「幸福塾」ー安岡正篤「自分」。永田耕衣「晩年」。会津八一「新面目」。文鮮明「人のため」。トルストイ「進歩」。

「幸福塾」の5回目。「倖せの構造」に沿って、具体的な人物を紹介してく第1回目・

「幸福論」の総論にあたる初回。メインは、安岡正篤「自分」。永田耕衣「晩年」。会津八一「新面目」。文鮮明「人のため」。トルストイ「進歩」。

後半は塾生の見つけてきた「幸福」の種の発表と交流会。


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  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。「公人・私人・個人による倖せの構造」の図について今回も解説いただきましたが、先生がおっしゃるとおり、幸福塾の講義の最初に繰り返し解説いただくことはその後に学ぶたくさんの偉人の言葉を理解するのにとても大切なことだと思いました。「しあわせ」の定義が人によって違いますが、それは、この図が示すように、「公人・私人・個人」の占める割合やバランスの違いであって、この図にあてはめて説明できるのではと改めて思えました。今後、この「倖せの構造」の図がどんどん進化していくのかと思うとワクワクしてきました。よりわかりやすい図になって、この図を使って、私でも「幸福とは何か」について話ができたらいいなぁと勝手な期待をした次第です。4月からも学びを深めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様本日もおつかれさまです。幸福塾は今回第5回、3,000人の偉人の足跡を収集された久恒先生から「偉い」エッセンスをふり掛けて頂き、本日も倖せを探求する2時間を過ごさせて頂きました。冒頭は「倖せの構造」曼荼羅のおさらい、所謂「公」「私」は定年・巣立ちといった節目を境に、いつかれはしぼむ運命。人生100歳時代の今「その先」を生き抜く為にも「個人」という第3のフィールド確立が必要。切り口は「ライフワーク」(創造)と「ネットワーク」(交流)。共に一朝一夕には築けず、若いうちから学び育てる必要がある。また先述「2つの切り口」がバランスしている事が理想とか。この壮大なる「仮説」に対して、各領域に当てはまる偉人達の「生き様」を重ね、検証していくという指向で、今回手始めに「私」「公」「個」が互に重なる「ど真ん中」ゾーンの人物について紹介頂きました。「この世は自分探し、仕事の中から自分を発見」(河井寛次郎)、「良い仕事の報酬は良い仕事」(永田耕衣)、「業績を上げたら誰かが見ていて新たな仕事に巡り合う」(土光敏夫)といった共鳴した言葉に出会うことが出来ました。折しも社業では今、新年度へ向けた大変更のカオス。定年を2年後に控えた当方も何と今回放り込まれる事に!。10年ぶりの「まとめ」「引継ぎ」といった節目を通じて、積み上げた成果や人間関係を振り返り、「自分の姿」を俯瞰することが出来、「小さな倖せ」を感じた次第です。さてさて、肝心のわたしの「個」は何処?…今後も続く「曼荼羅の検証」に食らいつき、追いかけたく。今後とも宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。「公人」「私人」「個人」の真ん中に該当する人物として、安岡正篤河井寛次郎中野孝次永田耕衣親鸞会津八一、渋沢栄一土光敏夫中村天風文鮮明鍵山秀三郎トルストイ、黒田初子、といった偉人の言葉を一つひとつ丁寧に味わうという貴重な時間でした。中でも、「人はゆっくりと自分自身になっていく」という安岡正篤や、「この世は自分を探しに来たところ」という河井寛次郎、「自分になりきるとは、自分だけの言葉を持つことだ」という中野孝次の言葉には、「個人」をじっくりと造り上げ磨いていく力強さと厳しさを感じ、肝に銘じておきたいと思いました。また、永田耕衣の「一切の無駄を排除し、秀れた人物に接し、秀れた書を読み、秀れた書を読み、秀れた芸術を教えられ、かつ発見していく以外、充実の道はない」という言葉には、迷いのない爽快さも感じられ、とても印象に残りました。人生後半に向け、指針となる言葉のひとつにしたいと思います。後半の宿題ですが、PCの不具合で準備してきた発表がうまくいかず大変失礼いたしました。次回改めますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します。
