久恒啓一「幸福塾」の3回目ーー「天職」の後半:内藤寿七郎。大川慶次郎。江上波夫。浪越徳治郎。粕谷一希。山口誓子。笠智衆。朝倉摂。高野悦子。伊丹十三。児玉清。新藤兼人。山本作兵衛。

「幸福塾」の3回目。テーマは前回に続き「天職」。岩手、宮城、山梨、大阪、東京、神奈川などから参加しています。

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以下、レジメから。

◎2週間の学びから。二つの世界(人間と自然)

モンテーニュ2月2日。アドラー渋沢栄一2月4日。勝間和代2月6日。八木重吉2月8日。人間関係! 〇浅田次郎2月9日:自然! 〇養老孟司2月5日。「二つの世界」!!。人間界と自然界(散歩、登山、旅行。俳句、絵、写真、、)

〇「山本作兵衛」展東京富士美術館創価学会)。炭鉱労働者。世界記憶遺産。2011年。ブログ2月13日。65歳から92歳。2000枚以上。遅咲き。モデル。記録、記憶、記録、記憶。見たもの、体験したこと。子どもと孫へ。使命。ライフワーク、天職。

◎天職2:天職(天が命じた仕事)についている人は幸福。前回は本人の言葉。今回は私の観察。内藤寿七郎。大川慶次郎江上波夫浪越徳治郎粕谷一希山口誓子笠智衆朝倉摂高野悦子伊丹十三児玉清新藤兼人

