『図解コミュニケーション全集』第4巻「展開編」「ワークデザイン(仕事論)」を刊行。

本日、『図解コミュニケーション全集』第4巻「展開編1」・「ワークデザイン(仕事論)」を刊行しました。

第4巻は「展開編」として「ワークデザイン(仕事論)」にかかわる著書を4冊収録しました。仕事とは問題解決のことである、から始まる仕事論と、そのための方法論としての有効な図解コミュニケーションの活用を提案している本を取り上げました。

具体的にはタイムマネジメント、会議の技術、仕事を遂行するにあたってのコミュニケーションに、焦点をあてています。

  • Ⅰ「時間をデザインする」:『必ず目標を実現する「鳥の目」手帳術』(日本実業出版社
  • Ⅱ「会議をデザインする」:『タテの会議 ヨコの会議』(ダイヤモンド社
  • Ⅲ「コミュニケーションをデザインする」:『問題がすっきり解決! 図解思考の本』(PHP研究所)と『仕事力を高める「図解思考術」』(永岡書店)

Ⅰ「時間をデザインする」では、『必ず目標を実現する「鳥の目」手帳術』(日本実業出版社)を取り上げました。
 手帳とは、「ヒト・モノ・カネ・時間・情報といった人生の限られた経営資源を最適に組み合わせて最高レベルの生活を実現するための貴重な道具」であるとの考えから、誰にとっても最重要資源ともいうべき、時間管理について、図解思考を用いたデザイン論とその技術を紹介しています。

Ⅱ「会議をデザインする」では、『タテの会議 ヨコの会議』(ダイヤモンド社)を取り上げました。
 私は、現在の日本の混乱には、「社会的合意形成」の方法論の欠如が底流にあると見ています。会議の技術とは、「コミュニケーション」と「合意」の技術です。組織内外の関係者とのコミュニケーションを通して合意を得るための方法論です。常に全体をにらみながら関係者の合意をはかっていく方法について述べています。

Ⅲ「コミュニケーションをデザインする」では、『問題がすっきり解決! 図解思考の本』(PHP研究所)と『仕事力を高める「図解思考術」』(永岡書店)の2冊を取り上げました。
 『問題がすっきり解決! 図解思考の本』。図解コミュニケーションは論理のデザインがその本質です。理屈、関係、構造、考え方、そういった目に見えない論理を人にわかるようにデザインするものです。仕事上の悩みや問題に対し、図解をしながら解決に向かうプロセスを掲載しています。図解を用いた問題解決、合意形成の過程を楽しんでいただければ幸いです。
 『仕事力を高める「図解思考術」』では、図解コミュニケーションの活用によって、仕事の基本である「理解力」「企画力」「伝達力」を向上させる図解コミュニケーションの方法を実例をあげながら提示しています。 

ーーーーーーーーーーーーーーー

今日のヒント「幸福」。

開高健:本人自身が肉声で「独学」と語っている。8つ上の妻・牧羊子(詩人)は寿屋の研究員。その縁で佐治敬三と知り合う。入れ替わりで宣伝部に入る。58歳で死去。14歳で終戦。食へのこだわり。

・しあわせ。幸せ。仕合わせ。倖せ。

ーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」11月25日。中城ふみ子「絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき」

中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年(大正11年)11月25日 - 1954年(昭和29年)8月3日)は、日本の歌人

北海道帯広市出身。旧姓は野江富美子。東京家政学園卒業。乳癌のため1954年札幌医大に入院。入院中『短歌研究』の第1回五十首詠に応募し、「乳房喪失」が入選。奔放な生への情熱と、非情な自己客観が騒然たる反響をよび、のち渡辺淳一によって小説化された。入選4か月後、31歳で永眠。帯広に歌碑がある。

中城は婚姻後の姓で、離婚後も中城を名乗った。戦後活躍した代表的な女性歌人の一人で、寺山修司とともに現代短歌の出発点であると言われている。寺山は「たとえば一つの<正義>の例として僕は「短歌研究」の勇気に帽子をぬごうと思う。僕に短歌へのパッショネイトな再認識と決意を与えてくれたのはどんな歌論でもなくて中城ふみ子の作品であった」と述べている。

家政学院在学中に「故岡本かの子の様な、人間らしい、女らしい生活で一生を終へたいと願ってゐるのです」と語り、「絢爛の牡丹のさなかに置きてみて見劣りもせぬ生涯なりし」という「岡本かの子」へ捧げる歌を詠んでいる。そして、31歳という短いかったが、いや短いゆえにそのとおりの生涯を送った。

