石原慎太郎が本日死去というニュースが流れた。享年89。小説や政治家としての発言ではなく、『弟』『私の好きな日本人』『真の指導者とは』など、この人の人生論の本が好きで、よく読んできた。このブログに書いた文章をピックアップして追悼します。
- 石原慎太郎「親しい誰かの訃報で感じる高揚感は残酷なものかもしれないが、自分はまだ生きているという密かな生き甲斐をさえもたらしてくれる」。(日経新聞)
- 石原慎太郎のベストセラーに石原裕次郎のことを書いた『弟』という作品がある。作家と俳優というこの二人の年齢差は二つ。この作品を読むと兄の目から弟や弟との関係を描いていて、共感を覚えるシーンが多々あった。私の弟にも読むことを勧めた記憶がある。仲間、ライバルなど微妙な二つ違いの関係や感覚を描いた傑作だ。
- 石原慎太郎が東京都知事時代にオリンピック誘致を呼びかけるときに「一緒に楽しい夢を見ようじゃありませんか」というメッセージを都民に送ったことがある。「同じ夢をみようじゃないか」は、現状突破のために人々を鼓舞する強烈なメッセージだ。
- 石原慎太郎「究極の目的を設定するのはナンバー1の仕事だが、それをいかに実現するかという、ハウツーを考え出すのはナンバー2の仕事である。またその下にいる参謀たちの仕事です」。
- 石原慎太郎(文芸春秋8月特別号から) 「僕が行政に関わるなかでいろんなアイデアを思いつくのは、やはり片方で小説を書いているからですよ。」
- 石原慎太郎『私の好きな日本人』から「「歴史の原理を踏まえ、それぞれの感性に応じて眺めれば、過去の歴史を形作ってきた先人たちの中に数多くの自分自身の分身を見つけることが出来る」「かくも多くの素晴らしい、好きな日本人を持つことが出来たのは、日本人として至福なことだと思う。そしてそれこそが、歴史と人間の関わりの本質に違いない」
- 石原慎太郎『真の指導者とは』。いかなる組織や集団も率いる指導者の資質と能力の高低によってその運命が決まる。指導者なき現代の日本において指導者はいかにあるべきかを論じた問題提起の書だ。ちまちました組織論を真のリーダーは超えてゆくことができる。気概を持った一人の人間が組織を動かすことができる。歴史上の、あるいは現代の傑物たちの叡智のこもった言葉と、石原慎太郎自身の放つ言葉を選んでみた。トインビー「国家の衰亡につながるいちばん厄介な要因は、自分で自分の物事を決めることができなくなったときだ」。サッチャー「物事は決断しなきゃだめよ。政治家のエクスタシーは決断にあって、決断がない政治家はだめ。それができない政治家は政治家に値しない」。アンドレ・マルロー「日本人というのは、世界の中で唯一、永遠を瞬間的に把握することのできる民族だ」。アラン「楽天主義は意志の所産だが、厭世主義は人間が自己を放棄したときの状態である」。マキャベリ「決断力のない君主は大概みんな中途半端な中立の道を選ぶ。そしてその大方は滅びていく」。マーヴィン・トケイヤ(ユダヤ人)「ユダヤ人の教育の最大の目的は、新しいものを創り出す個性的な力を持った人材を育てることにある。このために自立した人間を創らなければならない。これが人づくりである。」。毛沢東「主要矛盾と従属矛盾」。長尾芳郎(名鉄百貨店会長)「初対面のときに、自分と他人との人間関係を得意げにべらべらしゃべる者はほとんど信用できない。あるいは、相手の話を何度も重ねて縦にずっと見ると、いつも同じことを言っている人は信用していいが、どこか筋が違ったり、話の内容が変わっていくのは眉唾だ」。松下幸之助「第一の経営哲学、経営理念が確立できれば、まず五十点で半分成功したのと一緒」。福田和也「幼稚な人間とは、何が肝心なことかがわからぬ人間、かつまた肝心なことについて考えようとしない人間こそ幼稚な人間なのだ」。川渕三郎「いま時期尚早とという人は、百年たってもなお時期尚早というでしょう」。福沢諭吉「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」。司馬遼太郎「日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか。これを民族の能力をかけてやらなければいけない。」。石原慎太郎「主張のない者に相手が敬意を抱くわけはないし、価値を認めるわけもない」「マージャンのゲームとしての優れた特性は、いつんも自分と相手と比べて考える。