◎塾生の発表と交流:1時間。

以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。幸福塾は3回目を数え、恒例である先生からの「偉人の言葉」シャワーはもちろん、塾生個々が持ち寄った「幸せの気付き」も多数寄せられ、予定時間オーバーの大変充実した回と相成りました。拾い集めた言葉からは、偉業への様々なプロセスがある事に改めて気付かされます。「たまたま目の前にある課題にこだわり続けた」「不本意な中自ら違う視点を見出し開拓した」「ヒトとの出会いにより成長した」などナド。その中で共通しているのは「継続」の過程で「経験を積む」こと、その間愚直に「価値有るコト・モノ」を追求すること、「チャンスを逃さない」こと…。またこれを成す為には経験の深さのみならず、幅広さによって使える「引き出し」の数が増す毎に「観察眼」が養われる、故の「二刀流の価値」とか…。う~んなかなか心掛けるべき事柄は多岐にわたり、見上げた石段の頂上は遥か彼方の感でへこたれそうです。深刻に構えず、先ずは目の前の課題に小さな成功を積み重ね、都度俯瞰して自分の姿を確認する、こういう小さな達成で得られた「幸せ」をたくさん積み上げて行きたい、その為、やはりその原資として「あっけらかん」「気にしない」「上機嫌」のマインドは大事にしたいと考えております。次回も宜しくお願い致します、ありがとうございました。
  • 久恒先生、みなさま、幸福塾の講義ありがとうございました。前回に続き「天職」というテーマからの幸福についてのアプローチで、興味深い内容でした。前半にご紹介頂いた人物の中で、強く印象に残ったのは「山本作兵衛」でした。炭鉱夫として長く働きながら、仕事の記録を多くの日記やメモに残し、これを元に65歳から92歳までの27年間で2000枚の炭鉱の絵を描き、これが後に世界記憶遺産になったというもの。どんな現場、どんな仕事でも、これを記録していくと、その時代のテーマとなり、財産になるという壮大なスケールの話で、圧倒されました。後半は、歌人であり情報科学者の坂井修一さんのコラムを抜粋で報告させて頂きました。「私の知人には、80歳を超えて短歌を始めた方がたくさんいらっしゃる。中には、2冊、3冊と歌集を出し、賞を獲得された方もいる。投稿の賞ではなく、歌人としての賞である。こういう方々に共通するのは、歌作り以前の人生経験の豊富さと、それに裏打ちされた観察眼の確かさだ。」「一生の最後に優れた作品を残すこと。単なる自己満足ではなく、時代と人間の切り結びのようなところに踏み込んで表現し、小さな自分を超える価値を作り出すこと。それは、誰にでもチャンスのあることだ。」<出所2022/2/13日経新聞朝刊「うたごころは科学する~小さな自分を超える~」抜粋>人生経験の豊富さを財産として観察眼を磨いていく先に、幸福の源泉があると感じました。
  • 本日もありがとうございました。前半の「天職」はどのようにして天職に出会ったか、あるいは天職を見いだしたか、いろいろな人の生き方や出会いを紹介してくださり、非常に多くの学びがありました。やはり印象に残ったのは炭鉱で働き、定年になってからそれを絵と文章に残した山本作兵衛です。どんな仕事でも、あるいは日常のできごとでも記録に残すことは大切だと実感しました。もう一人は粕谷一希です。寺島実郎さんとの出会いのエピソードは初めて聞きました。まさに名伯楽だったと思います。後半の、参加者の持ち寄った幸福論の紹介では、坂井修一さんの「うたごころを科学する」の中で80代から短歌を始める人が多いこと、それは人生経験の豊富さだというのが非常に印象的で励まされました。これからも楽しみにしております。
  • 今日はもう一つ、昨日読んだばかりの「学問としての教育学」から、幸福について書かれている部分を抜き出してみました。ここだけだと分かりにくいと思います。「幸福とは『満たされた自由』の『有り-難さ」の味わいである」の後に、次の文が続きます。「わたしたちは、激しい欲望の成就だけでなく、日常のささやかな出来事にも「幸福」を感じる。日々健康で暮らせていること、毎晩子供の寝顔が見られること、自分を気にかけている人がいること・・・・そんな些細なことにも、わたしたちは幸せを感じる。いや、むしろこうしたささやかな幸せの方が「幸福」の一般的なイメージと言えるかもしれない。そこには、文字通り”有りー難さ”の実感がある。」「幸福とは、満たされた自由」というのは、幸福塾の最初の講義にも共通のことが出てきました。そして、各自が自由を追求するばかりではぶつかって争いが起きることがある。そこで、「自由の相互承認」が大切なのだ、と苫野さんは言っています。
  • 今日は、朝日新聞デジタルの1月9日(日)のReライフ、加藤登紀子さんの「ひらり一言」で幸福について書いてあるのを紹介しました。後半の部分が非常に難しいですが、「禍福はあざなえる縄のごとし」と言ってくださった方がいて、ストンと落ちました。
  • 本日もありがとうございました。いろいろな方の言葉を本日も学ばせていただきました。山本作兵衛さん印象に残りました。炭鉱労働のころの日記から子どもや孫世代に残すために絵を描き、それがテレビで紹介され、世界記憶遺産となった。丹念に記録しておいたら財産になる。というお話。また、天職とされた方々の言葉。地道な努力とそれが認められるようになる。または周りに応えるべく喜んでもらえるようにと努力しそれが天職となる。そういった天職を持っている方々は顔も明るく、幸福へとつながっているのだなぁと感じました。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様ありがとうございました。人間関係の中の幸福は身近で、そこでの不幸も同じく身近でそれが世界のすべてに思えてしまう心境を、自然の中の幸福に目を向けることで視野を広げて、視点を変える養老先生の言葉に共感しました。天職を見つけた(作り出した)人々の紹介でも、視点を変えることで、不向きと思っていた仕事を天職に変えていった高野悦子さんの言葉が、ネガティブ感情と向き合うときの気づきになりました。今日聞いたいろいろなお話から、幸せは人との関わり、自然との関わり、不幸との対比などの中で感じるものであると言えると思いました。だとすると、自分ひとりの世界では幸せは得られないのか・・・皆さん、どう思われますか。
  • 先日は、貴重な機会に参加させて頂きましてありがとうございました。とても疲労が溜まっておりましたが、お陰様で皆様のお話を伺っている内に少しずつ回復して行ったのを実感致しました。感想が遅くなりましたが、こちらに書き込ませて頂きました。テーマは「天職に出会う」ということで宜しかったでしょうか?途中中座したり、バタバタしておりまして耳だけの参加になってしまいましたが
    改めて「天職」について考えさせられました。先人のお話の中で「目の前のことを一生懸命にやっている内に天職になったようだ」とおっしゃっている方が意外に多かったように思いました。その言葉を自分に当てはめて考えてみますと、いろいろな仕事を経験した結果、(転職4回、兼職4種類位)
    29年前から続いている今の仕事が一番自分に向いていたように思います。正確に言うと、天職ですとは、断定はまだできませんが、これまで仕事の中で一番近いのかなと思っております。理由は①これまでやり続けられてきたこと②お客様に感謝されることが増えたこと③その時やりがいを感じられたこと④そしてまだまだ未熟な部分があって、それを克服しようと思える課題があること.天職に巡り合えたかもしれないということはとても幸せなことですし、今、目の前のその仕事に没頭できる自由があることがもっと幸福なことなのだと気づきました。仰っていた“深く生きる”ということは多くの試練の中で“よく考える”ということだと思います。“禍福はあざなえる縄のごとし”ということわざがありますが、幸福を強く感じるためには、不幸がとても重要な役割を持っているように思いましたどうもありがとうございました。
  • 今日はありがとうございました。天職は、自ら創り出すケースがあること、運の良さも幸福の一要素にあることが、今日の学びでした。久恒先生が補足された「準備をしているから運(チャンス)を受け取れる」が印象に残っています。準備をしているからこそ、自分の直感を信じて運を掴み取り、結果として幸福を得られるのではないかと、思った次第です。今回紹介したのは、2月15日の朝日新聞朝刊の記事です。
     
