朝:寺島文庫。昼:中国人実業家の蔡君。夜:知研幹部会・知研セミナー仲谷淳「野生動物対策における知的生産の技術」

19時:知研幹部会:年内のセミナーの講師選びなど。

20時。知研セミナーは仲谷淳「野生動物対策における知的生産の技術」。17名。

野生動物対策におけるいくつかの事柄を紹介しつつ、誤解やミスリードを防ぐ知的生産技術の可能性について議論。グラフ化、数理モデル、複数の偏見、学際的議論等の有効性など。
野生動物対策で検討したい事柄の例。・特定鳥獣保護管理計画における捕獲の限界。  (生息数の何割の捕獲が可能か)・狩猟者の減少は深刻だ(時間軸を考える)・イノシシの分布拡大の原因は地球温暖化(環境要因と人的要因) ・捕獲数の増加は望ましい   (対策の強化か、生息数の増加か)・オオカミを放したい(数理モデルを考える) 

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以下、私のメモから。

  • イノシシの分布と生態:広がりつつある。島嶼・都市・東北(北上中)。対馬藩の対策。供養塔。狩猟の時代、作物栽培の時代、人間優位の時代、2100年?。
  • 農作物被害の動向:捕獲補助金100億規模。会計検査院。西日本減少・東日本増加。
  • 被害対策の方法:1・捕獲(年60万頭を捕獲処分。生息地が広がっている。100万頭が生息。。2・防除(「柵の設置。柵だらけで街に誘導)。3・環境整備(箱罠。忌避剤。評価?。処分をどうする?牧場化。人間を恐れさせる)
  • 知的生産の技術:間違った対策が見えるように。グラフ化、、。

生息の半分を処分している。しかし減少しない:シカやサルと比べ多産。猟銃会と報奨金。生息面積を狭める。市町村に丸投げが実態。専門家不足。ジビエ(冬肉)。

専門家はどこにいる? 内外の共同研究グループ? 福島、夕張?

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以下、参加者のコメント、

  • 仲谷様 本日は、イノシシをテーマに興味深いお話を頂き、有難う御座いました。単にイノシシの話に留まらず、イノシシ駆除に関連した行政の問題から、生態系の話まで、色々、考えさせられ、非常に勉強になりました。
  • 本日は、野生動物対策における知的生産技術というテーマで大変興味深いお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。イノシシは、自宅の周りや職場の近辺によく出没し、見かけたり、被害や駆除の話もよく出ますが、イノシシについてどのような歴史や背景や状況になっているかよく知らなかったので大変参考になりました。特に印象に残ったのは、人口減少により、今でさえ、イノシシの対策が大変なのに、今後はどうなるのか?という事です。今後どうすればいいのかなど改めて考える良い機会になりました。捕獲すればいいというわけではなく、なぜ増えるのかを考えなくてはいけないということも印象に残りました。被害のあるところにただ箱罠を設置するだけでは効果がなく、また箱罠の外に餌があるときそれだけを食べるため、気を付けないといけないということも中谷様のお話をお聞きし、よくわかりました。狩猟者を増やせばイノシシが減って解決する問題でないこともグラフ化することでわかりました。グラフ化すると、常識と思っていたことが、間違いであることに気づき、将来に向けた予測もしやすいことがわかりました。中谷様のお話しをお聞きし、イノシシや鹿の野生動物の対策が、そう簡単ではないことを実感致しました。イノシシや鹿などによる作物の被害や鹿が木の皮を食べることによって酷い場合は土砂災害までも引き起こし、様々な悪影響をもたらすのに、未だに決定的な解決策も見つかっていない。  解決のために、更なる知的生産技術や他者(海外)の視点、専門家とのつながりその他あらゆる方法やネットワークを駆使して解決していかないといけないことがわかりました。 
  • 今日は、仲谷淳さん(イノシシ総合研究所)から、非常に興味深いお話をうかがうことができました。日本人がイノシシやシカなどの野生動物と向き合い場所によっては藩の力により皆無にしたという歴史が示されました。緻密な調査結果と分析には頭が下がります。捕獲に対する補助金の問題、捕獲数が多いほど実は深刻であるという事実、など思い込みが多かったことを知らされました。印象的だったのは、イノシシは自分から人を襲うことはないということ。「With イノシシ」という道もあるのかな、と考えたりしました。海外の研究者や実践者との連携や、生態学・経済学・地方行政学・過疎対策など専門の枠を超えた総合的なプロジェクトが必要だとも感じました。いろいろと勉強になりました。ありがとうございます。
  • 昨晩は普段殆ど気にしていない野生動物に関するお話を伺い、イノシシが街中に出て来たニュースを、別の角度から考える事が楽しみになりました。 野生動物の対策についても、世界的に情報交換しながら今後の方針を考え,しっかりと対処していかないと、10年後が不安になります。国内においても,産官学が協力しないと,全国的に大きな社会問題になりそうです。 最後に言われた,茨城県と千葉県が今後イノシシ被害が大きくなるという事ですが,千葉県民として丘陵地に行くときは、気を付けます。 興味のある話をありがとうございました。
  • 前回、セミナーのテーマは、メタバース、今回は、プリミティブな、イノシシのお話でした。今春、私は千葉で解剖実習をし、先月は、地獄谷モンキーパークで野生の猿を見てきました。それもあって、楽しみにしていました。知的生産の元となるフィールドワークは、文化人類学などに使われてきました。今では、京大総長の山極寿一さんのゴリラ研究などが、つながるのかと思いつつ、拝聴。イノシシやシカは、もう身近な問題ですね。中谷さんの研究の仕方から発想の広げ方、問題提起と幅広い勉強になりました。野生の動物も、猿、鹿、猪などは、人間のつくったところ、つまり、生きるのに楽なところに行くようになるのですね。、人間と同じく、一度、知った便利さは手放せない、ある意味で文明化です。環境や私たちの接し方によって、個々に変わるのですね。有性生殖は無性生殖より進化が早い、、結婚どころか子供をつくらない若者も増え、30年後、心配な日本です。相変わらず、役所では、害獣対策にも予算丸投げ、将来的視野も世界的なスタンスもなく取り扱われているようで、勿体無いことです。中谷様のこの分野での今後のご活躍を期待いたします。

