誕生日。ブックオフで新プロジェクト「幸福塾」の資料を買い込む。

1月3日は誕生日。孫のブックオフトイザらスに付き合ったので、ブックオフで「幸福」「幸せ」という言葉がタイトルについている本を手当たりしだいに集めて購入しました。古本であり、2割引きでもあったことから、10数冊で3600円という安さでした。

今年開講する「幸福塾」の資料です。小説、育児、調査、エッセイ、お金など、様々の視点から「幸福」を論じているので、大家の「幸福論」とは違った意味で、気楽に読んでみます。

f:id:k-hisatune:20220103182023j:image

ーーーーーーーーーーーーー

今日のヒント。日経一面「成長の未来図2」。1月3日。

・パーソル総合研究所と慶応大の前野隆司研究室。「幸せの実感が低い人が多い企業は減収が多かった」。

三菱UFJ銀行など有力企業が相次ぎ社内の幸福度を調べる仕組みを取り入れ始めた。

本の広告「復元力と幸福経営を生むリスクマネジメント」(上田和勇編著。同文館出版)(一面下)

ーーーーーーーーーーーーーー

世界最高齢認定。福岡在住の田中カ子(カネ)。1903年1月2日生。119歳。明治、大正、昭和、平成、令和の5代。身振り、手振りでコミュニケーション。大好物は炭酸飲料やチョコレート。(日経1月3日)。来年は人間の物理的な限界といわれる120歳になる。注目!

ーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」1月3日。三岸節子「画家は長く生きて成熟した作品を描くことこそが本領」

三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は、日本の女性洋画家。

愛知県尾西市生まれ。19歳、女子美術学校を首席で卒業。同年画家の三岸好太郎と結婚。29歳、夫が急31歳の若さで急逝。30歳、D氏賞。40歳、戦後銀座の日動画廊で個展。43歳、菅野圭介と別居結婚。48歳、離婚。49歳、渡仏し長男・黄太郎と会う。50歳、帰国。62歳、好太郎の遺作を寄贈し北海道立美術館が創設される。63歳、黄太郎一家と渡仏し、定住。69歳、ブルゴーニュに農家を購入。70歳、渡仏。78歳、北海道立三岸好太郎美術館が開館。81歳、勲三等宝冠章。85歳、朝日賞。87歳、三岸好太郎三岸節子典。89歳、女流洋画家初の文化功労者。93歳、尾西市三岸節子美術館が開館。94歳、逝去。

夫の三岸好太郎の北海道札幌の立派な美術館には2009年に訪問したことがある。31歳で夭折した画家だ。どうしてこのような立派な美術館があるのか、不思議に思った。この美術館は節子の62才の時に開館している。また節子自身の美術館は93才という亡くなる直前に開館している。夫婦そろって美術館があるおは珍しい。妻の節子は94才まで画業を続けているというように対照的な人生だった。

2010年4月には日本橋高島屋で行われた「没後10年記念 三岸節子展 心の旅路−−満開の桜とともに」をみた。最近発見された日記と代表作をからませながら展示するという好企画だった。「絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである」という言葉が印象に残った。

今回の企画展では最近発見された日記の文章を絵に添えるという試みが成功している。この画家は、画風をどんどん変えながら、長い生涯にわたって絵を描き続けたが、言葉にも心打たれるものがある。その言葉も年齢とともに記してあったので実感がわく。

  • 世に謂う安穏な暮らしというのが、私にとって一番の敵なのである。身を棄ててかかっているのである。
  • 骨を噛む悔恨と孤独。ギリギリの地点まで自己をつっ放して安心立命したいと希う。それをしなければ私は救われないのである。57才
  • 家族近親の面倒を見てそれが満足だというのか、なんと味気ないことだろう。60才
  • 私の運命は好んで困難な道を歩む。、、なんというむずかしい世界か、しあkしやり遂げねば。カーニュに死すともよし。64才
  • 絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである。64才
  • もっともっと深く掘り下げて、根元の自己をつかみだしてもっと根の深い作品を描きたい。広野の一本の大木のように何百年も生き続け生命力が得たい。68才
  • 新鮮な、シャープな、繊細な、ピリピリした花を描きたい、、、、痺れるような美しい花の絵を描いたい。72才
  • まだまだ生きている間は、一枚の作品に年齢相応の深い味わいを出してゆきたい。72才
  • 私には才能がない。ただ努力と根と運があるだけで今日まで歩いてきた。、、才能である。才能の不足である。73才
  • 私は人物が描きたい。最後の仕事は人物とゆきたい。92才

2022年の現在、私にはこの画家が、最後に人物画にいき着いたことに共感を覚える。