久恒啓一の「幸福塾」、開講です!

「幸福塾」が始まりました。初回は13人が参加。今日はオリエンテーション

  • ◎幸福学が求められている。
  • 〇日本は人口減少社会へ。成長から成熟社会へ。価値観の転換!
  • 人生100年時代(2050年)。どう生きるか?  ライフデザイン?
  • 〇コロナ禍で、自分自身の生き方の眼が向いた。仕事(公人)から、家族(私人)、何を残すか(個人)への流れへ!
  • 〇自分なりの幸福論(人生論のこと)がなければ生きていけない時代になった。
  • 〇「幸福」という言葉を見かけることが多くなった。
  • 〇新しい「幸福論」(「幸福学」)が求められている! (宗教への関心、スピリチュアルの隆盛、殺伐とした事件、親子関係、孤独、自殺の増加、、)
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  • ◎「幸福塾」の建付け
  • 月2回が原則。水曜日20時から2時間。投げ銭方式。参加型の運営。
  • 1時間:講義。古今東西。歴史上の人物。著名人。仏教。論語など中国思想。西洋の宗教者、哲学者、著作家、、、。
  • 1時間:各人の収集した「幸福へのヒント」の披露と話し合い。
  • 毎回、FBグループの「幸福塾」に学びを書き込むことで学びの共有をはかり、自身とグループ全体の学びを深めていく。

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note 久恒啓一の「幸福塾」https://note.com/metakit/m/mf75a06e13b64

 

以下、参加塾生の「本日の学び」。

  • 幸福塾、オフィシャル第1回参加しました。みなさんありがとうございました。昨年までのおさらいとして、ヒルティの幸福論から始まり、久恒先生の年始からの「幸福」に関係する言葉、論説の収集の披瀝まで、様々な視点から幸福について考えていきました。なかでも、今後社会的に「幸福論」のニーズがどんどん高まっていく、という将来ビジョン、その根拠として成長から成熟社会へ向かっていること、人生100年時代に差し掛かってきたこと、コロナによる価値観の大転換が起こっていることを挙げられ、公人、私人、個人というそれぞれのドメインにおいて、公人(仕事人としての自分)だけでいいのか、私人(家族関係の中での自分の立ち位置、役割)への気付き、そして日本人の最も弱い、個人(自分とそのアイデンティティ)の確立がますます重要になってきているのだ、という本講座の大前提が印象に残りました。異なる価値観から、今後、どのような「幸福」感、幸福「論」が出てくるのか、楽しみです。
  • ご縁に導かれ、幸福塾で学ぶことになりました。「価値観に沿って生活することが幸福である」が印象に残っていて、確かに自分が一番大切にしていることと共にいられることが幸せであることは、頭で分かる。だけど、それを実感できているかと言われると、微妙なところです。幸せを求めて生きているのが人間、ということは幸せは求めてもいいものだとも言えます。求めることにOKを出せる自分であるためにも、揺るぎない自分の価値観を見出していきたいです。生き様からたくさん学び取ります。
  • 本日の幸福塾に参加いたしました。ありがとうございました。前回までのお話を聞き、やっぱりアランの上機嫌療法が気になり、自分の不幸は人に言わない、悲観主義は気分、楽観主義は意志。三木清さんの「人生論ノート」。機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、幸福はつねに外に現れる。ということとつながるなぁと、思いました。また、コロナ禍ではの大きな時代のテーマとして、幸福のヒントを求めている、幸福になろうとする人々の戦い。実現した人が偉人。その生きざまを学ぶことで、幸福について考える。自分の価値観を考える。ことになるのではないかと思いました。毎日、幸福のキーワードへのアンテナたてて過ごしてみようと思います。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 皆様ありがとうございました。幸福塾第1回目は、過去3回のプレ幸福塾のおさらいと絡めて、参加者それぞれの感想に対して、久恒先生が話題や視点を膨らませ、今回の塾の形でもある参加型の形式がイメージできる初回の講座でした。価値観に沿った生き方をできることが幸せ」という意見にとても共感し、「価値観とは自分が一番大切にすること」と表現しなおしていただいたときに、一人のひとにとっても大切にすることは今おかれている環境によってある程度の振れ幅はあるだろうと思うと、幸福は年齢を重ねる中で変化してくるのもある意味当然ではないかとも感じました。次回の講座で、自分の幸福アンテナにかかった幸福のヒントになる言葉を持ち寄る宿題がとても楽しみです。
  • 今日も幸福塾、ありがとうございました。今日、印象に残ったのは1月1日から18日まで毎日拾われた幸福に関する言葉の多様なことでした。参拝の時の言葉、日経の成長の未来図、中国の幸福観、幸福寿命・・・・昔の偉人の言葉もいいですが、こうした現代の私たちを取り巻く様々な幸福に関する言葉から、私たちの生き方を考える手がかりをつかめるのではないかと思いました。また、「ウェルビーイング」という言葉に関して気づかせていただいたのは、カタカナ言葉の曖昧さには注意しなければいけないということでした。ビジネスの世界でもそうだし、教育界も実は「ウェルビーイング」だけでなく「コンピテンシー」「エージェンシー」などカタカナ言葉が流行っています。今後自分が説明できないものは使わないように気を付けたいと思います。今後の幸福塾は後半が参加型になるということで、楽しみですし、宿題に限らずアンテナを張っていい言葉を集めようと思います。
  • 「幸福塾」第1回目、ありがとうございました。幸福に関係する言葉もたくさんあり、それぞれに微妙なニュアンスの違いがあって、面白いと思いました。幸福、ハッピー、幸せ、well-beingなど単語を拾っていくだけでも、同じ語感のものはなく、このテーマの幅の広さ、奥行きも感じました。また、幸福について考えることは人口減少社会と関係があるという視点は、改めて新鮮でした。確かに、人口が増え経済的に成長していた時期よりも、今のほうがより精神的な豊かさに価値を感じることが多い感じます。次回の幸福塾までに「心に残った幸福へのヒントとなる言葉」を拾って参ります。どうぞ宜しくお願い致します。
  • 本日の幸福塾、ありがとうございました。幸福という言葉に惹かれるのは、自分がそうありたいと願うからなのか、人にそうあって欲しいと願うからなのか、その両方か。人の様々な価値観(人生で一番大切にしたいこと)を知ることの積み重ねが、自分の多様性を深め広げていくのかもしれないと、改めて感じました。大変楽しみにしております。
  • 久恒先生、塾生の皆様、本日もお疲れさまでした。「幸福塾」第1回目に参加し、まっさらな状態で皆様と一歩目の足跡を印す事ができ、先ずはこれこそ本日最大の「倖せ」と記したいと思います。相変わらずの勢いで滴り落ちる先生からの情報「シャワー」もさることながら、様々なフィールドから参集された塾生の皆様からは様々な視点からのコメントが出るわ出るわの勢い。私はそれをメモする「防戦一方」な、脂汗だらだらの2時間を過ごさせて頂きました。集めた言葉を組み立てると…①今、皆が不安な心持ちで過ごしている環境(時代背景)には次の2つが有り、②先ずは外的に「価値基準が多様化」して『迷い』に陥る(下手をすると中傷に走る)ものと、③もう一方は「成果主義」や「コロナ」環境のもと内的な『遮断』に陥る(下手をすると巻添え自殺)もので、共に「私って何?」と自分の存在(意義)を求めている。④この「欲求」を満足する為には他人様と自分の「生き様」を互いに見る「俯瞰」が欠かせず、⑤これをドライブするものは「教養」と「努力」であり、⑥何よりもこの状態に誘導する「素直な心」が必要不可欠。…このような思考のもと、まんだらを作図致しました。ご笑納頂けましたら幸いです。また、某アニメーション映画で印象深い「善き哉」(よきかなぁ)の言葉を添えました。2週後の次回に向けて、各自の「倖せの気付き」を持参する旨、早速宿題も頂き、垂直立ち上げの勢いで、ワクワクです。次回も宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 昨晩は、「幸福塾」に参加させていただきありがとうございます。帰宅後買ってあった「週刊文春」の年末年始号を確認しましたところ、先生が仰っておられた小林武彦先生の対談記事は、池上彰さんとのものでした。小林先生のことは存じ上げませんでしたので、これを機に関心をもつようにします。これも塾受講の役得です。