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10時:寺島文庫で寺島実郎さんと面談し近況報告。

  • 「図解全集4巻・5巻」「記念館1000館」「新HP(集大成と新世界)」「知研再建」「ZOOMの塾」「世界を知る力(安倍・ロシア)・朝日新聞」「多摩大」「大企業人病」「友人たちの動向」「互いのテーマ」「世界宗教者会議・玉城デニー」、、、、。
  • 寺島実郎の時代認識2022年夏号」「脳力のレッスン244特別編:近代史におけるロシアと日本の相関」をいただく。

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12時:中国人の蔡君(宮城大学1期生の実業家)と新宿ヒルトンホテルで食事。青島の実業家・蔡社長も同席。母の遺歌集、コロナ、豊洲、事業、、、。超高級なお茶のセットをいただいた。

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「名言との対話」7月15日。永野重雄東京裁判によって日本人の精神はすっかり骨抜きにされてしまった。このままでは日本人の精神はやがて崩壊し、日本は必ず壁に突き当たる」

永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 1984年5月4日)は、日本実業家新日本製鐵会長・経済同友会代表幹事日本商工会議所会頭などを歴任した。戦後日本を代表する経済人の一人。

島根県松江市出身。広島市育ち。兄は、政治家の永野護衆議院議員参議院議員)。弟に、永野俊雄五洋建設会長)、伍堂輝雄日本航空会長)、永野鎮雄参議院議員)、永野治石川島播磨重工会長)。長野6兄弟と呼ばれた。10歳上の兄の護が渋沢栄一の息子の勉強相手として受領した金が弟たちの教育費となった。5人が東大、一人は東北大に進んだ。

岡山の六高から東大法学を卒業。1925年に、倒産会社、富士製鋼の支配人兼工場長となり、再建を果たしたことから、鉄鋼業界を本業とする。1934年、富士製鋼は日本製鉄に統合され、日鉄の中枢を歩む。戦後、片山内閣の経済安定本部次官となり、ここで池田勇人佐藤栄作と親交を結ぶ。日鉄に戻るが、八幡と富士に分割されて、永野は富士製鉄の社長に就任し、躍進を続けた。

1970年、八幡製鉄と富士製鉄が合併し、新日本製鉄が誕生。独禁法違反だとする若手学者のが反対押し切り、八幡製鉄と富士製鉄の世紀の大合併の立役者となった。「鉄は国家なり」の時代に、世界一の鉄鋼会社をつくりあげた。合併後は社長を八幡に譲り会長となったが、むしろ下位にあった富士の方が主導したといわれる。「僕の長い人生でも、富士・八幡両製鉄の合併は、まさに心命を賭した大仕事だったな」と述懐している。

私は生前から永野の動きをメディアで知っていたが、改めて手がけた事業のスケールの大きさと、案件の膨大さに舌を巻いた。剛腕、人脈、信用、、。本物の財界人であった。単なる経済人ではなかった。後に財界四天王の一人、戦後の財界のドンと呼ばれたのもうなずくことができる。政治の世界での総理の職を争いの調停も行っている。そして日本財界のトップとして、アジア太平洋、インド、ソ連、オーストラリア、アラブ、インドネシアなどとの懸案の推進するなど八面六臂の活躍をしている。

永野の言葉を聞こう。

「小さな租小さな租織に入って門前の小僧で何でもやったことが、どんなに役に立ったかわかりません織に入って門前の小僧で何でもやったことが、どんなに役に立ったかわかりません」というように苦労人であった。

「人は後ろから声をかけられると、相手に親しみを憶えるものらしい」

「私の悪口はすぐに報告しなさい。しかし、言った人の名は言わないでください」

「永い時間に耐えるものは「真実」、「誠実」これにつきますね」

様々な人が永野重雄に感謝している。大谷米一は「ホテルニューオータニは永野さんのおかげで建てることができた」加藤巳一郎中日新聞社社長は「中部地区の産業界にとっても永野さんは大恩人です」、、。こういう声は枚挙のいとまがない。

頼まれるとほとんど引き受けるので、スポーツ、趣味の肩書約200を合わせると、肩書は600を越えるといわれた。

その永野重雄は、「占領下にあったが故、公には何も言えなかったが、東京裁判によって日本人の精神はすっかり骨抜きにされてしまった。このままでは日本人の精神はやがて崩壊し、日本は必ず壁に突き当たる」と重大な予言をしている。

現今の政界、財界、官界、言論界、学界などで頻発する不祥事、トップの人たちのスケールの小ささ、発言の軽さ、精神の堕落などをみると、永野重雄の予言が現実のものになってきたと思わざるを得ない。「日本人の精神」の復権が、21世紀の日本の一番重要なテーマである。