自分を相対的に捉え、自らの可能性を打診していくというところにある」「政治学者というのはみんま気のきいたようなことをいうが、学者が政治をやったらその国は簡単に滅びてしまうぐらい、実は彼らには現実感覚があるようでない」「究極の目的を設定するのはナンバー1の仕事だが、それをいかに実現するかという、ハウツーを考え出すのはナンバー2の仕事である、またその下にいる参謀たちの仕事です」「そもそも日本はマーケットを「市場」と訳すべきではなかった。「戦場」とでも訳しておけば、いまの日本の体たらくはなかったかもしれない」「幸せの本質とは、つまり石原慎太郎という人間が一生をかけて純粋に石原慎太郎になりきることにしかないと思う」「あの巨きくもろく可愛かった、私の人生の中を通り過ぎていったひとりの懐かしい男」 (中川一郎への弔辞)」「なれるなら岡本太郎になりたい」。
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今日のヒント 石原慎太郎
「幸せの本質とは、つまり石原慎太郎という人間が一生をかけて純粋に石原慎太郎になりきることにしかないと思う」
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BSで『ハチ公物語』。仲代達也、八千草薫。上野英三郎博士とハチ公の物語。
1万歩。
田原真人さんの講座に耳だけで出没。
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「名言との対話」2月1日。子母澤寛「これから更に30年後も、いや50年100年の後ちも、この話は話なりに今と同じく少しの古さも感じさせずに生き生きと残っていくだろう」
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は、日本の小説家。
北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。
明治大学卒業後しばらく釧路や札幌などで地方紙や木材会社に勤める。1918年再度上京して読売新聞社会部に入り、1926年東京日日新聞に転じた。在社中から遊軍記者として、「聞き書き」スタイル記事を書いた。
新選組の隊士らの実相を描いた『新選組始末記』(1928)、『新選組遺聞』(1929)、『新選組物語』(1932)の三部作を完成。1933年から作家専業となる。
高橋泥舟を描いた『逃げ水』(1959)、勝小吉・麟太郎(海舟)父子を描いた『父子鷹』(1955~56)、『おとこ鷹』(1960)など幕末遺臣と江戸への挽歌を描いた一連の作品により、1962年に菊池寛賞を受賞している。
子母澤寛『味覚極楽』(中公文庫)を読んだ。
「耳学問」という項に、高村光雲から江戸の話を聞き、それから幕末史の諸先生をぐるぐるまわって『戊辰物語』というタイトルで新聞連載を書いている。「わたしはいい耳学問をしている」と書いている。「聞き書きの名人」とされる子母澤の書いた幕末ものの著作は司馬遼太郎などが参考にしたといわれる。その秘密はここにあった。
さて、この本は、1954年から1957年にかけて「あまカラ」誌上で好評連載した文章に、高村光雲、ボース、鈴木三郎助、尾上松助ら各界32人の食通の印象記などを補筆して出版したものだ。連載は聞き書きである。
酒は飲まない、そして田舎ッぺえを自認する子母澤寛であるが、「聞き書き」の後に加えた人物エッセイと自身の感慨がなかなか読ませる。
上司の小野賢一郎とのやりとりも面白い。90近い大倉喜八郎老人の自宅での昼飯で酒2合を含む大食に驚いている。鰻は蒲焼より鰻丼の方が好き。昨日取り上げた食通の作家・小島政二郎の名前も出てくる。、、、、
『新選組始末記』を代表作とする子母澤寛は、聞き書きの名人であると同時に随筆の名手であった。この本は「味覚」をテーマとしているが、味のある人生論の名品に仕上がっている。「「味覚極楽」ももはや古典だという。当時末輩の一記者梅谷もすでに老朽作家の部に入った」と自分を表現している。本名は梅谷松太郎という。
「序」には、この連載は生涯のいい仕事であったと振り返っており、「30年後、いや50年100年の後も、この話はこの話なりに今と同じく少しの古さも感じさせずに生き生きと残っていくだろう」と書いている。この「序」を書いたのは昭和32年(1957年)だ。30年後は1987年、50年後は2007年、100年後は2057年である。65年後の2022年に私がこの文章を書いているから、子母澤寛の予言は当たっていることになる。