寺島実郎の「世界を知る力」対談篇。「地域のポテンシャルを考える」第一弾の相手は青森県の三村知事。三内丸山遺跡という舞台を使った充実した内容だった。歴史と地理、そこからみえる青森の未来を語る番組だった。
縄文時代は1万5000年前から2500年前の1万2500年間続いた。三内丸山遺跡(2021年に北海道・北東北で世界文化遺産登録)は縄文前期から中期の6500年前から4000年前の2500年間。列島10万人。9割が東日本。歴史人口学。日本の中心。この遺跡は500人?弥生時代以降は、紀元前1000年から、まだ3000年しかたっていない。
番組では山川健次郎、太宰治や寺山修司という青森出身者の名前があがっていた。今日は、少し深掘りして主に「名言との対話」で取りあげた青森県出身の人物を挙げてみたい。
津軽地域:気質「陽気・意地っ張り・派手好き。酒が強い」
- 淡谷のり子「あたしはね、やれるところまでやりますよ。歌と一緒に死んでかなきゃいけない、と昔から思ってるんだ」。1907年8月12日 - 1999年9月22日。青森市。
- 棟方志功「わだばゴッホになる」。1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)。日本人の板画家。青森市。
- 羽柴誠三秀吉「輝く 夕張 新時代」。1949年10月11日 - 2015年4月11日)。実業家、政治活動家。金木町。
- 初代若乃花。1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)。第45代横綱。弘前市。
- 高木彬光「推理には、どこか前人未到のアプローチがなければならない」。1920年9月25日 - 1995年9月9日)。日本の推理小説作家。1920年9月25日 - 1995年9月9日。は日本の推理小説作家。青森市。
- 長部日出雄「あまり語られることがなかった歴史的事実に新鮮な興味を感じる人が増えてくれれば、筆者としてこんなに嬉しいことはない」。1934年9月3日 - 2018年10月18日。日本の小説家、評論家。弘前市。
- 三浦雄一郎「 老いは怖くない。目標を失うのが怖いのだ。 あなたのエベレストを探しましょう」。1932年10月12日 - 。日本のスキーヤー、登山家、獣医師。青森市?
- 斎藤昌美「このりんごこそがこれからの主力品種になる」。1918年11月21日ーー1991年11月27日。果樹園芸家。弘前市。
- 葛西善蔵「人間の破産、そこから僕の芸術生活が始まると思って居る」。1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)。日本の小説家。享年41。弘前市。
- 寺山修司。1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)。歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。青森市。
- 陸羯南。安政4年丁巳10月14日(1857年11月30日) - 明治40年(1907年)9月2日。日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。弘前市。
- 笹森 儀助。弘化2年1月25日(1845年3月3日) - 大正4年(1915年)9月29日)は日本の探検家、政治家、実業家。弘前市。
- 大里 洋吉(おおさと ようきち、1946年〈昭和21年〉8月22日 - )は、日本の芸能プロモーター。芸能事務所・アミューズの創業者。青森市。
南部地域。気質「寡黙・人見知り・温存・仲間意識が強い」
- 鏡里喜代治「10番勝てない時だ」。1923年4月30日 - 2004年2月29日)。大相撲力士。第42代横綱。三戸町。
- 盛田稔「力を振り絞って、恩義に報い、学院を正しい姿に立ち直らせたいと思っております」。1917年3月15日 - 2019年6月10日)。日本の経済史学者。七戸町
- 馬場のぼる「子供だましの絵本は結局は子供もだませぬ」。1927年10月18日 - 2001年4月7日。日本の漫画家・絵本作家。三戸町。
下北地域を中心とする旧斗南藩。気質「陽気・人見知り・仲間意識が強い・我慢強い」
- 山川健次郎。1854年9月9日〈嘉永7年閏7月17日〉- 1931年〈昭和6年〉6月26日)。明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。
