「はじめに」を執筆ーー母の遺歌集『風の余韻』

日々の書き物に加えて、二つほど文章を書きました。

母の「遺歌集」。「名言」プロジェクトの「前書き」。

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久恒啓子の遺歌集『風の余韻』の刊行にあたり、その経緯について述べたいと思います。    

亡くなった後に、戒名をつけることになり、宝蔵寺の住職と相談しました。前向きで明るい人柄を「明香」、歌集の『明日香風』も意識しています。50年を費やしたライフワークの短歌から、もちろん「歌」は欠かせません。個人歌集のタイトルは、『風の偶然』から始まってすべて風がついていますので、「風」も欠かせません。

家族にとっては、慈母・滋祖母・滋曾祖母という存在であり、慈愛の「滋」を用いました。  

結果として「明香院啓歌慈風大姉」という戒名となりました。この戒名を身につけて仏門に入り、迷いなく極楽浄土に向かったことでしょう。

生前、母からは、「遺歌集」を出してほしいと言われていました。その前にもう一冊を出そうかということで、準備をすすめていたようです。結果的に遺歌集になるかもしれないという予感もあったかもしれません。歌を整理し、弟子にパソコンで打ってもらった原稿があり、編集にあたり、随分と助かりました。結果として、母自身が人生の締めくくりの遺歌集を自分で編んだことになりましたので、心残りは無かったのではないでしょうか。

人の一生は、公人と私人と個人の三つの側面で成り立っていると思います。調停委員などの公人も終え、子どもたちの独立と夫の看病も終えて私人の役割も十二分に果たし、晩年に残ったのは個人の領域となりました。自らのテーマを追うライフワーカーと、人々との交流に重きをおくネットワーカーの二つが思い浮かびます。この二つの流れが重なってくることがあります。母の場合は、短歌というライフワークを追いかけているうちに、教える立場になって、深く広い交流が生まれ、それが生きがいとなっていました。そして、いつの間にか「先生」と呼ばれるようになりました。

人爵と天爵という言葉あります。公的な仕事の成功でもらうのが人爵、まわりの人たちから自然に与えられるのが天爵です。この「先生」という呼び方には尊敬の念が込められており、まさに天爵でした。晩年にまわりから自然に先生と呼ばれる生涯は、高齢社会のひとつの在り方なのではないでしょうか。

人の偉さは人に与える影響力の大きさで決まります。深く、広く、長く影響を与える人が偉い人でしょう。母の場合は、研究の著作や実作の歌集によって、そして家族へ与えた慈愛の深さによって、永く影響が続くことになるかもしれません。自分の母ながら偉い人だったと思っています。

私はひそかに、母は人生100年時代の女性の生き方のモデルを体現しているのではないかと思っていました。43歳から短歌を始め、還暦の60歳から万葉研究を開始する。古稀喜寿の70代にはいり、歌集や研究書をものし、それは米寿の80代を越えて、卒寿の90代まで続きました。母は晩学の人であり、遅咲きの人でありました。

多くの方々の追悼の言葉を含めた「遺歌集」を、様々の関係者の人たちの親身の協力をえて、一周忌までになんとか刊行できました。皆さまに深く感謝をしています。

本当に長い間、ありがとうございました。

                        久恒啓一(長男)

 

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・『名言』プロジェクトの解説文を執筆。

・人物記念館100を選ぶ作業。

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「名言との対話」4月14日。トインビー「知力と活力を死ぬまで保ち続ける人については、老齢にともなう問題は起きません」

アーノルド・トインビー(1889年4月14日—1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者

ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業。ロンドン大学教授、王立国際問題研究所所長などを歴任した。主著は「歴史の研究」全25巻など。

歴史学者らしい名言を探った。

・「宗教は、宇宙の構図を示すとともに、人間の行動に指針を与える」

・「文明が挫折する根本の要因は、内部の不和と分裂である」

・「文明は一つの運動であり、状態ではなく、また航海であって、港ではない」

・「現代社会の病根をなおすには、人間の心の内面からの精神革命による以外にない」

・「人間とは歴史に学ばない生き物である」

人間の生き方へのアドバイス

・「ベストを尽くせばいいんだ。それ以上のことは誰にもできはしない」

・「偉大なる才能は、試練によっていっそう鋭く育まれる」

「生きがいのある生き方。愛すること、知恵を磨くこと。創造的な仕事をすること」

日本について

・「日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の 神」ではない事を示した点である」

 「国家の衰亡につながるいちばん厄介な要因は、自分で自分の物事を決めることができなくなったときだ」という発言がある。やはり、偉大な歴史学者」トインビーの文明、国家、社会に関する叡智にあふれた洞察は響く。挫折の原因は外部環境ではない。内部の不和と分裂なのだ。「自分で自分の事を決めることができない」ときに、人間集団で構成される組織は衰亡する。その極点が国家であり、そして国家群が織りなす文明である。

『二十一世紀への対話(上)池田大作 アーノルド・トインビー』(聖教ワイド文庫)を読んだ。10日間にわたった対談のまとめである。広大な領域を議論。「人生と社会」。

全体を通して、創価学会池田大作は楽観的だ。同時代の問題に敏感で、処方箋や対策を論じている。また仏教の世界観を端的に説明してくれている。

  • 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識という5識。これらを感覚的意識を統合する第6識。第7の末那識(思量識。デカルトの考える自我)、第8の阿頼耶識(人間生命の法理を観照する精神の働き)、第9の阿摩羅識(根本浄識。本源としての心の実体)。
  • 対象を認識する5つの力:肉眼。天眼(察知力)。慧眼(理性で普遍的な法則を見抜く。科学の眼)。法眼(生命を磨き、それを鏡として照らし、対象をありのままに見抜く認識力)。仏眼(宇宙生命の力と実相実感し、体現し、人生・社会・宇宙等の諸事象を見抜く透徹した洞察力)。

トインビーは人類の未来についてはやや悲観的だという印象をもった。ここでは教育と高齢社会についての主張をピックアップしてみたい。

「生涯にわたるパートタイム的な自己教育が必要」。

「大学教育の役割は学生に自己教育のやり方を教えるところにある。教授陣が自己教育を続ける必要がある。研究活動。最も創造性豊かな研究者というの、は常に研究を何かの活動と結びつけてきた人々でした」。

「精神活動を要する社会的に有意義な職業をもつ人、また知力と活力を死ぬまで保ち続ける人については、老齢にともなう問題は起きません」。

この対談の二人の序文は半世紀前の1974年に書かれていているのだが、生涯にわたる自己教育の必要性、教える側の自己教育の必要性、そして精神活動の重要性についてのトインビーの以上の洞察は人生100年時代を迎えつつある現在の日本人に向けて、貴重な教訓である。教育の本質は、自己教育にあるということを改めて確信した。