  • 本日もとても充実した時間をありがとうございました。はじめに「公人・私人・個人」の図を見ながら復習しました。この図は今後もその都度確認しながら進めます。ここで学んだことは「毎回、理念を語ることの大切さ。すぐれた経営者はこのことによって理念の内容も充実しふくよかになっていく。」ということでした。その後、前半は具体的な人物と名言の紹介に入っていく第1回目でした。今日は「公人・私人・個人」の共通部分で、安岡正篤河井寛次郎中野孝次永田耕衣親鸞会津八一、渋沢栄一土光敏夫中村天風文鮮明鍵山秀三郎トルストイが取り上げられました。この人たちの共通点は、50代から新しいことを始めた、ということです。まさに、10年ほど前、「遅咲き偉人伝」を読んで感動したことを思い出しました。後半は、参加者が見つけてきた幸福についての記事や人の生き方などの紹介でした。私は今回、直前まで見つけることができず、たまたま最近の新聞記事の中から3月20日朝日新聞デジタル天声人語」を紹介しました。さすがに天声人語の文そのものを紹介するのは気が引けたので、1時間ちょっとかけて図解にしてみました。幸福度調査は1位がフィンランド、日本は57位ということです。基準が気になるところですが、調べる余裕が無く不十分でした。参加者の皆さんの探した幸福論の紹介や、感想などから、一つのキーワード「自分の発見」が浮かんで来ました。「自分の発見」についていえば、最近、Facebookが過去の思い出でちょうど年度の変わり目で退職とか職場を変わったときの投稿を教えてくれます。自分でも忘れかけていた感動を思い出し、これこそ自分のあり方だったのだな、と感慨にふけることが多々ありました。
  • 「自分は自分になる」が印象に残りました。何かやることで自分が深まっていくこと、そして、自己発見の連続が人生であるとご教示いただきました。日々の生活で何かに気がついた瞬間に幸せを感じられる高揚感があるなぁとふと思いました。年齢に関係なく、気づきによって幸せに生きることはできるのだと、思いに至りました。業務でバタバタしていて、資料も用意できず、本日の参加をどうしようかと思ったのですが、自分にとっての幸せのためだと思って、思い切って参加してよかったです。自分を満たすことが幸せにつながるのだと気がついた次第です。
  • 本日も講義ありがとうございました。沢山の方からの言葉をいただきました。安岡正篤さんの、「自分はつきつめたところ何になるのかといえば、自分は自分になる『完全な自己』になるということだ」テーマを持って邁進するのが大切だと学びました。公・私・個の、「個」に向かっていく人生の中で、會津八一さんの言葉「日々新面目あるべし」のように、毎日つねに新しい自分であるべき、日々新たなことを心掛ける。ことは、今日ご紹介いただいた方たちの言葉に、みな共通していて、今日何もすることがないではなく、今日はあれしてこれしてと、わくわくしながら生活するのが、幸福と呼ばれるものなのではないかなと思いました。本日もありがとうございました。
  • 昨日はありがとうございました。中村天風に言及されたのこと、私は祖父母に連れられて天風会に小學生の時數度行きました。頭を撫ぜられたこと、超男前(イケメン)、軍事探偵、人斬り天風、ヒマラヤで修行し結核を克服した等今でも記憶に殘っています。大谷翔平も心酔しているという週刊誌記事を讀見ました。
  • ありがとうござ昨晩の幸福塾、ありがとうございます。先生のお話をお聴きして、「公人」、「私人」を超える「個人」の概念について考えさせられております。本当は「公人」であれ「私人」であれ、「個」というものを踏まえて在らなければならないものと思いますが、「個」を前面に出しすぎれば。他者との間にあつれきを生みかねませんし、引っ込ませすぎても「没個性的」と思われるでしょう。なかなか「個」の操縦は難しいものです。そこで、なんですが、改めて夏目漱石の「草枕」や「私の個人主義」を読み返してみたくなっております。いました。
     