- 柴五郎。1860年6月21日(万延元年5月3日) - 1945年(昭和20年)12月13。陸軍軍人。むつ市。
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西山美術館(町田市)
ロダン・ユトリロ専門館で、ロダンの彫刻52点。ユトリロの絵画76点が展示されていた。ナックという会社の創業者に西山由之(1942年生まれ)という人が建てた美術館。6千坪の広大な敷地である。
成功した経営者が、その富を用いて名画や名彫刻を収集し、特色のある個人美術館を残す。そしてその美術館を永きにわたって多くの人が訪れて一流の芸術を堪能する。こういう生き方は最高のモデルであると思う。 40万円のマイセンのカップで紅茶などを楽しめる。西山由之『今やれ すぐやれ 早くやれ』(「幻冬舎)を購入。
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「名言との対話」ジョン・アーンスト・スタインベック「少数のものに手に集中しすぎた富は奪われることになる。、、飢えと寒さに苦しむ多数者は、自分たちに必要なものを力ずくで奪うだろう、、、。抑圧は抑圧されるものの結束を強めるだけだ、、、」。
ジョン・アーンスト・スタインベック(John Ernst Steinbeck, 1902年2月27日 - 1968年12月20日)は、アメリカの小説家・劇作家。享年66。
アメリカカリフォルニア州生まれ。スタンフォード大学中退。1929年デビュー。1934年4月の短編作品『殺人』がO・ヘンリー賞。1935年『トーティーヤ大地』出版し、カリフォルニア・コモンウェルス・クラブから金メダルを受賞。
1939年『怒りの葡萄』を発表。大干ばつで土地を奪われた中西部の農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた。ピューリッツア賞を受賞した。内容が刺激的で発禁にした州もあった。映画化され、ジェーンフォンダが主演した。2部門でアカデミー賞を受賞している。『怒りの葡萄』は今日まで1400万部以上売れている。
1952年『エデンの東』を刊行。一族の歴史と父と子の葛藤を描いた。聖書の物語と南北戦争から第一次大戦までの時代を背景にカリフォルニアの一家族の歴史を描いた大作。映画化され、ジェームス・ディーンが主演している。生涯で27冊を刊行した。小説16冊、ノンフィクション6冊、短編集2冊など。1962年にはノーベル賞を受賞している。アメリカ文学の巨人である。
『怒りの葡萄』(上巻。新訳版。黒原敏行訳)を読んだ。
オクラハマからカリフォルニアまでの苦難に満ちた旅であった。大干ばつにあい、農場の財産はわずかな金額にしかならなかった。土地と食べものを求めての壮大な西への旅であった。
国道66号線(ルート66)の旅は、ミシシップ川から、赤い土地、灰入りの土地、山岳地帯、大分水嶺、砂漠。山、そしてようやくカリフォルニアへ続く、アメリカを横切る道路であり、当時はひしめく逃亡の道であった。カリフォルニアはオレンジや葡萄などの果物が育つ夢の土地であった。
第14章の初めにスタインベックの思想が書かれているところを発見した。
肉体と精神の成長し労働し創造したいという欲求。それが人間といものだ。労働の欲求。創造の欲求。自分の労働を超えて成長し、自分のつくりだした構想の階段をのぼり、自分のなしとげたことの先へ進んでいく。この性質こそ宇宙の中で人間が特別存在である理由である。人間はときにまちがいを犯しながら前に進もうと悪戦苦闘するものである。
「銀行は人間を超えたものなんだよ。怪物なんだ。人間がつくったものだが、もう人間を超えたものなんだよ」。「ビジネスとはもっともらしい手続きを踏んだ泥棒だと知っている」。「農業は企業活動となった。、、、奴隷を輸入したのだ。中国人、日本人、メキシコ人、フィリピン人という奴」。そして農業は大規模になって、農場主は農場で働かなくなった。利益と損失だけを考える。
下巻は、カリフォルニアが舞台。美しく豊かな果樹園や綿畑と、敵意にさらされながら低賃金のわずかな仕事を奪いあう過酷な日々。歴史の荒波のなかで資本主義に翻弄される人びとの苦境を浮き彫りにした。
スタインベックの主張の中心は「少数のものに手に集中しすぎた富は奪われることになる。、、飢えと寒さに苦しむ多数者は、自分たちに必要なものを力ずくで奪うだろう、、、。抑圧は抑圧されるものの結束を強めるだけだ、、、」だろう。主人公の家族の母親が「お金なんか稼いだってしょうがない。大事なのは家族がばらばらにならないことだ」という言葉も印象に残る。