寺島実郎「世界を知る力」(2021年12月19日)のまとめ。

寺島実郎「世界を知る力」2021年12月19日。

  • 2022年の世界:ロンドンエコノミスト「ワールドアヘッド2022」。欧州の視界と論点の集約。「新しいリアリティへ調整する必要」。ポストコロナと中国の台頭。民主主義対専制パンデミックからエンデミックへ。貧者の風土病へ。世界全体での解決が必要。日本はわずか半ページで異次元の高齢化のみ。埋没する日本。
  • 21世紀の日本:マクロ(GDP)「世界GDPに占める日本は2000年14%(1994年18%)。2020年6%。2割圧縮」。セミマクロ(産業)「粗鋼▲21.9%、エチレン▲22.0%、自動車(国内)▲20.4%、自動車(販売)▲22.9%。産業力は2割圧縮」。ミクロ(国民生活)「現金給与総額:2000年593.8万円、2020年543.5万円で▲8.5%。全世帯消費支出2000年31.7万円(月)、2020年27.8万円で▲12.3%。プラスは光熱・通信(スマホ)+13.4%、食+8.6%。マイナスは衣▲47.1%、教育・娯楽▲28.0%(学ばなくなった、学べなくなった。地域大学化)、住▲11.3%。流通業:百貨店394から196、SC2658から3195、コンビニ38774から55924へ(生活インフラ)。新聞発行部数(一般紙)4740万部から3245万部(▲1500万部)」
  • どうするか:工業生産力モデルから「イノベーション」と「ファンダメンタルズ」へ。工業生産力モデル「通商国家・国際貿易。鉄鋼・エレクトロニクス・化石燃料原子力。思想はPHP(繁栄による平和と幸福)、産業人の時代(松下・本田・盛田・井深・土光)。
  • イノベーション:創造的破壊。DX(産業のデジタル化とデジタルの産業化)とGX(グリーンイノベーション:環境技術と脱炭素エネルギー体系。思想はSFGsと成長を通した分配の拡大と公平。総合エンジニアリングがカギ。国産ワクチンの遅れとMRJ(国産ジェット機)の挫折。総合化し、組み立て、完成する。
  • ファンダメンタルズ:原点回帰の産業基盤強化。基幹産業は「食と農」「医療と防災」「文化と教養」。国民の安全と安定のための産業創生(経世済民)。生産・加工・流通・調理のサイクル、バリューチェーンの強化。臨床研究の強化と防災拠点の強化(道の駅)。人間を育てるという基盤強化。分配と給与の話でななく、産業の育成と経済基盤をつくりことが重要。
  • 日米関係史:生身の人間ドラマ。1860年の万延元年の遣米使節小栗上野介ら77名はサンフランシスコ、パナマ地峡カリブ海、ニューヨーク、ワシントン。帰りはアフリカ、インド洋、バタビア、香港、横浜。世界一周。随行の咸臨丸の勝海舟37歳、福沢諭吉25歳。アメリカが太平洋に達した1848年から100数年後。
  • 秋山真之は1897年に29歳でワシントンの公使館付留学生。1898年の米西戦争を観戦。1900年パリ万博「日本のインテリは狭い意味での小専門家」。「私が一日怠ければ日本が一日遅れる」。1894年の日清戦争勝利後、中国に進出する日本と、南北戦争(1861-1865年)米西戦争で勝利しアジアに展開するアメリカ。日米の不幸な関係のはじまりだった。
  • 秋山の時代は個人と組織と国家が一直線のある意味幸せな時代だった。寺山修司「マッチ擦る束の間に霧ふかし身捨つるほどの祖国ありや」の対照。

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今日のヒント。日経新聞文化欄12月22日「厄除けと招福の日本絵画」(矢島新

有卦絵:生年で決まっている7年間の有卦(7年間の幸運な時期)に入る日に贈る風習が江戸時代にあった。終わると5年間の無卦に入る。この繰り返しが人生。陰陽道起源の考え方。人の運命は12年周期。

福神・福助を描く歌川芳藤(国芳の弟子)の「福助の有卦絵」(日本銀行金融研究所貨幣博物館蔵)。眉は筆、目がフグ、鼻は「ふ」の字、耳はふくべ(瓢箪)、口は房、着物の線は「かのをふくすけ」の文字の組み合わせ。画面には「むつまじふふうふ仲よく暮しなは ふろうふろうきにかなふふくすけ」(睦まじう夫婦仲よく暮らしなば不老富貴に叶う福助)とある。

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「名言との対話」12月23日。浜田知明「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」

浜田 知明(はまだ ちめい、本名の読みはともあき、1917年大正6年12月23日 - 2018年(平成30年)7月17日)は、日本の版画家彫刻家

熊本県上益城郡高木村(現・御船町)生まれ。16歳で東京美術学校に入学し藤島武二の指導を受ける。20代の大半は軍隊で過ごす。戦後の1951年から1954年までの銅版画「初年兵哀歌」シリーズは国内だけでなく海外でも話題になった。浜田知明オーストリア、英国、イタリアでも回顧展や展示なども多く、世界的な評価を得た版画家である。イタリアフィレンツェのウフィッツイ美術館では日本人初の個展を開いている。

「冷たく、暗い、金属的な感じ」をだすため、エッチング(腐食銅版画)を採用している。浜田の作品は、ブラックユーモア、風刺、アイロニーなどの言葉で紹介されることが多い。皮肉、諧謔、あてこすり、反語などをユーモアの衣でくるんだ表現で見る人の心に刺さる作品をつくる。

テーマは、「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」とした戦争など「時代」であり、「自分自身」であり、「人間」であった。時代と自分に向き合った版画家である。65歳以降は彫刻にも舞台を広げている。

「初年兵哀歌(歩哨)」では、塹壕の中で銃に足をかけて引き金を引こうとする姿を描き、戦争の実態を描いている。「ボタン」という作品では原爆のキノコ雲を頭に描きながら次の人の頭のボタンを今まさに押そうとする人間が、その次の人のからだのボタンを押そうとし、その人が核のボタンを押そうとする不気味な姿が印象的だ。

2018年3月から4月にかけて町田市立国際版画美術館では「浜田知明 100年のまなざし」展が開かれるなど、浜田知明は100歳近くまで創作に励んでいたセンテナリアンだ。

今年みた小早川秋聲の「国の盾」は、将校の軍服姿で顔に白い布がかぶせられた荘厳な死体、そして浜田の「初年兵哀歌」では、自ら死を迎えようとする末端の兵隊の姿、「ボタン」では世界を破滅に陥れる核のボタンを押そうとする為政者がの姿が具体的にみえる。この3つの作品は、ずっと頭から離れないだろう。