初の単著『コミュニケーションのための図解の技術』の電子版を刊行。

ディスカバーe-book選書、2022年の最初の新刊です。

1990年に刊行した私の初の単著『コミュニケーションのための図解の技術』の電子版。当時は「図解」によってビジネスのコミュニケーションを活発にしようという提言をした本は無かったので、ビジネス街や霞が関の官庁街で売れて、話題になりました。結果的に私の人生を一変させることになった記念すべき本です。

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これまでの“文字”による情報の伝達では、そのスピード、正確さにおいて、膨大な量の情報が溢れる現代の情報社会に対応できない。そこで登場するのが、「図解」によるコミュニケーションだ。図解の長所は一目で全体像が掴めること。ダラダラと文章で書かれた“通らない”企画書も、「図解」にすれば論点がパット目に飛び込む“通る”企画書に大変身。絵心のないアナタでも、図解で企画書が書けるようになるためのノウハウを新聞、雑誌の実例を使って手取り足取り教えます。(「BOOK」データベースより)

「なんとくなく、同じ著者の本を読んでみたくなり、図書館で見つけた本を読みました。いまさらながら、「知的生産の技術」研究会の一員だったんですね。その会の本拠地?が、以前、勤務していた場所に近かったので、心なしか親近感が。面白いと思ったのは図解の勉強への応用の効果でした。なんと言葉と図表で説明されたことは、5日後でも60%も覚えているらしいんです。言葉だけ、図表だけでは、それぞれ、10%と20%でした。中小企業診断士の勉強に活用しようと。でも、振り返ってみると、意識してなかったのですが、学習した事を図にすることはよくやっていました。いいヒントをもらったな。しかし、時間はかかります」。(Tulipaさんの書評)

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仕事始めで、近藤秘書とZOOM打ち合わせ。新しいプロジェクトの構想が多いので、忙しくなりそうです。

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レクサスの販売店で懇談。注文は多いが、生産が間に合わない。コロナ禍で半導体などの部品調達に問題がある。注文があっても、半年、1年かかる。

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今日のヒント

森茉莉「再び幸福になれた時、ほんとうを知っていることは自分にとっても人にとっても幸福な事なのだ」

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「名言との対話」1月7日。森茉莉「再び幸福になれた時、ほんとうを知っていることは自分にとっても人にとっても幸福な事なのだ」

森 茉莉(もり まり、1903年明治36年)1月7日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の小説家、エッセイスト。

東京市千駄木町生まれ。森鷗外と2人目の妻・志げの間に生まれた長女である。16歳から26歳までの間の二度の結婚に破れる。父・鴎外の印税期間が切れて、51歳から物書きになった。1957年、54歳で父・鴎外をテーマとした『父の帽子』で第5回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。小説では『濃灰色の魚』などを経て、『甘い蜜の部屋』(泉鏡花文学賞)、『恋人たちの森』(田村俊子賞)などがある。『森茉莉全集』全8巻がある。

『幸福はただ私の部屋の中だけに』(ちくま文庫)を読んだ。父・鴎外、室生犀星三島由紀夫の3人は茉莉にとって特別な存在だった。可愛がってもらた鴎外は最初の恋人であったし、犀星は文筆の師匠であり、そして三島は「無理に死んだ理由は私には明瞭にわかる」と書くほど親しくしていた。

森茉莉は、少ないお金で大いに生活を楽しむことができた人だ。それを「贅沢貧乏」と呼んでいる。同名の著書もある。

幼いころから父・鴎外の膝に抱かれていたこともあり、明治の文豪・森鴎外をもっとも身近にみた人である。母・しげは『舞姫』を読み、主人公・太田豊太郎に恋をした。そして見合いの相手が鴎外であり、結婚することになった。茉莉は父の小説は全部理屈でできているから、好きではなかった。鴎外は最初の1行も、最後の1行もわかっていて書いていた。父自身もそう思っていたはずだ、だから翻訳は情緒あふれるものを選んでいたと観察している。眼が三角で下がっていて、髭が上へはね上がっている、と鴎外の顔を表現している。また鴎外の原稿用紙については、白く、滑らかな洋紙で、丸い枠の中に西洋の女の横顔が透いてみえると書いている。白く、滑らかな洋紙とは、鴎外が「文机の塵はらひ紙のべて物まだ書かぬ白きを愛でぬ」と詠んだ「紙」のことである。

茉莉はむしろ父のライバルであった夏目漱石の小説が好きだった。ユーモアに満ちていて、面白い。上品な甘みのあるおかしみがある。この本を読んでいて、森茉莉の文章は父・鴎外の厳格でスキのない文章ではなく、滑稽をうまく描いた漱石を意識している感じがした。漱石のユーモア感覚と同じ匂いがする。

同時代の作家たちの寸評も面白い。田辺聖子井上ひさしが好き。北杜夫マンボウより自身を描いたものの方が好き。山崎豊子の構成力。与謝野晶子の見識。富岡多恵子の死生観。親分と呼ぶ花森安治親分の贈り物のうまさ。萩原朔太郎の長女・萩原洋子は親友。、、、

「カッコイイ」という言葉や、西郷輝彦舟木一夫の名前も出てくる。1987年の没しているから、森茉莉は最近の人だったのだ。

このエッセイ集には「幸福」という言葉がやたら多く出てくる。タイトルからして「幸福」のありかを示している。

「幸福」は茉莉本人の部屋の中だけにあった。ダブルベッドの上に必要なものは全部そろっている。かたわらに好きなものを置いて、好きなものに囲まれてる大きな幸福を堪能している。他人を幸福にしようとしている人が本物なら、自分自身が楽しいのだろう、という醒めた幸福観もある。

茉莉は恋愛小説を書くが、本人は一度も恋愛をしたことはないのだそうだ。結婚生活も単なる日常だに過ぎないと考えていて、そこには幸福はなかったのだろう。「何か書くようになったことは、私をずいぶん幸福にしたようだ」とも書いている。50代をむかえて、生活のためにやむなく文章を書いたことが森茉莉を幸福にしたのである。

「裸の人間」というミニエッセイでは「再び幸福になれた時、ほんとうを知っていることは自分にとってもひとにとっても幸福な事なのだ」と書いている。そして不幸が来たら驚かずに落ちついて、その手から素晴らしい宝石をもらうべきだ、という。その宝石とは「ほんとうの幸福」のことを指している。何も知らない幸福は幸福ではない。不幸を知った後の幸福こそ、本当の幸福なのだ。だから不幸はありがたいのだそうだ。

身の回りの小さな幸福を積みあげれば「大きな幸福」になるし、不幸は裸の真実を教えてくれるから、実は「本当の幸福」も連れてくるのである。森茉莉のそういう考え方によれば、幸福も不幸も、自分のとらえかたしだいだということになる。「不幸の力」を意識しようという幸福論は独特だが、その通りかもしれない。