あけましておめでとうございます。ーー「幸え給え」

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近所の小さな神社に、昨年はほぼ毎日、朝の散歩を兼ねてお参りしてきました。神社に掲げてある「祓え給い、清め給え、かむながら守り給い、さきわえ給え」と唱えながら、二礼二拍手一礼をしています。「お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい」という意味ですが、まとめると「幸え給え」に尽きると思います。

この神社では、2009年から、毎年元旦におみくじを引いています。小吉、中吉、中吉、末吉、大吉、大吉、吉、大吉、吉、大吉、大吉、そして2020年は吉、2021年は小吉でした。悪いものがでないので、ありがたい神社です。

2022年の今年は「大吉」を引きあてました。コロナ禍になってからは、初めての大吉だったので、晴れやかな気持ちになりました。ところが家に戻ってポケットを探ると、「ない」ではありませんか。途中でどこかに落としたらしいのです。

2022年は幸運が約束されているが、その幸運を自ら捨ててしまう可能性があるから、慎重に行動しなさいという神様のはからいということにしておきましょう。

神社の入り口の掲示は、写真では「令和三年」となっているところがあるので、明日にでも社務所に知らせることにしましょう。

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「名言との対話」は2016年から開始し、今年で7年目に入ります。昨年は「大正から昭和」へかけて生まれた人たちの人生の軌跡をたどりました。大正12年生まれの父と昭和2年生まれの母と同世代の人たちです。学徒動員世代であり、大東亜戦争で人生に大きな傷を負った世代です。戦後は高度成長の波にのまれながら生きた人々です。

今年は「明治生まれ」の人を取り上げようと思います。明治19年生まれの大野清吉など私の祖父母と同世代の人たちになります。どういう時代が見えてくるでしょうか、楽しみです。

2021年は、noteの「世界の美術館」から画像を採用していたが、2022年はこだわらずにさまざまの写真を使おうか。

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今日のヒント。神社でのお参り。

「祓え給い、清め給え、かむながら守り給い、さきわえ給え」

「お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい」

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・夜は、娘と孫、息子夫婦と歓談

・深呼吸学部の今年初回にも参加

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「名言との対話」1月1日。中島知久平「何よりも大切なこちは、精神的にまいらないことだ」

中島 知久平(なかじま ちくへい、1884年明治17年)1月1日 - 1949年(昭和24年)10月29日)は、日本海軍軍人実業家政治家。享年65。

群馬県太田市出身。海軍機関学校に入学し、飛行機に関心を持つ。任官後もその重要性を主張して、航空機関係の職務を歴任した。

1917年、海軍を大尉退官し、郷里の群馬県太田市に飛行機研究所を設立した。この研究所は、中島飛行機株式会社に改組される。名機といわれる九一式戦闘機、有名な「隼」や「紫電改」をはじめ126種の飛行機を開発し、太平洋戦争終結までに約2万6000機を生産した巨大な航空機メーカーとなった。
1930年、中島は衆院議員に当選し、政友会の幹部となる。第1次近衛内閣では鉄道相、東久邇内閣で軍需相(のち商工相)に就任した。戦後はA級戦犯に指定されたが、のちに解除された。

海軍兵学校出身の豊田穣『中島知久平伝 日本の飛行機王の生涯』(光人社NF文庫)を読んだ。中島は大艦巨砲主義を時代遅れとし、空軍独立などを唱えたが、容れられないとみると、自身の手で飛行機を開発する挙にでて成功している。中島の考えは、以下の通りだ。

・貧乏国日本が列強並みに建艦競争をつづけるのは、国費のムダづかい。そんなことをしていてはやがて行き詰る。
・能率的軍備に発想を切り替え、二艦隊(軍艦八隻)をつくる費用で、八万機の航空機を作るべし。

・米軍の大型爆撃機が量産に入れば日本は焼け野原になる

・経済的に貧しい日本の国防は航空機中心にすべきであり、世界の水準に追いつくには民間航空産業を興さねばならない。

不肖、爰(ここ)に大いに決するところあり・・・海軍における自己の既得並びに将来の地位名望を捨てて野に下り、飛行機工業民営起立を劃(かく)し、以ってこれが進歩発達に尽くす」

中島知久平をあらわす言葉は、この本の中に散りばめられている。不羈奔放。気宇壮大。巨視的で先見の明がある。雄大な構想を持つ愛国者。決断と断交。異才。大器。飛行機王。予言者。リアリスト。ロマンチスト。統率力とバイタリティ。、、、、

中島飛行機の創業者・中島知久平は、戦後は大型旅客機をつくり平和に貢献したい、と語っていたが、その時間は与えられなかった。またアメリカと同じように自動車の時代がくると予言し、自動車工業を盛んにすべきだと説いている。中島飛行機の技術と人材は、富士産業、富士重工業、そして現在のSUBARUにつながり、今日の自動車産業の隆盛に一役買っている。

日本は焼け野原となったが、日本の科学技術は欧米に劣るものではなく、「日本の復興は意外に早いと思う」と予言している。心理的敗北感をいつまでも持たないで、精神的にまいらずに、気持ちを復興させることを提言している。2022年現在の日本は1990年代初頭からの30年間で、デジタル時代に対応できず、精神的にまいっている状態になっている。中島のいうとおり、精神の復興から始めよう。