「ディカバーebook選書」の第3弾ーー「『できる人になるには 勉強してはいけない!』を発刊。

「ディカバーebook選書」で、わたしの電子書籍シリーズの第3弾を刊行しました。

『できる人になるには 勉強してはいけない!』(青春出版社)の電子書籍版です。

仙台時代にこの本を出してから呼ばれた講演で、司会者から「勉強しなくてよいというのはありがたい」と紹介されました。私は「違います。勉強してはいけない、です」と訂正して笑いをとりました。受講者には東北大学総長であった西澤潤一先生もいらして、肝を冷やしましたが、「創造」という考えは同じだったと思っています。

「勉強」をして、一流になった人はいない。新しい時代が求める問題解決の方法は、過去の資料やデータにはない。現場に眠っている「答」を掘り起こす、資格やMBAを超えた、人生が変わる仕事術。

序章 “現場主義”が仕事を面白くする―刺激のある思考を生むヒント

1章 いくら“勉強”しても人生は変わらない!―新しい“価値”をつくる5つのポイント

2章 仕事のスケールを広げる“頭っぷし”の鍛え方「全身で動き、感じ、考えて」働く

3章 この先一流になれる人なれない人―勉強してもうまくいかない理由

4章 時代の変化を知る“視力”をつける―“人と情報が集まる”人になるコツ

5章 新しいビジネスを生む“関係力”をつける―1が100に広がっていく

6章 勉強型「知的ビジネスマン」から現場型「職人ビジネスマン」へ

7章 一流の職人ビジネスマンになる5つの条件―自分だけの「できるオーラ」を出す 

 

以下、アマゾンの読者の書評欄から。

  • 内容は、現場主義の重要さを主張しているもので十分に説得力のあるものです。 勉強そのものが不要であると述べているものではありません。個人的には「我が意を得たり」との印象。
  • 世の中「勉強法」がブームで書籍も多いが、本がすすめる勉強法を実践して実際の仕事に生かせるかどうかは疑問、と著者は言う。現場に足を運び地下水脈を掘り当てるのが「できる人」の仕事の進め方である、と著者自身が日本航空のサラリーマン時代に実践した実例を挙げる。様々なエピソードに裏打ちされた提言の数々が読者に刺激を与え、読み終わった時には「できる人」のスタート台に立っている自分を発見するであろう。
  • 最後の章に「一流の"職人ビジネスマン"になる5つの条件」というのが掲載されていて、プラクティカル、且つ仕事ができるには単なるノウハウを身につけるだけではなくて自分のやってきたこと/やっていることに対するプライドがドライブ力になるとあり、やっぱり仕事は頭でっかちではいけない、頭とハートと五感と全て全開、直結であたらなければうまくないんだな、と確信した。

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「幸福論」。古今と東西の幸福論の研究のまとめ。

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「名言との対話」11月8日。鈴木孝夫「言葉こそが棄てた武器に替る新しい武器だ」

鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、日本の言語学者・評論家。

東京都生まれ。1944年慶應義塾大学医学部予科に入学。修了後、英語を研究したいという思いを捨てきれず、慶應義塾大学文学部英文学科に編入。1950年、慶應義塾大学文学部英文科を卒業(指導教授はイスラム学者の井筒俊彦)。1990年まで慶應義塾大学言語文化研究所教授。『鈴木孝夫著作集』(全8巻:岩波書店、1999-2000年)がある。『ことばと文化 私の言語学』、『閉された言語 日本語の世界』、『日本語は国際語になりうるか』、『武器としてのことば』、『日本語と外国語』、『教養としての言語学』、『日本人はなぜ英語ができないか』、『人にはどれだけの物が必要か』。

