東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」ー3・11とコロナ禍の違い。MMTとベーシックインカム。山本五十六の本質・評価・教訓。

16日(日曜日)の東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」。

以下、図メモです。

3・11とコロナ禍の違い。MMTベーシックインカム山本五十六の本質・評価・教訓。

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立川で整体。知研の福島さんとミーティング。1万歩。デメケン。

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今日のヒント 

・「ハッピー・リタイヤメント」(happyと幸福は同じ意味か?)

・前野隆司(慶應義塾大学大学院教授)「ハッピーは短期的な心の状態を表す感情。幸福は長期的なある状態。健康を含めた幸福ならウェルビーイング」。

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「名言との対話」1月17日。細川隆元「悪友は善友に優る」

細川 隆元(ほそかわ たかちか、1900年1月17日- 1994年12月19日)は、日本の政治評論家・衆議院議員

熊本県熊本市出身。五高を経て東京帝大を卒業し、朝日新聞社に入社。政治部長、ニューヨーク支局長、編集局長を経て、1945年参与。1947年に社会党から衆院議員に当選、片山内閣の渉外部門で活躍した。次の選挙で落選。以後政治評論家として活躍。1958年から始まったTBSの「時事放談」は1987年3月まで30年間続き、時局時世をその鋭い舌鋒で切りまくり人気を集めた。

中教審や宇宙開発審などの委員を多数歴任し、政府のブレーン的役割も務めた。著書は「昭和人物史」「実録朝日新聞」「田中義一」「朝日新聞外史」「戦後日本をダメにした学者・文化人」「隆元のわが宰相論」「男でござる」(全2巻)「天皇陛下と語る」など多数。(出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)から)

『隆元のはだか交友録』(山手書房)を読んだ。交友の相手は多彩だ。

越路吹雪吾妻徳穂飯田蝶子藤田小女姫河野一郎佐藤栄作。佐藤弥。橋本登美三郎。保利茂緒方竹虎小汀利得。今道潤三。伊志井寛。伊牟田直敏。末延三次。矢次一夫。

秘密の話、名誉にかかわる話も多い。ここに紹介された男たちはほとんどが悪友だといえるだろう。以下、面白いところ。

武原はんは大仏次郎の彼女だった。

霊感の美女・藤田小女姫に占ってもらったら、「あなたは一生涯金はたまりません。そのかわり、ほしいと思う時は自然に金が流れてきます」といわれたという。

朝日新聞同期入社の河野一郎はから、裏口入社で入ってきたんだといわれる。

佐藤首相は「僕の内閣は2年もつだろうか」と僕に聞いた。

池田勇人総理の浮気による家庭騒動のさわり。
小学校時代の恩師から得たものが大きく、「体の中に滲み渡るような教えというものは、小学校教育にあるのではなかろうか」と述べている。

佐藤栄作は、大変律儀で友情に厚い人柄の持ち主であった。友人、知人への叙勲の話。
熊本済々黌に入学し野球の選手になった。ライバルは熊本中学である。川上哲治済々黌に入ろうとして落ちてしまい、やむなく熊本工業学校に行った。野球の神様・川上に影響を与えたことが自慢。

支那」という言葉は、chinaからきており、悪い意味ではなく、尊敬のニュアンスを含んだ言葉である。

朝日新聞の先輩の方竹虎から「下品な手は絶対遣ってはいかん。堂々とタネを取れるだけの頭と信用を得ることが大前提だ」と教えらえた。朝日の若い村山社主は緒方に対する嫉妬心があった。

細川隆元で思い出すのは、何といっても小汀利得との「時事放談」だろう。

小気味よい語り口で、政治、経済、外交等を切って切って切りまくる名物対談であり。わたしも楽しんだクチだ。毎週土曜日に30分の間に2人で話す。この二人の番組は13年間続いた。その後も相手を変えて長く続いている。

1957年7月から日曜日のTBSの早朝番組として放送され、朝日新聞出身の細川隆元日本経済新聞出身の小汀利得の歯に衣着せぬ毒舌が評判を得ていた。小汀は1970年6月7日放送分で番組を降板。以降は、細川と藤原弘達、土屋清、加藤寛斎藤栄三郎らなど国会議員や政財言界の主要人物らを招いた。30年目の1987年3月に同放送を終了した。以後は『日曜放談』と題して1992年3月まで放送された。

「悪友は善友に優るというのが、僕の人生観だ」は、「まえがき」の冒頭に記されている。細川によれば、善友は互いにいい面だけの交友であり、ありがたい友達としている。淡々とした交友が続く。悪友はたやすくつくれるものではない。相手を救ってやろうと真実の友情が湧きおこる友である、ということになる。

善友は、荘子のいう「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」の君子の交わりを指しているのだろう。醴はあまざけと読む。甘酒のことだ、

悪友とは何か。悪いことを一緒にする仲間、遊び仲間、愉快な友、というほどの意味がある。もっというと、心を許した友という意味合いが強い感じがする。

善良な友人、益がある友人を示す善友よりも、悪友の方が大事だということになる。悪友という言葉の中には善友よりもやや格の落ちる良友の意味も入っていると考えるべきなのではないだろうか。

 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)