「図解塾」5期5回目。梅棹忠夫先生の「情報の文明学」の図解化プロジェクトが佳境に。

「図解塾」5期5回目。梅棹忠夫先生の「情報の文明学」の図解化プロジェクト。

  • 塾生の発表:「情報」「動物社会と情報」「文字情報と媒体」「情報の生態学」「進化と可能性」「近代工業社会」。
  • 塾長である私の解説:「文明系の発展」「情報の考現学」「工業と農業」「メディアと装置」「情報の情報」「価値と占有」。

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塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。もともと生物学がご専門の梅棹先生が動物から始まって生態学、進化という観点で情報を位置づけておられる、その発想の豊かさに驚きます。そして、人間の狩猟ー農業ー工業の時代を経ての情報産業時代を50年前に語られている。現在、私たちの身の回りの様々な業態を完全に予言されていたことにただ感心するばかりです。未来、すなわちこの延長線上に何があるのか、梅棹先生が現在ご尊名だったらどんなことをおっしゃっていたでしょう。また、私たちはすでに情報産業の時代に生きていますが、工業社会の生き残りとのせめぎあいが続いています。今日は本当に、面白く、勉強になりました。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。梅棹忠夫先生の『情報と文明』のパワポ化で、「→」の意味を言葉で説明すること大切さに改めて気づくことができました。「矢印は接続詞」とのヒントを頂きましたが、繋がっているキーワード同士の関係がきちんと理解できていないと、表面的な説明で流れていってしまうということがよく分かりました。このあたりは意識して取り組んでいきたいと思います。また、次回パワポ化の対象となる図解の解説では、かつての主産業であった農業や工業が趣味化・イミテーション化され情報産業になっていくという部分に大変納得感を感じ、興味をそそられました。そこでは「生産と労働」よりも生活第一主義の消費や情報などが産業の中心となり世の中が回っていくというイメージで、これから先の時代までも予見しているような梅棹先生の先見性に改めて驚くとともに、学びに楽しみを見出す価値観などもこの中にあるものと強く感じました。少しずつ深いところへも理解が進んできている気がします。次回以降も楽しみです。
  • 久恒先生、図解塾のみなさん、本日もありがとうございました。4月から始まったプロジェクト「梅棹忠夫著作集の図解」に久しぶりに参加させていただきました。前半は、参加者が、宿題で作成した図解(久恒先生が著作集を手書きで図解にしたものをパワーポイントに落とし込んだもの)を見ながら著作の内容を説明し、先生が修正するというものでした。説明のポイントは、矢印にどんな意味(言葉)を付けるかということ。主に接続詞になりますが、どの言葉を選ぶか工夫が必要とのことでした。後半では、次回の宿題の対象となる図解の解説がありました。今回は「情報の情報」や「情報の考現学(考古学ではありません)」などがテーマですが、その内容は「正に今の日本の状況」といえるもので、これが50年前に考えられたものであることにただただ驚くばかりでした。図解の宿題はあと半分くらい残っていますから、どんどん作成していく中で、梅棹先生が考えたことを少しでも理解できたらと思います。よろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。宿題のパワポ化した図を説明してみて、接続詞がよくわかっていなくつまりは理解があまいことが分かりました。難しいですね。忘れないうちに修正いたします。本日説明いただいた、文明系の発展では、装置と制度つまりハードとソフトのセットでの発展がわかりました。装置群が爆発的に開発蓄積されての、情報時代へ。情報の考現学について、疑似産業の発展の箇所が現代と重なっていて面白かったです。50年前に考えたことなので、当時どのくらい先のことを思われて本にされたのか、また、今現在梅棹先生のお考えになっていた通りになっているのかな。と思いながらお話を聞いていました。メディアと装置、さらにすすみ情報の情報。情報の価値と占有と、タイトルだけでもつながりが感じられます。これで14章の半分ぐらいなんですね。この先も楽しみです。宿題は、接続詞がどうなるかなど意識しながらパワポ化したいと思います。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、今日も梅棹先生視点の情報化社会の捉え方について、エッセンスを学ぶことができました。情報は前払いのビジネスというところでは、情報が溢れている現代でどんな情報にお金を払うのか自己責任も伴っているのではないかという気づきがありました。払う前に調べるという現代の人類が普通に行っていることが「情報の情報」という考え方で語られていたことにも実生活で自分自身が口コミ、レビューなどでお金を払う前に情報の情報を活用していることから考え方がスッと腑に落ちました。清書した図の説明では、矢印の部分で正しい接続詞を用いることで図の説明が大きく変わることに注意する点も学びのひとつとなりました。次回も楽しみにしています。
  • 久恒先生、みなさま、おつかれさまです。ここしばらくは久々の社業大忙しの為、塾はやむなくお休みを頂いております。ともすれば鈍ってしまう事の無い様、「図解」と「幸福」2本のアンテナは張り続けております。今回5月14日付け東京新聞掲載の、「最初に撮った母が『最高傑作』」について、「幸福」系まとめを作成致しました。写真家鋤田正義(すきたまさよし)氏の生家は筑豊福岡県直方市に在り、かつては化粧品や小間物を扱う大棚、父が戦死しそれ以降母は女手一つで鋤田氏4人兄弟を育てる事に。母の苦労をよそに青年鋤田氏は写真に傾倒、母は家計をやりくりし高価な「リコーフレックス」を彼に買い与えます。そのカメラで鋤田青年は母を撮ります、直方市伝統の「日若踊り」の装束で縁側に腰掛けた母の上半身。後年世界的アーティストであるデビッドボウイのアルバム写真が代表作となる高名な写真家鋤田氏は、この一枚を自分の『最高傑作』と公言しています。時は流れボウイは早世、母も2001年八十五歳でこの世を去ります。独立以来32年間毎月欠かさなかった母への仕送りは通帳にそっくりそのまま残されていたとか。父の死後子育て一筋で独身を貫いた母の凛とした生き様に、写真家として大成した自分の原点を発見できたのではないかという、一つの「倖せの形」が感じられたので皆様にご紹介する次第です。以上宜しくお願い致します。