『日本語教のすすめ』(新潮新書)を読んだ。

日本は江戸時代までの外に出た戦争は白村江の戦と秀吉の2回の朝鮮征伐だけである。そして武力攻撃を受けたのは2回の元寇だけだ。日本海を隔てた適度の距離、大陸への渡航にはなんとか大丈夫だが、侵略軍には大きな障害だった。それは半透明膜効果とも呼ぶべき僥倖だった。明治以降は頻繁に対外戦争を行い外に出ていったし、わずか一度の敗戦時もアメリカの間接支配でゆるかった。そしてアメリカは日本語を禁止しなかった。

6000種の言語のうち使用する人が1億人を超える大言語は10前後しかない。日本語は大言語である。しかし、明治以降日本語放棄論の長い系譜がある。劣等言語であるという根拠のない思い込みである。森有礼は英語。志賀直哉はフランス語。尾崎行雄は日本語廃止。田中舘愛橘のローマ字運動。梅棹忠夫の漢字の音読みもその系譜に連なっている。

漢字には訓の二重読みがあり、訓読みにすると誰でも理解できる。そして日本語は書かれたものをみれば意味の見当がつく。「葉緑素」「胡蝶蘭」などは見てわかる。同一の概念が二つの別々の言語で音声化されているのである。漢字は元来書写記号であり、どう声に出して読むかは自由である。漢字は中国の知識を広い範囲の日本人に開放してくれた。

同音異義語が多い。遊園地を遊園池。入場料を入城料。名答を迷答。これを混乱とみるか、文化とみるか。家族の間での呼び方についての考察も興味深い。自分んことをママ、お父さんと言い、姉自身のことをおねえちゃんと呼ぶ。家族の最少年者が原点なのだ。

日本語は、英語などのラジオ型言語ではなく、聴覚と視覚の両方を利用するテレビ型の言語であり、このおかげで高度文明を運転してきた。漢字の映像の助けなしに音声だけで高度な文明社会を支えてゆけるだろうかと鈴木は憂う。

アメリカの学習態度は攻撃的で、叩きつぶす目的で敵の言語を学ぶ。逆に日本は敵性禁止する。正反対だ。中国は対外宣伝が目的となる。国によって言語に対する考えが違う。

日本は「口の痺れた巨人」「声を出さない巨象」「自動金銭支払機」などと言われ、受信機能に優れているが発信機能はきわめて弱い。これでやっていけるか。専守防衛が国是の日本は言語による国際対応が最重要な国防であると鈴木孝夫は考える。

以下、鈴木孝夫の主張。

言語鎖国を脱し、日本という魅力に溢れた国を世界に開くべきだ。外国が日本を学ぶ努力をすべき時代だ。日本語を読める人を増やそう。広く外国に役立る知識、日本人ならではの独創的考えを世界に発信すべきだ。

「言葉こそが棄てた武器に替る新しい武器だ」とする言語外交が生きる道である。社会科学、人文科学系の学者は、ひろく外国の人に役立つ知識、日本人ならではの独創的な考えを世界に発信するべきだ。

日本語は劣等言語だという根拠のない思い込みを払拭したい。言葉こそ最強の武器であり、防衛力である。日本語を広めよ。鈴木孝夫の主張は本の題名にもなっている「日本語教のすすめ」である。

梅棹忠夫鈴木孝夫の日本語についての対談を読んだことを思い出した。外に向かって日本語を広めるべきだという考えは同じだった。その上で梅棹は音読み日本語とも呼ぶべきローマ字日本語を主張していた。ラジオ型言語への転換である。幸いコンピュターの入力はローマ字式だから、日本語への変換をしなければ、少し工夫はいるが、そのままで外国人も発音できる。内では漢字の音と訓を持ちいた日本語、外に向かっては訓読みのローマ字日本語のすすめであった。

この本を読んで、気づいたことがある。毎朝散歩するときに、公園の木々や花々の名前がカタカナで表示されていることに不便を感じていた理由がわかった。これは音読みのカタカナ表示なのだ。漢字で示してくれなければ成り立ちはイメージがなかなかわかない。二つ並べるべきだと思う。