ヨガ。ユーモア。深呼吸。

朝:ヨガを1時間。普段は5名だが、今日は2名。準個人レッスンだった。

夜:深呼吸学部:嶋本達嗣(博報堂)。吉池インタビュー。「ミンデル」の読書会。第3期の構想。京都・亀岡。出口仁三郎。田口ランディ

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阿川弘之「日本人とユーモア」を聴く。1989年の講演だから声が若い。吉田茂マッカーサー夏目漱石井伏鱒二まで様々なエピソードを引き合いに説く。GHQ。日本の統計が正しかったら。金と女は敵。京都は400年。井伏鱒二の評価が高かった。英国のユーモアを礼賛。日本人にはユーモア精神が息づいていた。明治維新薩長が政権をとってから少なくなったというユーモア史観。

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「名言との対話」3月26日。李承晩「一つになれば生き延び、ばらばらになれば死ぬ」

李 承晩(り・しょうばん、イ・スンマン 1875年3月26日 - 1965年7月19日)は、朝鮮独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。

1804年、アメリカにわたる。ジョージワシントン大学で学士。ハーバード大修士、ワシントン大で博士号を取得。日本の植民地時代にはアメリカへの亡命、ハワイ定住などで独立運動を展開した。

戦後、大韓民国を建設し国連監視下の選挙で初代大統領に就任。「国土完整」を掲げる北朝鮮金日成に対し、「北進統一」を掲げる親米反共主義者であった。李承晩は「アメリカは余り信じるな。ソ連の奴らには騙されるな。日本は必ず再起する。注意せよ」と本音を語り、流行語にもなっている。1952年に国際法違反の李承晩ラインを宣言し、日本に強硬姿勢を取り、13年後の1965年の日韓基本条約まで、日本漁船拿捕が続いた。3929人の抑留、死者は44人に上っている。この李承晩ラインは、少年時代の私もよく覚えている。新聞などマスメディアのニュースでしょっちゅう話題になっていたから、李承晩大統領の名前はよく覚えている。

李承晩大統領は、北朝鮮の恐怖、議院内閣制を主張する勢力、野党との対立などの厳しい政治情勢の中で、1956年には3選も果たし、1960年には不正疑惑で下野しハワイに亡命するまで政権を維持した。

李承晩には「建国の父」、あるいは「独裁者」など毀誉褒貶があるが、植民地、独立闘争、建国、朝鮮戦争、、、など幾多の困難に立ち向かった人であることは間違いない。「一つになれば生き延び、ばらばらになれば死ぬ」は、中国、日本、ロシアを隣国に持ち、アメリカにも大きな影響を受けるという地政学的に困難な立ち位置にある朝鮮の悲痛な叫びだろう。民族が内部で争うことは筆舌に尽くしがたい悲劇であり、統一こそが民族を前に進ませる道である。内部対立の克服が繁栄への道である。その「一つ」は朝鮮半島の統一を意味しているのだろうが、この悲願はいまだに達成できないでいる。もしそれができたら強大な国家が出現することになるだろう。

この「名言との対話」では韓国の政治家もとりあげてきた。

第3代大統領朴正煕(パク・チョンヒ)「百の理論より一つの実践が要望され、楽しい分裂より苦しい団結が「なければならず、他をくじくことよりも助けることを知り、惜しむことを知らねばならぬ」

第8代大統領金大中「この世で一番恐ろしいのは自分の眼である。鏡の中に現れる自分の眼こそが一番恐ろしい」

金鍾泌総理「歴史は紆余曲折により折れたり曲がったりしても正義に向かって進んでいくと言う事実は、変わりない真実である」「今は過去の問題よりこれからの成長の方が重要である。そのためには日本の援助が必要だ」

第9代大統領廬武鉉(ノムヒョン)「私は韓国を変える」

第11代大統領朴槿恵「他のいかなる国との関係より忍耐が必要なのが日本との外交」「歴史問題を解決して、東北アジア経済共同体を作り、共に未来を開いて行かねばならないパートナーだ」

韓国の歴代政権のかじ取りの難しさと厳しさは、以上の政治家たちの言葉でも垣間見ることができる。さて、第20代大統領に就任する尹 錫悦(ユン・ソギョル)はどのような政権になるだろうか。