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「名言との対話」6月8日。窪田空穂「かりそめの感と思はず今日を在る我の命の頂点なるを」 

窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年明治10年)6月8日 - 1967年昭和42年)4月12日)は、日本歌人国文学者

長野県松本市出身。東京専門学校(早稲田大学)卒。1919年に早稲田大学講師となり、後に教授。文芸の幅広い分野の実作と研究に大きな功績を残した。
短歌では、与謝野鉄幹の「明星」を経て、『国民文学』を創刊し、「アララギ」と並ぶ一大勢力を形成した。自然主義から日常詠も詠み「境涯詠」と呼ばれる家風となった。朝日歌壇選者。生涯で歌集を23冊刊行している。
また小説も発表している。国文学では、「万葉集」「古今集」「新古今集」の全評釈を行った。文化功労者
『窪田空穂名作全集』(日本文学研究会)を手に取った。「遺愛集」と題したエッセイが目についた。巣鴨刑務所で死刑囚として服役する島秋人という歌人との交流を描いている。毎日歌壇の選者と投稿者との関係しかないが、島秋人は自らの歌集「遺愛集」に序を頼まれる。遺愛とは「生前愛した物で、死後に遺す物という意味であろう」とし「わが作歌こそ我が生命であるとの意」と受け止めている。数百の歌を読み込んでいる。島秋人の歌には心境のくり返しがなく、洗練と気品があると感嘆している。このエッセイでは最後に「島秋人は私に悲しむべき人なのである。しかし悲しみのない人はいない。異例な人として悲しいのである」と結んでいる。歌を詠む死刑囚との交流は、窪田の人柄の気高さを感じる。 
『校註 小野小町集 補訂版』では、中流貴族階級の女性に共通している自由な恋愛生活を送った女性としてとらえ、解説をしている。奔放な性生活を送った小町があげている5人のいうちの一人は在原業平だったことを私は初めてしった。「花の色は移りにけりな徒らにわが身世にふるながめせし間に」「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらば住なむとぞ」などの歌がある当時歌人として高名だった小町の名が歴史に残ったのは、「古今集」を編んだ紀貫之六歌仙の一人に推奨したからだという。小町は万葉風の古風と古今集の新風にもつながっているとの評価であった。 
窪田空穂の歌をあげてみたい。
「麦のくき口に含みて吹きおればふと鳴りいでし心うれしき」
「鉦鳴らし信濃の国を行き行かば ありしながらの母見るらむか」
「麦、、」は私にもあった少年時代を思い出すこころが暖まる一首だ。「鉦鳴らし、、」は、12歳で亡くした愛する母を思う歌であり、1年前に母を亡くした私も共感を覚える歌である。

 

窪田空穂 名作全集: 日本文学作品全集(電子版) (窪田空穂文学研究会)

 

校註 小野小町集(補訂版)

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三沢 三恵
 
 
 
 
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