「全国未来フェス」ーー朝11時から夜22時までのロングラン。日本全国から参加あり。日本のリアルと未来を感じた一日。

本日は文化の日。全国未来フェスに「知研未来フェス」として参加。11時から22時までの企画です。

主催:未来フェス発起人(橘川幸夫、後藤健市、宮崎要輔)。参加:一般社団法人未来フェス。未来サントラ研究所。NPO法人知的生産の技術研究会。石岡未来フェス。ソーシャルスポーツ未来フェス。吉池屋台の会。

私が関係するNPO法人知的生産の技術研究会とYAMI大学深呼吸学部「図解塾」のメンバー9人(久恒啓一  猪俣範一 力丸萌樹 根岸昌 垣内武 都築功 鈴木章 矢口梓 三沢三恵)が5分づつ発表しました。冒頭の11時から1時間の枠です。

他の発表者(予定)。仁上幸治 横田親 瀧本一徳 マキノスミヨ 幾島浩恵 堀切美央 吾妻勇吹 貫名茜 ホー・フィ・クーン ゴンザレス 石花ちとく 平方亜弥子 吉田淳 野末たく二 植竹智央 姜咲知子 井上岳 安富悠介 藤野龍一 原部直輝 藤岡奈穂子 久田選手 渡邉卓也 石黒克樹 宮崎要 平野友康 滝和子 飯田厚子 小林 佳世 澤谷真由子 吉池琢磨 橘川幸夫

「楽描人カエルン」さんがグラフィックレコードで記録してくれました。

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以下、私のグループの発表者の感想。
  • 未来フェスに参加させていただきました。5分間で自分の思いや願いを伝えるようにまとめることは短いようでいて、結構多くのことが伝えられることを実感しました。当日朝、思いついて自己紹介のプレゼンを1枚作りましたが、「大変だからやめとこ」と思わないでよかったと思います。参加されなかった方にも共有させていただくとともに、グループ外の一般の方々への共有もします。また、英訳して海外の方対象に投稿したいと思います。
  • 未来フェスに参加しましたので、提示資料をシェアさせていただきます。なお、大失敗した「間違えた先生のお名前」は修正しております。久恒先生、土壇場で作成したことによる大失敗をどうぞご容赦願います。さて、参加した感想ですが、SNSの生配信でよくある妨害行為に初めて遭遇しました。未来フェスは初めての場でしたから、緊張して焦ってしまうと思いきや、画面に久恒先生や図解塾のみなさんが見えたので、落ち着いて受け入れることができました。ありがとうございました。話す時間はあっという間でしたが、トラブルがあったおかげで図解塾の文字をみなさんに見ていただく時間が長くなったかなと、私一人満足しております。また、スピーチしましたとおり、来年はインプットした情報をもとにどんどんアウトプット(貢献)していきますので、久恒先生、みなさん、引き続きご協力よろしくお願いいたします。
  • 社会人基礎力は大いに参考になりました。国際貿易科を担当している友人の大学教授から、聞いた話ですが、多くの学生は海外駐在の仕事はしたく無いと思っているそうです。今の若いに人達は内向き思考になっているなと感じました。私の中国での国営企業改革では、大企業の中でルーチン通りの仕事をやってきた人達が、対応力、応用力、柔軟性が無いかと実感しました。理研を立ち上げた明治時代の日本人の使命感、気宇壮大な精神を豊かになった若い日本人は見習って欲しいものです。今回の目的な色んな考えや活動が有ると言うことを知り合う意味ではよかったが、質問、反論、異論等の対話がなく、なんとなく、消化不良。
  • 未来フェス5分トークを終えて。話したいことはないかと思いきやいくらでもあるなと。やはりアウトプットしていく事が大切だと思い直しました。皆様の興味関心がわかり、楽しく聞いておりました。それぞれ興味があることについて図にして発表するのも、素敵ですね(^^)今は開放感でいっぱいです笑
  • 未来フェス、何を話すかテーマを定められず、準備時間が足りなくなってしまいました。心身ともにバランスの取れた生活を80歳現役の先までと考えると地域社会での充実を目指して、今から人脈づくりを平行して走らせていきたいと思います。今日の準備をしながら、以前、久恒先生の授業での「伝えたいこと(やその全体像)を自分でわかっていないと図を作れない」というような言葉を思い出しました。今回宣言した方向の実現に向けての全体像をFigure outしていきたいと思います。図解塾のメンバー含め、未来フェス参加の皆さんの伝えたい熱意が素晴らしかったです。