     
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「名言との対話」3月30日。阿部真之助「恐妻とは愛妻のいわれなり」

阿部 真之助(あべ しんのすけ旧字体:眞之助、1884年明治17年)3月29日 - 1964年昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家

埼玉県熊谷氏生まれ。旧制二高、東京帝大文学部社会学科卒。満州日日、東京日日、大阪毎日を経て、1929年から東京日日新聞で勤務し主筆にもなっている。

学げ部長時代には新しいことを企画し実行している。学芸部顧問制度で菊池寛、社友制度で久米正雄らを起用。「実力名人戦」を企画し、将棋名人戦囲碁本因坊戦を始めた。女性作家書家を集めた「東紅会」の発足。

定年後。1953年、日本エッセイストクラブを創設し初代会長。1960年、NHK会長。1962年、NHK学園初代会長。1963年、「小さな親切運動」を提唱者の一人となる。。
阿部真之助の軌跡を眺め気づくのは、「初代」、「創設」、発足」などの言葉が並んでいることである。アイデアマンであり、実行力がすぐれていた証拠だ。筆名は野山草吉、これもユニークだ。

1948年発刊の阿部真之助『近代政治家評伝』(文芸春秋新社)を読んだ。装幀は恩地孝四郎、カットは木村荘八という豪華版。山県有朋から東条英機まで12人の政治家をぶった切っている。
「まえ書き」では、自分は固定した意見を持っていない、明治から戦後まで時勢への憚りがあって思ったことを言えなかったとし、そして「鰌(どじょう)がドロを吐くように吐き出し得たのは、鰌と共に生涯の快事とするのものである」とある。そのドロはどのようなものであるか。
山県有朋天皇をデクノ坊化し、その権益を軍閥の手に納めようとした」「偉大なる権勢欲の固まり」
星亨「政界の不正事件に関係を持ち、世間から疑惑をもたれた政治家」「女淫の戒律を厳守」
原敬「偉大なるオポチュニスト」「御都合主義」「立身出世になりさえすれば」「恐妻病」
伊藤博文「スケベイの域」「インチキ馬喰の親方のようなもの」「初物食いだ」「才智の割合に、意志力の弱い」
大隈重信「才能が、野天掘りのできる炭鉱のように露出」「不平文子を糾合」「「スリこみ、取り入り」「猫のごとくにもなり、虎のごとくにもなった」「大冊を全部通読しやおうな顔つきで」
西園寺公望意志薄弱な、御公家様政治家」
加藤高明「平凡なる草っぱらでらう。山もなければ、河もなかった」
犬養毅「毒舌、反骨」「小男」「無勢をもって多勢にたち向かった」「ワイ談の骨法」
大久保利通「西郷との関係において、大久保は女性の立場」「人望といったら、カラ駄目」
桂太郎「脳味噌に宿った魂の低さ」
東条英機「中将どまりぐたい」「学校の通信簿を改竄」「やかまし屋」「道楽の一つ位、覚えておけばよかった」「恐妻病」
彼らを語る過程で、阿部自身の感慨や言葉がでてくる。「理論のない建築は、デザインのない建築だ」「品性と品行とは違う」「わが日本では、本質的にいって、イズムはなかった。時の情勢で保守とも急進ともなった」「時代も人も、風車のように廻る」など、実に味がある。
新聞記者・阿部真之助は、以上に人たちに接し、あるいは人から人物胆を聞いている。後代になって遠景になって人物を見るのとはわけが違う。ここは、徳富蘇峰の「近世日本国民史」にも通じる。私はNHK会長として名前を知っていただけだが、実に興味深い人物だ。
これらの有名な政治家の論評では、「恐妻」という人が多いのも面白かった。阿部自身も大宅壮一から「粗衣粗食粗マンに耐える男」と評されていた本を読んだ記憶があるが定かではない。阿部は恐妻家としても有名であった。自身は「恐妻とは愛妻のいわれなり」との名言も残している。