「50代で現在と未来の自分を知る「キャリア自分史」のつくり方」ー幻冬舎オンライン、ヤフーニュース。

新著『50歳からの人生戦略は「図」で考える』を書いている時に、自分の歴史を「自分史」と呼ぶが、仕事における自分史は何と呼んだらいいか。

「仕事史」ではないかとか議論しているうちに、「ビジネス自分史」というアイデアが浮かんだ。そのまま「ビジネス自分史」をテーマとする本を書いたことがあります。

昨年の編集者との議論の中で、「キャリア自分史」といういい言葉が浮上し、こちらを使うことになりました。自分史、仕事史、ビジネス自分史、キャリア自分史と進化してきました。

連載「50歳からの人生戦略は「図」で考える」の18回目「キャリア自分史」が、「幻冬舎オンライン」と「ヤフーニュース」で本日流れました。

幻冬舎オンラインで本日配信。

50代で現在と未来の自分を知る「キャリア自分史」のつくり方 | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン

ヤフーニュースで本日配信。

50代で現在と未来の自分を知る「キャリア自分史」のつくり方(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース

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これからのキャリア目標を考える図解

■「人生テーマの発掘」は〝土台〞、「ライフデザインの構築」は〝舞台〞

前回まで(第14回~第17回)は、人生鳥瞰図の前半のパート、「人生テーマの発掘」について説明しました。ここからは、人生鳥瞰図の後半のパート、「ライフデザインの構築」について説明します。

「ライフデザインの構築」は、3つのプロセスで構成されます(図1)。

キャリアは「仕事歴を中心とした学習歴、経験歴の総体」です。

まず、キャリアづくりの3領域である仕事歴、学習歴、経験歴について、自分のキャリアストーリーを振り返り、過去から現在に至る軌跡を深掘りする「キャリア自分史」を作成します。

次に、未来に向けて「キャリア目標」を立てる。そして、将来の夢をイメージして「天職への道」を探るという展開です。

「価値観」や「自分像」を明らかにした「人生テーマの発掘」のパートが、自分の〝生き方の土台〞になるとすれば、「ライフデザインの構築」は、仕事歴、学習歴、経験歴という領域でどのようにキャリアを積み上げ、人生を完成させるかという、〝生き方の舞台〞になるといえるでしょう。

久恒啓一氏の著書『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)から引用。
 

まずは、「キャリア自分史」の作成です。

自分が歩んできた道のりを総括する自分史の作成は、あらゆる世代にとって必要となる自己確認の作業です。

自分の将来を考えていくには、現在の自分を知る必要があり、現在の自分を知るには、過去から現在に至る自分の歴史(自分史)を掘り起こす必要があるからです。

過去から現在に至る集大成が現在の自分です。単に記録として残すのではなく、現在の自分を知り、そこから未来を展望するために、自分史づくりが必要なのです。

「キャリア年表」で自分自身を掘り下げる

■「仕事歴」「学習歴」「経験歴」を軸にキャリアを振り返る

「キャリア自分史」は、これまで積み上げてきた仕事歴、学習歴、経験歴をもとにして、現在の自分の姿を浮き彫りにするものです。

まず、自分の過去を掘り起こすための資料を集めます。過去の手帳や日記帳、名刺ホルダー、年賀状や手紙、写真、電子メール、さらに学生時代についても振り返るなら、卒業アルバム、成績表、卒業文集なども役立つ資料です。

これらを参考にしながら、自分の歩みを年表形式でまとめていきます。

年表は横軸に「年」と「年齢」をとります。そして、縦軸には「時代/節目」「社会や会社の動き」「仕事歴」「学習歴」「経験歴」をとります。

「時代/節目」の項目には、そのころ所属していた部署や役職などを書き込みます。「社会や会社の動き」は、その当時に起きた大きな事件や社会現象、社内に関しては、歴代社長、経営上の特筆事項などを記入していくと、記憶をたどるときの目安になります。

キャリアについては、「仕事歴」「学習歴」「経験歴」の3つの軸に分けて、過去の自分を多角的に検証していきます。

 

■事実の列挙ではなくストーリー性を持った年表にする

「キャリア年表」は、これまでの歩みをキャリアストーリーとして振り返り、自分自身を掘り下げるためのものですから、単に時系列に沿って事実を羅列していくだけでは、ストーリー性は生まれません。

たとえば、「仕事歴」には、そのときの役職だけでなく、課せられたミッションなども簡潔に記入しておきます。完成した年表を見ると、自分自身がどのように成長し、キャリアを発展させてきたかが俯瞰できるはずです。

「キャリア年表」は、毎年成長し、年輪を一つまた一つと重ねて生きた証しです。変化の速いビジネスの世界だからこそ、年表を一度完成させただけで満足せず、定期的に作成していく継続性が求められます。

そうすれば、3年前の自分、あるいは、去年の自分とどのように変わったか、第三者の視点から相対化し、客観的に評価することもできるでしょう。もし、読者が40代前半であるとすれば、50代が近づいたとき、自分はどのような人生戦略を立てればいいのか、課題が姿を現してくることでしょう。