「人間は一生のうちに自分の運命や思想をすっかり変へてしまふ程の、強い影響力を持つ人に出会ふことがある」といった。

短い生涯には常にドラマが湧きおこる。「絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき」と歌ったとおり、数度の結婚・離婚、多くの恋愛があった。その生涯を中城ふみ子の歌だけを見つめてしのぶことにする。

函館時代。

 淋しくもあるか子ら食む白飯は嫁ぎし日の帯にしあるを

 人妻はかかるときにもほほゑみて容崩(かたちくず)さぬものとかと泣かゆ

 愛憎の入り交じりたるわが膝を枕に何を想へるや夫

帯広時代。

 水の中根なく漂ふ一本の白き茎なるわれよと思ふ

 絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき

 生涯に二人得がたき君故にわが恋心恐れ気もなし

 いくたりの胸に顕ちゐし大森卓息ひきてたれの所有にもあらず

 悲しみの結実の如き子を抱きてその重たさは限りもあらぬ

 音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる

東京時代。

 救ひなき裸木と雪のここにして乳房喪失の我が声とほる

 ひざまづく今の苦痛よキリストの腰覆ふは僅かな白き粗布のみ

 唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる

 葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せの我の背中はまだ無瑕なり

 灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽の如くに今は狎らしつ

 遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ

 この夜額に紋章のごとかがやきて瞬時に消えし口づけのあと

 息切れて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし

 夕ぐれは水の如くに流れたり宗八かれひ香しく焼く

 メスのもとひらかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ

 灼きつくす口づけさへも目をあけて受けたる我をかなしみ給へ

 衿のサイズ十五吋(インチ)の咽喉仏ある夜は近き夫の記憶よ

 瑠璃いろの朝に想へばこの子らを生みたるほかに誇ることなし

 コスモスの揺れ合ふあひに母の恋見しより少年は粗暴となりし

性愛と母性と、そして死に彩られた短い生涯がここにある。

不治といわれる癌の恐怖に対決した時、始めて不幸の確信から生の深層に手が届いたと思う……ひたすら自分のためにのみ書く作品が普遍的な価値を持つまでに高められる試みの端緒を僅かに掴んだばかりの今である」。

歌いたいから歌うのだ、歌わずには居られぬから歌うのだ。歌うべき必然性があり、それを歌うという姿勢である。ドラマ性の高い日々を送ることで得たものを歌に託すのである。

手もとにあった『集成・昭和の短歌』(岡井隆編)に採られた中城ふみ子の歌から選んでみた。

 倖せを疑はざりし妻の日よ蒟蒻ふるふ湯のなかに煮て

 口つぐむ人らの前を抜けて来つ禁句の如きわが存在か

 熱き掌のとりことなりし日も沓く二人の距離に雪が降りゐる

 衆視のなかはばかりもなく嗚咽して君の妻が不幸を見せびらかせり

 ひしめきて一を争う東京にわが足立つる空地はなきか

 母子抒情読みたるコロカ太郎すむモンマルトルの地図を諳んじき

 憂鬱といふならねども三十のわれは男の見栄に目ざとし

 かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは

 月のひかりに捧ぐるごとくわが顔を仰向かすすでに噂は恐れぬ

 冷ややかにメスが葬りゆく乳房とほく愛執のこゑが嘲へり

 担われて手術室出づるその時よりみづみづ尖る乳首を妬む

 子が忘れゆきしピストル夜ふかきテーブルの上に母を狙へり

 葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せのわれの背中はまだ無瑕なり

 ゆっくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え

代表歌集『乳房喪失』(作品社)は、1954年に刊行された。「乳房喪失」の発売は7月1日に開始された。初版は800部であったと伝えられている。ふみ子が亡くなったのは9月3である。売れ行きは好調で、最終的には8版を重ね総計1万部を増刷した。「乳房喪失」が歌壇に与えた影響は大きなものがあった。中井英夫は「花の原型」と題された第2歌集を編み、1955年4月に刊行している。

中城ふみ子の生涯は小説や映画になっている。代表的な小説は渡辺淳一冬の花火』、映画は「乳房よ永遠なれ」(制作:日活、原作:若月彰、中城ふみ子、監督:田中絹代、脚本:田中澄江、主演:月丘夢路)だ。帯広市図書館では、2階に「中城ふみ子資料室」が設けられ、はふみ子の書簡、歌稿、日記といった資料が展示されている。

小説か映画か覚えていないが、少年時代の私も歌人でもあった母との会話の中で「乳房喪失」のことが話題にのぼったことを覚えている。

中城ふみ子を発掘した中井英夫は、ふみ子を与謝野晶子の後継者として位置づけている。中条ふみ子の生涯といくつかの短歌を読んで同感した。また寺山修司と並ぶ現代歌壇の先駆者との評にも納得した。

「絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき」、まさにそのとおりの短い生涯であった。