「幸福塾」は「公人」の2回目。「神様」特集。
台湾の神様。鉄の神様。憲政の神様。打撃の神様。漫画の神様。経営の神様。ショートショートの神様。柔道の神様。育児の神様。お金儲けの神様。販売の神様。特撮の神さま。新劇の神様。童話の網様。競馬の神様。同時通訳の神様。式典の神様。ジャズドラムの神様。ビリヤードの神様。税の神様。私小説の神様。ナンセンスの神様。
以下、塾生の学び。
- 今日もありがとうございました。22名の神様(カール・ゴッチも含めて)の仕事、生き方、名言など時間の経つのを忘れて楽しめました。まず、今日登場した方の中で半分くらいは自分の知らなかった世界の知らなかった神様が登場して、一気に視野が広がりました。「童話の神様」「競馬の神様」「育児の神様」「ジャズドラムの神様」「ビリヤードの神様」「販売の神様」・・・・。共通して言えることは、一つのことにのめり込み、徹底して怒濤のように働き道を究めた、ということだと思います。また、結果として人を育てていたということですね。印象的だったのは「台湾の神様 八田与一」。台湾の発展に尽くしたのはハードの面だけでなく日本の精神のおかげということ。現在ではかなり弱くなってしまったかもしれませんが、それでもアジアの人々は日本に対する敬意や親近感をもっていると聞きます。かの大国が経済力にものを言わせても信頼されていない。私たちは日本人のよさを見直し誇りをもって外国の人々と接するべきだと思いました。また、マンガの力が話題になりましたが、医学教育(「はたらく細胞」)や教師教育(「マンガで知る~の学び」)でもすでに大きな影響力をもっていることを紹介させていただきました。次回も楽しみです。
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本日もありがとうございました。たくさん、いろいろな神様をご紹介いただきました。ショートショートの神様の星新一さん。読みきりにちょうどよい長さの小説を発明した方。と思っていましたが、「人生最大の楽しさは人に模倣されること」とおっしゃってたなんて、その通りですね。またなんといっても、育児の神様の内藤寿七郎さん。子供の目線にあわせたあのやさしい笑顔を忘れずに、「心のあたたかい人に育てる」見習いたいと思いました。漫画の神様の手塚治虫さん。世界を全部漫画にした方。鉄腕アトム、ファウスト、火の鳥、、、今読むとまた違った面白さがありそうです。昔漫画ばかり読んでいたので、みなさんも漫画を読まれていたときいて、嬉しくなりました。紹介くださった神様、それぞれが後人を育て、その方たちがさらに神様となってまた後人を育て、、さらに、、今の日本、世界があるのですね。塾生みなさんのお話も面白かったです。次回も楽しみにしております。
- 久恒先生、みなさま、幸福塾ありがとうございました。今日は生涯をかけてNo1になり、それぞれに神様と言われるようになった人をたくさんご紹介いただき、とても面白い講義でした。台湾の神様や憲政の神様、打撃の神様、漫画の神様などに始まり、新劇の神様や式典の神様、ナンセンスの神様などもあって、様々な分野でその道を極めた人がいることがわかりました。中でも漫画の世界では、手塚治虫や石ノ森章太郎などが教養を大切にし、大変な勉強家であったことや、漫画と図解には共通点があること、漫画は要約して書かれているので入門書に最適、といった話があり、ちょうど日経新聞の「私の履歴書」での里中満智子さんの連載とも重なり、大変印象に残りました。次回は「〇〇の神様」に続く「〇〇の母」「〇〇の父」といわれる人物の紹介とのことですので、続きが楽しみです。
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久し振りの幸福塾でしたが、色々な分野で「神様」と言われている方々の素晴らしい言葉や仕事を教えていただき、大変勉強になりました。また「神様」という切り口で人物を特集するというのは、さすがは久恒先生と思いました。「神様」とは「頂点を極めた人」「自分の向かい合った仕事を神のように成し遂げた人」と定義されていましたが、それぞれの分野で、それまでに無い新しい概念を構築されて、その実現のために邁進された方々のように思いました。概念の構築はことさら困難なことです。手塚治虫は勿論のこと、八田与一、本田光太郎、松下幸之助、内藤寿七郎など、神様と呼ばれる各氏に興味が湧きました。日本の宝のような方々の足跡に触れ、本当に良い時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。
- 久恒先生、みなさま、幸福塾ありがとうございました。今日は生涯をかけてNo1になり、それぞれに神様と言われるようになった人をたくさんご紹介いただき、とても面白い講義でした。台湾の神様や憲政の神様、打撃の神様、漫画の神様などに始まり、新劇の神様や式典の神様、ナンセンスの神様などもあって、様々な分野でその道を極めた人がいることがわかりました。中でも漫画の世界では、手塚治虫や石ノ森章太郎などが教養を大切にし、大変な勉強家であったことや、漫画と図解には共通点があること、漫画は要約して書かれているので入門書に最適、といった話があり、ちょうど日経新聞の「私の履歴書」での里中満智子さんの連載とも重なり、大変印象に残りました。次回は「〇〇の神様」に続く「〇〇の母」「〇〇の父」といわれる人物の紹介とのことですので、続きが楽しみです。
