山岡浩二『明治の津和野人たち』ーー「父」「草分け」「日本初」「神様」「生みの親」「先駆者」

津和野町は、人物が輩出する町。

『明治百年島根の百傑』によれば、松江市に次いで津和野町は2位。3位が出雲市。以下、安来市、増田市、浜田市太田市と上位はすべて市。

藩校・養老館の存在が大きい。国内留学制度。東京の塾「増達塾」や寄宿舎のネットワーク。

現地で手に入れた山岡浩二『明治の津和野人たち』(堀之内出版)を読んだ。著書は津和野に住む郷土史家。大学を卒業し津和野町役場に勤務し、定年を機に本格的に郷土史に取り組んでいる人。端々にこの町への愛情がみてとれる。

この本で紹介される人物には、「父」「草分け」「日本初」「神様」「生みの親」「先駆者」などの言葉が並んでいるのは、壮観である。

代表格は、森鴎外西周であるが、その二人以外にも津和野が生んだ人物は多い。

山辺丈夫:日本近代紡績業の草分け

亀井茲明:日本初の従軍カメラマン

小藤文次郎:日本地質学の父

福羽逸人:国産イチゴ第一号の生みの親

高岡兄弟:兄・直吉は初代札幌市長。弟・熊雄は北海道帝大総長。

中村吉蔵:演劇一筋の劇作家

天野雉彦:「趣味講演」を創造した異色の童話家。

神代種亮:「校正の神様」

伊沢蘭奢:短くも華やかな生涯の新劇女優

中田瑞穂:日本脳外科の先駆者

大庭良美:膨大な民俗を記録した在野の民俗学者

伊藤佐喜雄:第1回芥川賞候補作家

 

 

 

夜は松本さんとyoutube「遅咲き偉人伝」の収録。1時間。

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「名言との対話」7月3日。疋田豊治「シシャモ」

田豊治(ひきたとよじ 1882年(明治15年)7月3日ー1974年(昭和49年)10月30日)は、日本魚類学の基礎を確立した学者。享年92。

山県県鶴岡市出身。東京理科大学臨時教員養成所卒。京都、大分県の佐伯中学校教諭。東北帝大農科大学講師、助教授。北海道大学付属水産専門部教授。函館高等水産学校(現・北大水産学部)教授、1943年に定年退官。北大農学部水産学科講師、1953年退職。自宅の物置を改造し研究室とする。北海道文化賞。大日本水産会功労者。

北方魚類の研究を生涯のテーマとした疋田は写真撮影に秀でていた。北大函館キャンパスの総合博物館分館の水産科学館には疋田撮影の、多様な魚類や漁村の風景など約6900点のガラス乾版が収蔵されている。

「カレイの疋田」といわれた北方産カレイ研究の第一人者であり、また「シシャモ」の名付け親としても有名だ。アイヌ語でスサム(柳の葉)と呼ばれていた魚に、柳葉魚の字をあててシシャモと命名した。シシャモは日本固有種の遡河回遊魚で、私も20代の北海道勤務時代に、よく食べた魚である。

教育者としても弟子たちから慕われ、1951年に古稀の記念に同窓生による謝恩旅行が実現する。稚内から鹿児島までの日本縦断の80日間の旅である。これほどの素晴らしいプレゼントは聞いたことがない。当時、師弟愛の明るいニュースは話題になっている。。

黒澤明監督の『まあだだよ』で描かれた教師の内田百閒、その百閒の先生の夏目漱石などの姿やエピソード、そして第二高等学校の教授であった土井晩翠が教え子たちから住宅をあつらえられたことも思い浮かぶ。これら名教育者たちと同様に疋田豊治は研究に熱中するが、滑稽なところもあり、弟子たちの敬愛のまとだったのである。

(参考」荘内日報「郷土の先人・先覚156」。函館市文化・スポーツ振興財団「函館ゆかりの人物伝」)