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「名言との対話」11月3日。西村寿行君よ憤怒の河を渉れ

西村 寿行(にしむら じゅこう、1930年11月3日 - 2007年8月23日)は日本の小説家。

香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)生まれ。旧制中学を卒業後、新聞記者、タクシー運転手、小料理屋など20近い職種を経験する。 

40歳直前の1969年に動物小説『犬鷲』デビューを果たす。1971年にノンフィクション『世界新動物記』を書く。南アルプスで猟師同然の生活をしていた時期もあり、野生動物の知識が豊富であったのだ。1973年に書き下し処女長編『瀬戸内殺人海流』、続いて『安楽死』などで社会派ミステリ作家として注目される。1975年、長編冒険小説『君よ憤怒の河を渉れ』を『問題小説』に一挙掲載。『野生時代』などでも活躍し、中間小説・娯楽小説誌の看板作家となる。『君よ憤怒の河を渉れ』は映画化され、中国でも数億人がみたといわれる大ヒットとなった。

動物小説、社会派ミステリ、アクション小説、パニック小説など幅広い作品でベストセラー作家となった。生物の異常増殖などによる人間社会のパニックを描くSF的な設定のパニック小説、冒険的要素の強いハードロマンの作品群がある。1979年には長者番付の作家部門1位となり、1980年代もベスト10上位に名を連ね、半村良森村誠一とともに「三村」とも呼ばれた。締め切りには決して遅れなかった。

1本の小説で1メートル位の資料を読み尽くすという徹底した調査を行う作家だ。京大式カードを使っていた。断定調の短いセンテンスの多用に特徴がある。格調高く、重厚、叙事詩的と評される文体である。

西村は直木賞候補に3度なるが、いずれも落選している。好意的な批評は以下の通り。

第75回直木賞候補。『咆哮(ほうこう)()えた』。柴田錬三郎「着想の面白さは、充分に買える」。水上勉「小説づくりのタッチの早い巧妙を買ったが、しかし、授賞作としては弱く、欠点も目立った。西村さんも落ち着いて、いい材料にめぐまれれば、という気がした」。今日出海「話は充分面白かったが、語り方に引きつけ方の物足りぬ、、」

第76回直木賞候補。『(ほろ)びの(ふえ)』。今日出海「驚くべき豊饒な想像力の作品だ。」「構想は尨大だが、この結末は意外に呆気ない」「しかしこのような想像力はこれ亦凡庸な作家の持ち得るものではない」。司馬遼太郎「自然破壊の現実を前提に、それによっておこる特殊な自然の異常肥大をたんねんに書き、それが、人間を文明からひきずり出して弱い一個の自然物に化せしめることによって報復するという主題を活劇的な小説に仕立てたものである」

第77回直木賞候補。『魔笛(まてき)()こえる』。川口松太郎「決定的作品がなくて困ったが、、、一応推した。」「欠点がありすぎる」。柴田錬三郎「おそろしく乱暴な、荒唐無稽なストーリイ。面白かった。もとより、それぞれに、高い点数をつけた次第ではない」

1967年生まれの劉文兵という人が、映画『君よ憤怒の河を渉れ』について語っているレポートを読んだ。1978年に中国で公開され熱狂的な人気があり、中国人の8割が観たといわれる伝説的な映画となった。主演は濡れ衣を着せられた東京地検検事役の高倉健だ。中国当局のカットもあり、完全無欠の人格者として描かれている。この映画は1966年から10年続いた文化大革命の直後で、先進資本主義国・日本の豊かさが描かれ、文化に飢えた人々の飢餓感に支えられて空前の大ヒットとなった。多摩大学の同僚で劉文兵より3つくらい年下のバートル先生からも「健さんはカッコよかった」とこの映画のことを聞いたことがある。その後、中国は改革開放の道を歩む。この二人の中国人は日本での学究生活を送っている。映画というメディアの影響力の大きさを感じさせる。

西村寿行直木賞作家という勲章は得られなかったが、アジアと世界の歴史を動かしたという意味で、大きな影響をもたらしたとは言えるだろう。『君よ憤怒の河を渉れ』は代表作となった。