「幸福塾」。本日のテーマは「〇〇の父」。

「幸福塾」。本日のテーマは「〇〇の父」。

インスタントラーメン。沖縄学。現代漫画。生協。柔道。近代陶芸。日本近代医学。日本近代資本主義。プロ野球。日本のウイスキー。日本の物理学。ペースメーカー。漫画。近代陶芸。台湾砂糖。レスリング。公園。植物学。近代俳句。民芸運動コミケ。プロレス。、、、、

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以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。「〇〇の父」と言われる各界の先駆者・第一人者となった方々をご紹介いただきましたが、実にたくさんの偉人が「父」としてその分野を極め育ててきたかが分かり大変興味深く伺いました。例えば「インスタントラーメンの父」の安藤百福。ラーメンは平和産業。インスタントは時間を大切にすること作ること。時計の針は時間を刻んでいるのではない、自分の命を刻んでいるのだ。人類は麵類!・・・など、魅力的でユーモラスな言葉が印象に残りました。また、「近代陶芸の父」川喜田半泥子。銀行の頭取職にあって、趣味で陶芸作りに没頭し、魯山人と並び称されるまでになったとのことですが、あくまで趣味の立場で取り組んでいたというところに凄さを感じました。また「日本近代資本主義の父」渋沢栄一の「老化は新知識の欠乏」という言葉には、思わず背筋がぴんとなる思いでした。毎回新しい言葉に出会います。次回以降も楽しみです。
  • 本日も、ありがとうございました。「〜の父」をテーマに数多くの方々を紹介いただきました。一つの分野を極めたというよりは、複数の分野で活躍されている方々の多さに驚きました。有能さと器用さを兼ね揃えていると思いました。安藤百福のリーダとは権力ではなくて責任の所在であるというフレーズから、リーダーのあり方を学びました。リーダーだからこそ得られる権力を権力として行使するのではなく、メンバーが自由に活躍できるための責任として使っていく姿勢になるほどと思いました。紹介いただいたお一人お一人は、ブレないものを持ちながらも、人徳の良さもじわりじわりと伝わってくるものを感じました。だからこそ、いい人が集まってきて、心地よいエネルギーが場に満たされるのではないかと、思った次第です。遠出から帰宅された次の日にこの幸福塾を開催いただいたこと、本当に感謝申し上げます。
  • 本日参加出来ず、大変残念です。皆様の投稿で、様子だけでも伺うことができれば幸いです。
  • 本日もありがとうございました。いつものことながら、非常に濃い時間でした。「まんぷく」や「青天を衝け」などTVドラマで親しんでいた人もいれば、全く名前を知らなかった人もかなりいました。それぞれの生き方やエピソードなど、興味は尽きません。いくつか気付いたことがあります。(1)生協の父、賀川豊彦が知られざる知の巨人だということを知りました。貧しい人たちのための非常に多くの事業をリードしてきました。こういった、あまり世に知られていなかった数多くの人々を発見する期待が高まってきました。(2)「コンタクトレンズの父」とか「四コママンガの父」など、日常生活で細かい物だけどお世話になっているものの一つ一つに、それぞれの歴史があり、「父」(または「母」)と呼ばれる開発者の存在があることを再認識しました。(3)最後の笹川良一の生き方については、完全に偏見にとらわれていたことを実感しました。もっと多角的に、クリティカルに全てをみなければいけないと思いました。なお、今日は今西錦司氏と京都学派のことを取り上げましたが、読書会をやってみたら、というご提案がありました。とてもいいアイディア、ありがとうございます。
  • 本日も先生、みなさまお疲れ様でございました。「〇〇の父」と言われるたくさんの方々のお話をいただきました。いろいろな方面の、初めてその分野を開拓し、引き継がれ「父」と呼ばれるようになった方々のお話でした。また、NHKの朝ドラになってる方も多く、人物像のイメージがしやすかったです。南方熊楠は日本民俗学の母?と呼ばれているそうで、日本民俗学というものを作った産んだからでしょうか?安藤百福さんのおかげでインスタントラーメン食べることができていますし「インスタント食品は時間を作り出す産業」は、なるほどと思いました。岡本太郎と父母まわりの方々の物語はぜひ見てみたいです!嘉納治五郎の「人に勝つより自分に勝ちなさい」を忘れないように日々過ごさなければと思いました。明治大学米沢嘉博記念図書館は行ってみたいと思いました。本日もありがとうございました。
  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。神にまでは登りつめることがなくても、〇〇の父と呼ばれる方々のお名前業績に触れ、素晴らしい先人達に改めて敬意を表したいとおもいます。私が存じ上げる方だけでは無く、忘れられた巨人の方もおり、得るところ大でした。以前の講義で城山三郎の「部長の最晩年」と書棚の片隅で遭遇、久しぶりに手に取りました。以前は途中で放り投げた本でしたが、年齢のせいか楽しく読了しました。主人公の永田耕衣は個人としての生き方が中心に描かれていて、俳句の父と呼ばれるまでにはなってなかったですが、公人、私人としての生き方も学ぶところだいでした。次は笹川良一にトライしてみようとおもいます。次回も宜しくお願いいたします。
  • 昨日「幸福塾」ありがとうございます。ご教示に感謝申し上げます「公人」とは、肩書や組織から当てがわれる役回り、いわゆる「役人」であるかないかによって規定されるものではなく、個人の公的意識、志向の強さ、嗜好の深みや私的なレベルを超えての物事の受け止め方によることが多いものと思います。昨夜ご紹介いただいた「…の父」といわれる人々は、そういう人々なのでしょう。
  • 久恒先生、皆様、昨日はありがとうございました。昨日のテーマは「公人」の中の「〜の父」と呼ばれた方々のお話でした。「父」とは、「その分野で最初にやった人」という定義でしたが、私は更に「その分野を一般人にも分かる様に形創った」方々であるようにも思いました。安藤百福柳宗悦北里柴三郎渋沢栄一岡本一平賀川豊彦などなど、今の私達の日常があるのは、こうした先人達のおかげだと改めて気付かされる事しきりでした。また、笹川良一のように、思いもよらない方面に足跡を残している「父」たちの話を聞き、人は一面だけでは語れないと改めて思いました。「父は多いが母は少ない」という現象の中には、当時の時代背景などが関わっていると考えたのですが、唯一男性で「日本民俗学の母」と言われている南方熊楠がなぜ「父」ではなかったのか、とても興味が湧きました。次回が楽しみです。

