自転車で巡る益田:雪舟(画僧)「雪舟の郷記念館」「萬福寺「医光寺」。柿本人麻呂(歌聖)「万葉公園」の「人麻呂展望広場」「柿本人麻呂神社」

炎天下、自転車で巡る益田ツアー。

 

雪舟の郷記念館。

萬福寺

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医光寺。
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万葉公園。

人麻呂展望広場。

 

柿本人麻呂神社。

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「名言との対話」6月30日。東くめ「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」

東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月30日 - 1969年3月5日)は童謡作詞家日本で初めて口語による童謡を作詞した

和歌山県新宮市出身。東京音楽学校でピアノと唱歌を学ぶ。卒業後、研究科に進み、ピアノと和声学を学ぶ。そのかたわら、東京府立高等女学校の音楽教師として8年間つとめた。その間、同郷の東基吉(東京女子高等師範学校教授)と結婚。

東くめは、「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」をテーマに作詞を始める。作詞家として、くめは東京音楽学校で2級下だった作曲の滝廉太郎と組んで、幼稚園唱歌をつくっている。

「もういくつねるとおしょうがつ」で始まる「お正月」や、「雪やこんこん」などは誰でも知っている名曲である。

教育学者の夫が大阪府池田師範学校校長に就任したため大阪に転居する。1918年設立の婦人同好会「ピアノ同好会」の幹事をつとめる。1959年、東京芸大創立80周年記念式典で音楽教育功労者表彰を受ける。1962年、新宮市名誉市民となり、池田氏文化功労賞を受賞。

1964年には、ピアニストとなっていた息子の東貞一の還暦と、自身の米寿を記念した祝賀パーティを「米寿・還暦」パーティを阪急百貨店で開催している。東くめは、90歳まで現役のピアノ教師として活動している。

唱歌」とは、明治以後、小学校初等科は終身、読書、習字、算術の初歩及唱歌、体操とす」なる。現在の音楽である。森繁久彌は、「私は「小学唱歌」は、西欧の国で言えば「賛美歌」だと思います。「 「小学唱歌」や「文部省唱歌」には、いまとやかく言われている「歴史観」や「国家観」や「国の心」とかいうものが、全て柔らかで優しい形で含まれています」と語っている。また、東くめと組んだ作曲家の滝廉太郎は、中学唱歌荒城の月」「箱根八里」などを作曲している。

東くめは、小学校にあがるまえの幼稚園児を対象とし、「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」をつくるという志をもって「幼稚園唱歌」の詩を書いたのだ。東京音楽学校で「唱歌」を学んだことを生かして童謡作詞家として後世に残る作品を書いた。

また、この人は還暦の息子と一緒に自身の米寿を祝うパーティを開催するなど、多くに人の耳目をひくほど元気であり、生涯現役でピアノを弾いたことにも感銘を受ける。東京音楽学校で学んだピアノはライフワークとなっている。おそらく自身のつくった幼稚園唱歌は数えきれないほど演奏したのであろう。一貫した生涯のモデルといえる。