「ディスカバーe-book選書」第6弾。古田隆彦先生の「人口波動論」。「幸福論」についてのミニ発表。

「ディスカバーe-book選書」第6弾です。

その他大勢から一歩抜け出すための仕事習慣月曜の朝ではもう遅い。ちょっとした「週末の過ごし方の違い」。、、、、、、。

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深呼吸学部で人口学の古田隆彦先生の「人口波動論」。

聞き書きのメモなので、間違いがあるかもしれません)

  • 「人口学」のマルサス「人口の原理」(1826年)で「オシレーション」を紹介。人口は幾何級数、食糧は算術。人口の増加が生活資料の上昇を上回るときがくる。1910年に「反復」概念が登場。日本の南亮太郎は「はいぞう?」、そして1963年に「波動」を提唱。古田は1996年「人口波動で未来を読む」で5つの波を示し、2008年「日本人はどこまで減るか」を刊行した。石器前期・後期、農業前期・後期、工業前期。次は工業後期の時代で、「人口容量」の拡大が起こる。
  • 「人口容量」が扶養量と排泄量で限界に達すると「人口抑制装置」(間引き、姥捨て、餓死)が働く。生殖能力低下などの生理的要因と、直接(出産抑制・自殺増)、間接(退廃、環境悪化)、政策)一人っ子、ウナ棄て、棄死)などの文化要因がある。ロジスティック曲線はサステナブルであるが、修正ロジスティック曲線では人口減少となる。人類の歴史も「人口容量」の更新の歴史だ。石器時代は5000万人、農業時代は4.5億人、現在は100億人。人口波動は多段階曲線を描く。
  • 人口曲線には、「始動」「離陸」「上昇」「高揚」「頂点?」「下降」の6つの時期がある。中世から近代への過渡期にはペストがはやり、ルネッサンスが誕生。近代から次の時代への過渡期にはコロナ禍が襲った。次は「ル・ルネッサンス」だ。第5次情報化、総合型エネルギ化、食糧・工場の見直し、市場経済の修正、改良型民主主義、グローバル化の見直し。工業後期には新世界観の誕生か。
  • 日本:昭和元禄、平成享保、令和明天。2100年あたりから人口は増加していく。文化・文政時代と同じように「新・化成時代」が到来する。人口減対策、コト主義化(AI・IT)、税収構造の見直し、地域人口の平準化、、。
  • 古田先生:ブログ「JINGEN」。生活マーケティング現代社会研。

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深呼吸学部で「幸福論」についてのミニ発表。

課外授業「続ける技術」シリーズ、「列伝」シリーズ、そして「幸福塾」へ。

  • ヒルティ・アラン・ラッセ:三大名著
  • 時間。忘我。習慣。知行。中年の危機。享楽・自適・前進。
  • 退化か円熟か。上り坂。
  • プロポ(断章)5000本・4-5枚。ブロガー。創造の時。学ぶ。
  • 上機嫌。不幸の自慢。悲観主義は気分・楽観主義は意志。
  • 偉大なるコモンセンス(常識)。変化と向上。努力とあきらめ。教育は楽しむ訓練。
  • 幸田露伴杉田玄白本多静六
  • 幸福三説「惜福」「分福」「植福」
  • 九幸翁「泰平・成長・交友・長寿・俸禄・貧でない・名前・子孫・壮健
  • 職業の道楽化。天引き。人生計画。上り坂か下り坂か。方向! 370冊。

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「名言との対話」11月21日。内藤ルネ「カワイイ」

内藤 ルネ(ないとう ルネ、1932年11月20日 - 2007年10月24日)は、日本イラストレーター、デザイナーである。享年74。

愛知県岡崎市生まれ。国民学校卒業後に働き始める。19歳の1951年、画家でイラストレータの著名な中原淳一に呼ばれ、中原の出版社「ひまわり」に入社し、雑誌「ひまわり」「それいゆ」の編集と挿絵を担当する。

フランス映画監督ルネ・クレマンから内藤瑠根をペンネームとし、1960年に内藤ルネと改名する。男性である。内藤はそれまでの憂いを含んだしとやかな少女像から、童顔で幼く元気な少女像へと転換し、大きな影響を与える。

1971年、『ルネパンダ』を発表し、日本ではじめてパンダを描いたアーチストとなる。翌年のパンダブームのさきがけとなった。1971年創刊の同性愛誌『薔薇族』の表紙を14年間にわたり描いている。この雑誌は書店で何か独特の雰囲気を漂わせていた記憶がある。2005年には自身が同性愛者であると告白している。

亡くなった2007年以後も、「内藤ルネ展」は開催されている。特に2013年以降は、毎年のように、全国各地で「内藤ルネ展」が開催されており、その影響力が今なお大きいことを示している。

内藤は多くの分野でさきがけとなったのだが、極め付きは「カワイイ」「Kawaii」の発信を行い、日本のティーンエイジャーだけでなく、世界に向けて日本の「かわいい文化」を定着させたことである。憂いを秘めた伏し目がちでしとやかなな女の子ではなく、大きな目、小顔の元気で明るい、そして愛くるしい女の子像は時代を席巻した。

内藤ルネはあらゆるものに「カワイイ」を認め、「カワイイ」作品を創り出した。パンダ、動物、果物、野菜、花などを「カワイイ」をモチーフに表現した。今では「カワイイ」は、イラスト、ファッション、人形、ファンシーグッズとさまざまな形で具現化されており、現代日本文化の象徴にもなっている。「カワイイ」という文化現象を不思議に思っていたが、その源がこの人だったことがようやく私にもわかった。

内藤ルネは多くの分野に「はじめて」を実行した人だ。キャノチェ(カンカン帽)や短い丈の白手袋、大きなボタン使い、アンティークドールビスクドール。棄てられていた医療用の戸棚を白く塗って飾り棚にして「白い家具・白い部屋」ブームを創り出すなど高い創造力の持ち主だった。没後10年には、岡崎市では「カワイイに出会える街」というコンセプトで様々企画を実行している。

このような華々しい仕事ぶりであるが、自伝は『内藤ルネ自伝 すべてを失くして 転落のあとに』というタイトルだった。「『ジュニアそれいゆ』からレトロ・ブームまで、少女を夢中にさせたアーティストに、なにが起きたのか!? 昭和少女文化のカリスマが語る愛と激動の人生」との紹介になっている。何があったのか、この自伝を読んで、書き加えることにしよう。