東京オリンピック(1964年)の日:人口論。家族のイベント。未来フェス。

秋の気持ちの良い日。10月10日は1964年の東京オリンピックの日だった。

古田隆彦『日本人はどこまで減るか』(幻冬舎新書)を読了しました。

午後:都営新宿線の大島で家族のイベント。

夜:全国未来フェス準備会。

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11月3日。朝から晩まで1人5分のプレゼンが延々と続くという未来フェスの全国版。

和歌山未来フェス。石岡未来フェス。ソーシャルスポーツ未来フェス。図書館未来フェス。仏教未来フェス。外国人未来フェス。家族未来フェス。

私は「知研未来フェス」という枠をもらった。知研と図解塾で10人ほど。知的生産、ライフワーク、図解塾をテーマとし、選んでもらうようにしようか。

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「名言との対話」10月10日。琴ケ濱貞雄「内掛け」

琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 - 1981年6月7日)は、大相撲力士である。

香川県観音寺市出身。1950年代から1960年代にかけて活躍した。最高位は東大関

四股名は、同郷で兄弟子であり後に師匠となる琴錦と、浜辺がある故郷の観音寺に因んでつけている。同部屋の若ノ花との猛稽古、荒稽古は有名だった。二所ノ関部屋は猛稽古で横綱玉錦以来の伝統だ。朝の稽古は、序の口から順番にするのが決まりだったが、琴ケ濱と若ノ花の兄弟弟子は、土俵のそばに寝て、午前2時から稽古をしたというエピソードがある。弟子たちからは「鬼」と恐れられた。あだ名は「南海の黒豹」。兄弟子の琴錦が独立して佐渡ヶ嶽部屋を創設し、移籍する。

琴ケ濱といえば「内掛け」だ。きっかけは左足の負傷で、かばうために左足を浮かせ気味にとることになり、内掛けを得意技にしたのである。何が幸いするかわからない。

技能賞の常連で、「内掛け賞」とも言われた。横綱栃錦からは内掛けを含め3個の金星をあげている。関脇で好成績をおさめ大関昇進に何度か迫ったが、1958年にようやく実現した。病や負傷で横綱はなれなかった。引退後は、尾車親方として琴桜を鍛えて横綱に昇進させている。琴風、琴将菊、琴勇輝、琴欧州琴ノ若など、「琴」のついた名前で活躍している力士は多い。これも猛稽古という伝統の賜物だろう。

切れ味鋭い内掛けで相手があざやかに仰向けに倒れる姿には子ども時代の私もテレビでみた記憶がある。腰を使って廻しを切り、相手が再度取ろうと手を伸ばし腰を浮かしたところで左足を飛ばし鎌で刈り払うように仕留める。天下一品、伝家の宝刀というにふさわしい技である。

大相撲の四股名のつけ方も興味深い。もともとは醜名で、たくましいという意味だったが、四股を踏むことから四股名となった。

山、川、海、島など日本の自然に由来する四股名が多いように感じる。この際、少し調べてみた。自然。郷里。本名。恩人。無病息災。古典文学。著名人。架空。師匠。母校。タニマチなどが四股名の由来である。

栴檀は双葉より芳しからとった双葉山。筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる(百人一首)からとった男女川。荘子逍遥遊よりとった大鵬論語衛霊公よりとった大受上杉景勝からとった貴景勝。中国古典からの鳳、大麒麟千代の山北の富士千代の富士と受け継ぐ四股名双葉山-羽黒山双羽黒埼玉栄高校から豪栄道。タニマチの出版社からの開隆山。神社の人名からの貴源治貴公俊琴欧洲把瑠都などは出身地。大鵬の影響で白鵬旭天鵬大鵬部屋以外でも「鵬」の付く四股名が増える。日本のシンボルである富士山にあやかって「富士」の字を付ける力士も多い。照ノ富士は戦後6人目の「富士」がつく横綱である。宇田川、明歩谷、輪島、北尾、長谷川、保志、蜂谷、高安、石浦、などは本名。部屋で引き継がれている名もある。栃。若。玉。旭。千代。佐田。浪。風。桜。里。豊。武蔵。、、、四股名のつけかたは実に興味深いが、これくらいにしておこう。

琴ケ濱の相撲人生ををながめて思うことは、一芸、得意技があることの大事さだ。内掛けで大関をつかみ、内掛けで長く記憶に残った力士である。左足の欠点を唯一無二の個性という利点に変えた点も見習いたい点だ。また、猛稽古、荒稽古も、恵まれない体格を補うためのものだった。欠点を長所に変えることもできるのである。