私の40代のころの仕事の動きの全貌を記述した年表(図2)を例として載せておきますので、参考にしてください。

久恒啓一氏の著書『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)から引用。
【図2】キャリア年表(40歳代)記入例 
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日経文化欄。コロナ禍の思想①若松英輔(批評家。東工大教授。1968年生)

  • 価値観を変え、社会の諸問題もあらわにした。
  • コロナ前に我々は「私」の幸せを考えて生きてきた。
  • 「私」でありながら「私たち」でもあるという道。
  • 何かを所有すること幸福の条件とする生き方。これから必要なのは発見型の幸せだ。
  • つながりと交わりの意味。もっと独りの時間を深め、そこから多くを学んだ方がいい。つながりの大切さを感じるのは、いつも独りのときなのだ。

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  • アイフォン13プロを買った年末にソフトバンクからauに乗り換えた。今日auからUQへ乗り換えて、通信料が劇的に下がった。知識は金なり。
  • iPad。手描き。知的生産性。宮古島
  • イギリス。マレーシア。韓国。ポーランドベトナム
  • 1万歩。

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「名言との対話」1月24日。松村謙三「隻手妖気を払う」

松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年明治16年〉1月24日 - 1971年昭和46年〉8月21日)は、昭和日本政治家。88歳で永眠。

富山県出身。早大卒。報知新聞記者、富山県議を経て1928年衆院議員。第2次大戦大政翼賛会政調会長、戦後東久邇内閣厚相兼文相、幣原内閣農相。公職追放をうけたが1951年解除。1953年改進党幹事長、1954年日本民主党結党に参加、1955年文相。1959年自由民主党総裁に立候補したが敗れ、以後反主流を貫く。
日中国交回復に努力、1962年以降しばしば訪中。とくに日中貿易(日中覚書貿易)に大きな役割を果たした。1969年政界を退くまで衆院当選13回。(出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて)  

佐高信『正言は反のごとし 二人の謙三』(講談社文庫)を読んだ。二人とは清廉の政治家であった松村謙三と、18歳年下の河野謙三である。どちらも保守党内の少数派であり、息子を後継者にしなかったことが共通している。この本のエピローグの中で、人物論の名手、あるいは狙撃手である佐高信はエッセイストの青木雨彦の「子どもに継がせることに熱心な職業もある」、それは「政治家と医師と芸能人」という言葉を紹介している。私も青木の慧眼に感服した。

「正言は反のごとし」とは、反対を唱えているようにみえる言説は、実は正論なのだという意味だろう。中国に対する反対論、警戒論が多い中、批判を恐れず日中関係の改善に骨を折った政治家としてあがるのは、まず高碕達之助松村謙三である。この二人の信用によって、辛うじて今も日中関係の糸がつながっているのである。

以下、松村謙三の言葉。

  • 批判のない政治は堕落だ。
  • 民主政治は英雄の政治ではない。平凡な政治、誤りのない政治、清潔な政治だ。
  • 隻手妖気を払う。
  • やむをえない環境にあったにせよ、1人になっても軍部に抵抗して所信を貫けなかったことは自分の生涯に汚点を残した。
  • 「愛憎英雄の跡を誤らんことを祈る 一穂の寒灯此の心を知るあり」。人間の愛と憎しみ。それは英雄の末路を誤らしめることがあるが、私はそれを恐れる。畑の中に見える小さな灯火には、私のこの心がわかるであろう。
  • 絶対に闇米を買うな。配給で我慢してくれ。正しい政治を行うには、まず、自らが正しい生き方をしなければならない。父を助けると思って、闇米を買わないでくれ。

二人の謙三は退き方もきれいだった。松村は郷党の支持が強く引退は容易ではなかったが、86歳で惜しまれながら自ら引退する。河野は衆院議長3選の誘惑を断って議長の座を自ら降りている。

幕末の傑人・河井継之助は「人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四字でございます。そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の力をかりずともよく、自分でできるもの」と「出処進退」の心構えを語った。その伝統の中に二人はいたのである。私もそれを意識して生きてきたので二人の生き方に共感する。

松村は『三代回顧録』の序文で、「生を受けて80年、私は慈悲深き父母に育てられ成長し、学窓にあってはよき師、よき友に恵まれた。社会人となっては、よき先輩の指導、友人の交誼に接し、今これらの人を思い出す時、私の人生はこの上なく幸福であった」と生涯を回顧している。やはり引き際の良さが、この幸福感を招いたのだろうと思う。

松村には多くの名言があるが、今回は「隻手妖気を払う」を採りたい。弱い力しかない片手でも、妖気漂う空気を払いのける決意を示している。少数派、反主流を貫いた「正言」の人らしい勇気ある心意気に感銘を受けた。

この本では、もう一人の謙三、河野謙三にも興味を持った。調べよう。