直木賞。1986年、『終わりなき旅 「中国残留孤児」の歴史と現在 』で第13回大佛次郎賞。『抵抗の新聞人桐生悠々』『秩父困民党群像』『峠の廃道』は秩父事件を扱っている。『抵抗の新聞人桐生悠々』など人物評伝にも定評がある。他に『ルポルタージュ戦後史』など。また、日本文芸家協会理事、日本ペンクラブ会員、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人をつとめている。
井出孫六の企画した死刑囚・永山則夫『無知の涙』は、私も読んでいる。永山は私と同学年であり、興味深く読んだ。連続射殺魔・永山則夫は哲学・精神分析学・心理学・小説などあらゆる名著を紐解いている。この独学で自己自身を考える実存主義思想思想で両足で立つことを教えられ、貧困を扱った師マルクスとエンゲルスから決定的に覚すいさせられる。そして、マルクスを信奉する左翼という立ち位置を獲得する。その過程が克明にわかる。「頭の中で逃走する」という存在理由を見つけたから、「私は生きますよ死ぬまで、」と決意表明をしている。井出孫六も手記を読んで感動したに違いない。
井出孫六『その時この人がいたーもうひとつの昭和史』(ちくま文庫)を読んだ。昭和の時代に起きた37の事件とそれに関与した人物たちを描く人物評伝集である。
「地下鉄男・早川徳次」、「吉展ちゃん誘惑」、「三億円強奪事件」、「三島由紀夫の自殺」、「金大中の消えた日」などに興味があり、読んでみた。事件と人物でつづる昭和史となっている力作だ。「週刊エコノミスト」の連載が単行本になったものだ。
同時代史の試みであり、井出自身の体験や感慨も随所に散りばめられており、昭和の空気を読者は強く感じることだろう。有名無名のさまざまの事件と人物をつないで、自身が生きた昭和という時代を浮き上がらせている。ドキュメントである。
明治の終焉は大宅壮一『炎は流れる』などで、明治という時代が幕をおろしたときの日本人の茫然自失ぶりが描かれている。統合の中心であった明治天皇の死によって、拠り所を失った喪失感が世にあふれたのだ2016年に読んだ朝井まかて「落陽」(祥伝社)には当時の世相が記述されていた。そして国民は「明治を生きた人間にとって天皇への万謝の念、よくぞ天皇として全うしてくださった」と感じ、同時代を伴走してくれた天皇に思いを馳せたのだ。
明治天皇の病状を巡って国民が固唾を呑んで見守ったのは有史以来初めてのことであり、二重橋前の広場に恢復のを願う人々が多数現れた。そして何かに祈っている。この姿は私もみた経験がある。それは昭和天皇の崩御のときと同じ風景だ。1989年1月7日の昭和の終焉のときにも、自粛がはじまり、世は一気に暗くなった。日本人の精神構造は変わっていない感じがする。
異色の昭和史である。丁寧な文献の渉猟収集と現場を踏破するまれにみる健脚、そして人物と事件によって時代を浮かび上がらせる洞察力には感銘を受けた。人物を視野においた歴史記述はリアルな実感をもって時代の相がみえる。いつかこういう本を書いてみたいものである。