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「名言との対話」6月15日。山崎久夫「(夢は)時計王、服部金太郎

山崎久夫(1904年6月15日ー1963年4月8日)は、日本の実業家。セイコーエプソン創業者。

山梨県諏訪市出身。高等小学校卒業時には、「時計王、服部金太郎」という人生の夢を披露したというエピソードがある。

服部時計店に奉公していた久夫は、関東大震災で帰郷し、父と時計店を始める。その山崎時計店は一番の商店街に進出するまでになった。

危険分散を考えていた第二精工舎から「時計の組み立て」をやらないかと誘われる。製糸業が化学繊維によって圧倒されつつあった諏訪地方の新しい地域産業に育てようと考え、「大和工業」を設立。1946年から生産を始める。1959年、大和工業は第二精工舎諏訪工場と合併し、諏訪精工舎となり、久夫は代表取締役に就任。この会社が現在の「セイコーエプソン」である。このことによって諏訪地方に時計組み立ての産業が根付くことになる。

ねじまきの時計から、電子時計の時代を経て、久夫は世界中の技術者ができなかったクオーツ(水晶)を使った誤差のほとんどない腕時計の開発に挑戦する事を考える。全国の学生たちを熱意で口説き落とし、諏訪で開発に挑み大きな成功を果たす。

この物語は、NHKの人気番組『プロジェクトX 挑戦者たち』で「新たなる伝説、世界へ 逆転田舎工場世界を制す クオーツ・革命の腕時計」として取り上げられた。ついに山崎久夫は「時計王、服部金太郎」になるという子ども時代の夢を実現したのである。

因みに家業の山崎時計店はどうなったか。1955年に久夫の長男の壮一が東京などでの修行を終えて帰郷し、山崎屋時計店を復活させる。時計、ジュエリー、金地金、メガネ、補聴器などを扱うミスズ工業となっている。

現在では、諏訪地方は時計など精密産業の集積地として独特の存在感を放っている。それには特産の水晶(クーオーツ)を活用しようとした山崎久夫らの活躍があったことを初めて知った。時代の要請と地域の資源を組み合わせて、「時計王、服部金太郎」という自らの夢を実現する。それが新しい地域産業となっていくという素晴らしいストーリーに感動させられた。