耳読ーー山本周五郎『さぶ』を読了

山本周五郎『さぶ』(新潮文庫)を耳読で読了。散歩中に14時間の内容を、アイフォンで1.2倍の速度で聴きました。

「江戸下町の表具店で働くさぶと栄二。男前で器用な栄二と愚鈍だが誠実なさぶは、深い友情で結ばれていた。ある日、栄二は盗みの罪を着せられる。怒りのあまり自暴自棄になり、人足寄場に流れ着く栄二。人間すべてに不信感を持つ栄二をさぶは忍耐強く励まし、支える。一筋の真実と友情を通じて人間のあるべき姿を描く時代長編」。

相変わらず、山本周五郎の作品は素晴らしい。少し教訓調の色合いがあるが、人生の教科書だと言ってもよい。周五郎は作家たちと飲むと教訓を述べる癖があって敬遠されていたという逸話を思いだしたが、やはり立派な作家だと改めて思った。

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1万歩。

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「名言との対話」3月6日。大岡昇平「あんなひどい目に会わしておきながら、また兵隊なんていやな商売をつくろうとしている奴んところに化けて出てやってくれ」

大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。享年79。

京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。若き日に小林秀雄中原中也らと出会い、スタンダール研究家として知られた大岡は、1944年、35歳で出征し、フィリピンのミンドロ島で、マラリア熱で一人残され、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。九死に一生を得て帰還した。

1949年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受ける。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作には、人気作家となった『武蔵野夫人』、『戦記文学『野火』(読売文学賞)、『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。「武蔵野夫人」を書いて人気作家にもなっている。また「中原中也」など多彩な作品を発表した。1971年、芸術院会員に選ばれたが辞退している。

2019年に、神奈川近代文学館で開催中の「大岡昇平の世界展」をみた。この企画展では「知識人である大岡が、一兵卒として体験した戦争。その透徹したまなざしが描き出した作品は、人間の根源的な問いを内包する、優れた世界文学として読みつがれています。戦後75年を迎える今、大岡作品が伝えるメッセージを改めて見つめ直す機会となれば幸いです」と趣旨を説明していた。

大岡は師表としたスタンダールに従って「自分とは何か」を考え続け、還暦を過ぎたあたりから「幼年」「少年」「わが師わが友」という自叙伝を書いている。相場師で財をなした父への反発、母が芸妓であったことを知った衝撃などが記されている。漱石への傾倒を経て、高校時代にランポーを読んだことがきっかけで小林秀雄を家庭教師にしてフランス語を習得した。24歳で死んだ富永太郎と30歳で亡くなった中原中也の詩作品と生涯、そして大学卒業後に桑原武夫から勧められてスタンダール研究も終生のテーマとなった。

文体を持っていなかった大岡は 『俘虜記』は特異な体験を翻訳体という新しい表現で書こうとしてできた作品で、人間社会と日本社会の縮図への風刺を意図した。そして『野火』では飢餓、殺人、人肉食、神など、極限状態の人間を描いた。1960年代からは『武蔵野夫人』などを書いて人気作家となった。

恋愛小説、推理・裁判小説、歴史小説などをこなしたが、一方で文芸批評では先鋭で辛辣な文章を発表している。「ケンカ大岡」と呼ばれるほどの文壇有数の論争家であった。以下、論争相手と対象となった作品をあげてみる。 井上靖の『蒼き狼』。海音寺潮五郎の『二本の銀杏』や『悪人列伝』。松本清張の『日本の黒い霧』。江藤淳の『漱石アーサー王伝説』。森鷗外の『堺事件』。、、、

 この作家は私の「人物記念館の旅」でも何度か登場する。2017年に北九州市小倉の松本清張記念館で「1909年生まれの作家たち」という企画展が行われていた。「中島敦太宰治大岡昇平埴谷雄高、そして松本清張」と同年生まれのの作家たちの生きた時代に興味を持った。1909年という年は、伊藤博文が朝鮮で暗殺された年であり、文学誌スバルが創刊された年でもある。年譜をみると、彼らの少年時代は大正デモクラシーの時代で、自由主義教育、大正教養主義の盛んな時期で、教育の現場では「綴り方」が行われていた。この同年生まれの5人の作家の全集が並べてあった。中島は3巻、太宰は12巻、埴谷は19巻、大岡は23巻、清張は66巻である。

 2018年に 山口県湯田温泉中原中也記念館を訪問した。「中原中也を語る 大岡昇平」展をやっていた。2歳年下の友人大岡昇平からみた中原中也像が語られている。強要される。歴訪癖。なぐる。からむ。毒舌。茶目。酒に弱い。不幸。いつも自分の感覚しか語らない。「人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか」「生涯を自分自身であるという一事に賭けてしまった人」「伝説を作る趣味」「生涯すべてを自己の力を通して見、強い、独創的な自分、弱い、雷同的な他人という簡明な対立から世間を眺めた」と大岡は中原を語っていた。

『成城だより』(中公文庫)を読んだ。「赤い鳥」の少年投稿家、旧制成城高校の一期生であり自由と童心の人。大岡が褒めているのは、新田次郎大西巨人高橋義孝大野晋遠藤周作である。渡部昇一は批判されている。ゴルフは88から115までのスコアで、優勝からビリまでであった。「自分をコントロールする興味」だという記述もある。

この文庫には「作家の日記」がついていた。1957年11月から1958年4月までの日記だ。物忘れがひどくなってから「日記」をつけるようになった。それを材料に膨らませた作品である。1958年1月20日は圧巻だった「おーい、みんな」から始まる詩は鬼気迫る絶品である。「あんなひどい目に会わしておきながら、また兵隊なんていやな商売をつくろうとしている奴んところに化けて出てやってくれ」「二度とおれ達みたいな、あんな目に、子供や孫は会わせたくない」。三島由紀夫は「作家の日記」書評で「私は鬼気を感じた」と記している。

1950年の警察予備隊語始まり、保安隊、陸上・海上航空自衛隊防衛庁の設置と続く流れの中で、亡くなった戦友たちの霊に語りかけた真実の言葉である。それから64年後のロシアのウクライナ進攻に揺れる現在の世界と日本への強烈なメッセージとして受けとめたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成城だより-付・作家の日記 (中公文庫)