「耳読」:『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)が、Audibleに。

昨年刊行した『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)が、Audibleになっています。

単行本が電子書籍になり、次にプロが音声で読み上げてくれるAudibleに。

https://www.amazon.co.jp/Audible-50%E6%AD%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%94%9F%E6%88%A6%E7%95%A5%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%9B%B3%E3%80%8D%E3%81%A7%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/dp/B09CYT7G63

5時間35分。

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深呼吸学部は85回目。20人が参集。6月からは第3期。

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「名言との対話」3月19日。森田草平「自分は永遠に漱石の弟子であり、自分自身は一生、師と呼ばれるような人間にはなれる気がしない」

森田 草平(もりた そうへい、1881年明治14年〉3月19日 - 1949年昭和24年〉12月14日)は、作家翻訳家

岐阜市生まれ。四高では恋人との同棲で退学。一高を出て東京帝大に入学。妻(先の恋人)とと住んだ借家が樋口一葉の旧宅であることがわかり、長女に一葉の本名のである夏子と命名している。漱石門下に連なった。

卒業後、与謝野鉄幹の「閨秀文学講座」の講師をつとめる。聴講生の平塚明子と栃木県塩原で心中事件を起こす。この女性が後に有名になる平塚雷鳥である。雷鳥は羽が抜けるたびに色が変化する鳥である。その名をつけたのだ。

漱石のすすめで心中事件を描いた「煤煙」は朝日新聞に連載される。草平は朝日の嘱託として文芸欄を担当する。漱石が死去した1910年には自宅の倒壊で漱石の妻の世話になっている。

1920年には漱石門下の野上豊一郎の紹介で法政大学教授になる。しかし1933年には野上と対立し追放する側にまわり、自身もいられなくなった。1948年、日本共産党に入党。

こういった生涯の軌跡をみると、この人には事件が多いことに気づく。随分と漱石に迷惑をかけたのだろう。その漱石は、心中未遂事件を小説にすることをすすめて、朝日に載せている。その「煤煙」には、漱石の「序」がついている。

「煤煙の後篇はどうもケレンが多くって不可(いけ)ない」「著者が前篇だけを世に公にするのは余の賛成する所である」「事件が是程充実してゐる割に性格が出てゐないのが不思議である。、、、性格は要吉の特色を指すのである。篇中に書いてあるのは要吉の境遇である」「性格を上手にかく人は、これ程烈しい事件の下に主人公がないでも、淡々たる尋常の些事のうちに動かすべからざる其人の特色を発揮し得るものである」。

感想としては手厳しいが、漱石の小説観を垣間見ることができる。小説は人の境遇や事件の背景を書くものではなく、それしようとする人の性格を描くことにあるのだ。人間を描くことが主題なのだ。

森田草平の『女の一生』というタイトルに惹かれて読んでみた。主人公が以前に恋愛関係にあった人妻との再会したときのこころの動きを書いたものである。タイトルほどの深みはない短編だった。

「自分は永遠に漱石の弟子であり、自分自身は一生、師と呼ばれるような人間にはなれる気がしない」と漱石の死去の時に語っている。その通りだろうが、改めて夏目漱石の師としての力量を感じることになった。