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今日のヒント。アンブローズ ・ピアス「悪魔の辞典

「幸福とは他人の不幸を見てわきあがるここちよい気持ちだ」

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「名言との対話」1月19日。水原茂「問題があるときに必要とされるのは、利口者ではなく信頼できる人」

水原 茂(みずはら しげる、1909年1月19日 - 1982年3月26日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・監督・野球解説者・野球評論家。
現役時代は東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ)で活躍し、引退後は巨人、東映フライヤーズ中日ドラゴンズの監督を歴任した。巨人監督時代の在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝き、セントラル・パシフィック両リーグでチームを日本一に導いた(セ - 巨人、パ - 東映)。日本プロ野球史上の名監督だ。

 現役選手であった1942年に兵隊に取られ、シベリア抑留を経験した。7年後にようやく帰国し、そのまま巨人・大映戦が行われた後楽園球場で観客に「水原茂、ただいま帰ってまりました」と感動的な挨拶をした。7年間のブランクのため、選手としての記録はあまりないが、水原は野球を熟知しており、監督としての記録は輝いている。

水原茂と三原侑の二人は水原小次郎と三原武蔵と並び称された、いわれた永遠のライバルだった。実力の拮抗した好敵手の存在がプロ野球を盛り上げた。

水原茂を深く知るために、野村克也『私が選ぶ名監督10人ー采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。

名将・野村が高い評価をしているのは、「三原魔術」の三原脩、「血も涙もない勝負師」水原茂、「親分・子分の精神野球」の鶴岡一人の三大監督だった。さらに「人間教育をした」川上哲治、「幸せな名将」西本幸雄が加わっている。

野村は日本プロ野球史のなかで水原茂をこう評している。納得させて選手を動かすタイプ。勝つためにはどうしたいいか。選手への接し方や勝利に対する意思については一本芯が通っていた。上を向く選手には温情もあった。5年連続セ界を制した「巨人の第2期黄金時代」。水原の背番号「30」はアマチュア野球の監督の背番号という伝統。進取の気性。

野村克也は、選手として、監督としてともに一時代を築いた野球人である。さらに野球に関する文筆活動で、プロ野球界に大きな貢献をしている。内部で起こっている人間ドラマや野球世界を存分に描き出したことは、だれにもできなかったことだ。

プロ野球に人はなぜ熱狂するのだろうか。猛者ばかりの集団が織りなす戦国の世は人生の縮図である。そこには実力と運に支えられた栄光と敗北の物語がある。この集団を率いる監督たちは日本的リーダーのあり方を教えてくれる。問題が起こったとき、誰と心を割って相談するか。頭がよいアイデアマンか、そうではない。心から信頼する人である。水原茂はその機微を知っていた。

 

参考。