寺島実郎の「世界を知る力」対談篇。

(東京MXテレビ)対談篇。日米中のトライアングル。

寺島:ロシアは、核大国。軍事大国か(軍事費は少ない)。経済小国だ(韓国に次ぐ11位。グローバル時代における孤立化の恐ろしさを感じている。

渡部恒男:ウクライナ問題はバイデン政権にはプラスにはならない、失敗するとダメージ。「軍を出さない」発言は失敗。欧州・NATOとの同盟の再構築ができ、結果オーライとなっている。

リュウ習近平政権には元紅衛兵が多い(ソ連時代に文学に共感)。中国経済は米日欧に依存。「非難しない」から「侵略」に変化。2月4日の北京五輪開会式の日に協定にサインしたがウクライナ進攻には触れなかったことに不信感。ロシアはウクライナを陸続きだったのに攻略できなかったことに衝撃を受けている。台湾は海があり難しい。

寺島:ウクライナにはユダヤ人が多く住んだことで科学技術が発展。ヒトラーにもユダヤ人の血といったプーチン発言を外相がイスラエルに詫び。ソロスなどユダヤ系が金融・情報分野でウクライナをバックアップしていることにロシアはいらだち。

渡部:ウクライナは健闘、善戦。ゼレンスキー大統領は国際ネットワークを使ったメッセージの発信力がある。アメリカの武器貸与法で、1941年の日本のようにロシアには逆切れの可能性も。

リュウ:「台湾」は攻略できない。ロシアの軍事技術に頼る中国。経済はダウンし深刻。4%台か。秋に3期体制をめざす習近平は苦境。

寺島:国連は全員参加型に。141ヵ国の意思表示。核のジレンマ。使えない武器にしていく。アジアの期待は2極文分断の世界を警戒。日本は先頭に。

リュウ:中国はロシアに「核」を学んできた。日米欧との関係の修復が必要。半導体が手に入らなくなっている。ロシアとの距離感の再構築も課題。

寺島:世界経済危機。物流が止まっている。食糧に赤信号(ロシ・ウクライナは穀倉)。インドも穀物輸出をやめるか。アメリカは武器産業が潤っている。ASEANとの対話など日本も一緒に仕事が出来る。中間選挙があるが、アメリカ人は内向きに。物価上昇と妊娠中絶をめぐる文壇など国内中心。中国は米中関係の変化の姿勢を見せるだろうがアメリカは簡単には騙されない。中国にはバブル崩壊でクラッシュの怖れ。新しいルールができても、誰がルールを守らせるのか? アジアの期待は権威的勢力と民主的勢力の対決構図のなかで、成熟した民主国家としての日本だ。日本は本気で民主主義を信じているか?国際論壇も変化、ロバート・ケーガンは80年前の神国日本がアジアの中心になろうとする日本の立ち位置とロシアは似ていると主張している。ロシアのギリシャ正教大国は見果てぬ夢。愛国と犠牲。民族宗教と国家権力の結びつきの悲劇。

リュウ:日本には戦略は無かった。日米同盟だけ。アセアンとの距離もなかなか縮まらない。戦略をだすべき。

渡部:二次大戦後には戦略はあった。大国が小国を押しつぶさないという方向で。

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今日のヒント

「子供を笑うな きのうの自分 年寄りを笑うな あしたの自分」

日刊ゲンダイ「流されゆく日々」。11381回「九十歳の壁の先に①」)

散歩中の写真。抽象画的。1万2千歩。


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「名言との対話」5月23日。斎藤秀雄「まず型に入れ、そして型から出よ」 

斎藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 1974年9月18日)は、日本チェロ奏者指揮者、音楽教育者。

東京都出身。父は斎藤秀三郎といい、日本の英和辞書を初めて編纂した人である。

12歳からマンドリン、16歳からチェロを学ぶ。20歳からドイツ留学。25歳での帰国後は新交響楽団N響の前身)の首席チェロ奏者。翌年に指揮者デビュー、チェリストデビューを果たす。28歳、ベルリン留学。帰国後の終戦後に「子供ための音楽教室」を解説し、これが桐朋学園につながっていく。斎藤は、53歳のときに桐朋学園短大の学長に就任。65歳、日本指揮者協会会長。71歳、文化功労者
斎藤秀雄は日本の音楽史上、重要な人物でり、その名前は「サイトウ・キネン・オーケストラ」「サイトウ・キネン・フェスティバル」などに冠として残っている。そして死後には、妻の遺言にしたがって「斎藤秀雄メモリアル基金賞」ができて3億円が寄付された。チェロと指揮で若手の優れた人に、500万づつの賞金を出している。受賞者名簿には、大友直人の名前もみえる。

斎藤秀雄は指揮についてのシステムを確立し、指揮法を後進に伝えた唯一の日本人である。「音楽も言葉と同じで、主語あり、動詞あり、形容詞ありで、文法と同じに分析できる」と語っていた斎藤は、1956年に『指揮法教程』(音楽之友社)を刊行。英文法の理論書や、英和・和英辞典を独力で編纂した父・秀三郎と同じく、指揮法を体系化し、世界に誇る指揮法の文法を創り出したのである。

その方法を教育の場に持ち込んで、日本が誇る小澤征爾岩城宏之山本直純尾高忠明らを育てたのである。方法論が素晴らしかったのであろう。斎藤の功績は大きいものがある。

「まず型に入れ、そして型から出よ」が斎藤の指導法だった。「指揮法教程」は、「型」だった。その上で、「型」から出て楽団員たちの力を十分に発揮させるのが「斎藤メソッド」だった。弟子の山本直純の指揮者としての座右の銘は「名馬ムチいらず」だった。オーケストラが動きたいようにうまく乗ることが大事だという意味である。それは先生の斎藤秀雄の指揮法だった。

どの分野にも「型」がある。その型を身につけて、その型から離れよ。日本では昔から「守・破・離」の法則がよく知られている。型を守り、型を破り、型から離れていく。名人への道である。斎藤は、指揮法を神秘の名人芸に閉じ込めることなく、科学的に構造を解明し、人がわかるように法則化したのである。その「守る」べき「型」を創造し、その上に立って後進を育てた。その業績は誠に大きい。斎藤秀雄は創造の人であり、優れ教育者であった。