     
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    今日の収穫。

    日経2022年2月16日。文化欄。

    私の履歴書」。宮田亮平「10の自慢話よりも1つの失敗談」「金づち持ったら、箒もて」

    岡村敬二『一番船長 一庭啓二の生涯』(武久出版)。日経「文化」欄は江戸時代、明治時代の人物情報の宝庫かも知れない。

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    今日のヒント
     
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    0.8万歩。
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「名言との対話」2月16日。斉藤秀三郎「語学修得は第一に多読である。分からんでもよろしいから無茶苦茶に読むのである。元来人生は分からんことばかりではないか。それでも広く世を渡っているうちには処世の妙諦がだんだんと会得されてくる。語学もこれと同じである。広く読んでいるうちに自然と妙味が分かり、面白みが出て来て、しまいには愉快で愉快でたまらなくなるのだ」

斎藤 秀三郎1866年2月16日慶応2年1月2日) - 1929年昭和4年)11月9日は、明治大正期を代表する英語学者教育者第一高等学校教授。宮城県仙台市出身。

斎藤秀三郎の英語勉強は常軌を逸していた。自分の研究は戦争だと語っており、寝ても覚めても暗記にいそしんだ。斉藤和英大辞典の「犠牲」の項には、自分は自国語を犠牲にして英語を学んだと説明していた。

斎藤の仙台英語塾には、吉野作造も参加したが、あまりの短気に恐れをなして一日で辞めてしまったというエピソードも残っている。訳語を求める一徹な姿勢は日本の英語教育に大きな影響を与え、詩人の土井晩翠バイロンの翻訳をしたのは斎藤の影響だった。

語学修得は多読がいいと斎藤は言う。どのような分野でも量をこなさなければものにはならない。量をこなすと興味が湧いてくる。奥の深さが分かって面白くなってくる。そして知識が広くなり洞察が深まってくると、学習自体が愉快になってくる。何ごとにも斉藤秀三郎のような取り組みをすればいいということはわかる。 

冒頭に紹介した言葉は、1924(大正13)年に創刊された受験英語主筆・湯山清)という雑誌に斎藤が書いたものである。多読の後は、研究になる。語学はしだいに深く、広くなっていく。際限がない世界だ。そして道は困難を極めるようになる。それがまた愉快の念が湧いてくる、というのだ。

斎藤秀三郎の次男の秀雄は音楽の道に進んだ。指揮についてのシステムを確立し、指揮法を後進に伝えた唯一の日本人で、小澤征爾山本直純、岩城宏之尾高忠明らを育てた人だ。桐朋学園大学の基礎を築き、学長もつとめている。父とは分野は違うが、同じような性向を持っていたのであろう。

「辞典」という世界は魔物である。三浦しをん舟を編む』では、編集チームが、曲折を経て15年かけて辞典を完成させる姿に感銘を受けた。「辞典」に命を懸けた人々には、『新明解国語辞典』の山田忠雄、『三省堂国語辞典』の見坊豪紀、『大漢和辞典』の諸橋徹次、『字通』など3部作を13年半で完成させた白川静、『岩波国語辞典』を20年で完成させた大野晋、『仏教語大辞典』を20年かけて終わりに近づいたときに出版社が紛失し、さらに8年かけてなし遂げた中村元など、辞典の世界にはドラマが多い。外国語の辞書では、『岩波英和辞典』(共著)の田中菊雄、『クラウン仏和辞典』の多田道太郎、『スワヒリ語辞典』の西江雅之、『アイヌ語辞典』の萱野茂などがいる。

『大日本地名辞書』を編んだ吉田東伍は、「悪戦僅に生還するの想いあり」と辞書づくりの苦労を語っているが、『斎藤和英大辞典』を編んだ斎藤秀三郎は「天国の言語は英語だよ!」とまで言って愉しんでいる。