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久しぶりに参加させていただき、楽しかったです。ありがとうございました。今回は「〇〇の神様」と言われる方約20名のご紹介がありましたが、私が知っていたのは、名前だけとか、お顔だけ知っている方を含めても そのうちの半分くらいでした。しかし、初めて知った神様も含め、いずれも共通部分として、それぞれが没頭して続けたことがまわりに影響を与え、影響を受けた人がさらに功績を積んだ結果、「神様」と言われるようになったんだということを知りました。これまで幸福塾でお話があった、「幸せとは何か?」の答えにあった内容に通じるなと思いました。「神様」の領域に達するまで すさまじい努力と長い時間をかけたであろう方々ですから、他人から見れば苦労の連続だったんだろうなと思いがちですが、神様たちからすれば「幸せ」な時間だったのかもしれません。次回の「〇〇の父」「〇〇の母」なども楽しみです。よろしくお願いいたします。
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昨晩も「幸福塾」をご開講くださいまして、ありがとうございます。「神」を宗教者や、教祖といったものに結びつけるだけでは、、、、多くの分野・領域で「「神々しいばかりの心と行動で生きている(生きた)人々と捉え直すことを教わりました。
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「名言との対話」6月1日。清水安三「神はこの石ころのような劣等生に清水安三すらもなお同志社の創立者新島襄となしうる」
清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 1988年1月17日)は、教育者・牧師。桜美林学園創立者。
滋賀県高島市出身。生家の近くに陽明学の中江藤樹の家があり、「将来は中江藤樹のような人になりたい」と憧れていた。同志社大学神学部に進学し、新島襄に強い影響を受ける。渡米し、後の桜美林大学の名前ともなったオベリン大学に学ぶ。
同志社大学卒業後、1917年に中国・大連へ渡り、布教活動を開始。翌年には奉天に移り児童園を設置。1920年に北京へ移り、貧困に喘ぐ女子を対象とする実務教育機関・崇貞平民工読学校を朝陽門外に開校(翌年崇貞女子学園に1938年に崇貞学園と改名)。その後、小学校や中学校を併設し、中国人のみならず在華日本人にも門戸を広げた。また、愛隣館という救済院も作り、「北京の聖人」と呼ばれた。魯迅や周作人と親交を持った。この間、北京大学で特別講師となったバートランド・ラッセルの教育哲学に傾倒している。
敗戦で帰国。文化サロンだった新宿中村屋にも出入りしている。加賀豊彦と知り合い、後妻の清水郁子とともに東京郊の町田に「キリスト教主義に基づいた国際的な教養人の育成」を建学の精神とする桜美林学園を創立する。加賀豊彦は学園の初代理事長となった。
桜美林は現在では幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院を持つようになり、1万人を超える生徒、学生を擁している。「隣人に寄り添う心」「どんな艱難にあっても希望の光を灯し続ける心を育てる」ことを教育方針としている。 学園のモットー「学而事人」は、学んだことを通して、人に仕える人となるという意味である。これはジャン=フレディック・オベリンが提唱した「Learning and Labor」の思想に基づいた考え方だ。
『石ころの生涯』という伝記を読んだ。自分は路傍に転がっている石ころに過ぎないが、努力次第で新島襄のようになれると考えていたことを表している。歌人としての雅号は「如石」である。
「夢を見よ夢は必ずなるものぞ、うそと思はば甲子園にきけ」
「大学の設立こそは少き日の新島襄に享けし夢かも」
「我が霊や 天に昇らで 永えに 留まるべきそ 桜の園に」(辞世の歌)
桜美林大学は多摩大の近隣にあるので、私も交流があった。
2010年に桜美林大学多摩アカデミーヒルズの開所式に学長の代理で出席したことがある。厚生事業団を所有していたウェルサンピアを桜美林が購入し、国際交流などを中心とする施設として活用することになったもので、宿泊は66室有り135名が泊まれる。研修室は13室。レストランや、アスレチック施設もある立派な施設だ。三谷宗務部長の講話と佐藤東洋士理事長の挨拶が印象に残った。聖書の言葉、建学の精神、創立者・清水安三、、、、。祝賀会を途中で退席したが、おみやげにもらった『清水安三・石ころの生涯』を往復の電車の中で読了した。故人の著書、論文、エッセイ、説教、式辞などを編集したものだが、教育というものの崇高さを改めて感じた。
2011年。多摩市関連大学学長意見交換会。多摩センターの桜美林大学アカデミーヒルズ。多摩市長の主催で、行政と大学の連携がテーマだった。
2017年。日本私立大学協会・教育学術研究委員会に出席。テーマ「私立大学の将来像」。佐藤東洋士(桜美林大学総長)「高等教育の未来を拓く私立大学」を聞く。
2018年。清水安三誕生の地を訪ねた。清水は新旭町の名誉町民で、清水安三育英基金も設置している。「約され器にあれど 聖たれ聖たれよと聲うちに聞く」、と清水安三は67歳の時に詠んだ歌が生誕の地の石碑に刻まれている。中江藤樹を師と仰ぎ、粗衣粗食して聖人の道に励んだのだ。中江藤樹が清水安三に影響を与え、その影響力が桜美林大学をつくった。その大学で多くの若人が学んでいる。ここにも一人の人物の影響力の大きさを感じる
2018年。多摩未来創造フォーラムが玉川大学にて行われ参加した。桜美林の畑山学長は、「国際線パイロット育成事業」と「留学生7%。国際化とキャンパス拠点化」 を語っている。
2019年。八王子市の「大学理事長・市長との懇談会」。多摩市長との懇親会。に桜美林大学の畑山学長と懇談。
清水安三は、学ぶ人だったように思う。幼少期以来、中江藤樹、新島襄、魯迅、ラッセル、オベリン、加賀豊彦など、人に感激し、人から学び続けた人だのだ。路傍に散らかっている石ころのような小さな自分を自覚する自分、しかし新島襄のような大なるものにならんとする自分、その両方が清水安三の事業を成功させたのだ。
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