「幸福塾」は「公人」起業家の2回目。
- ロイヤルの江頭匡一。ヤマト運輸の小倉昌男。岩谷産業の岩谷直治。太陽工業の能村龍太郎。アシックスの鬼塚喜八郎。リクルートの江副浩正。
- 最近2週間:偉大さをあらわす言葉「父・巨人・ドン・天才・ナポレオン・小さん」。小山内薫「新劇の父」。島津源蔵「蓄電池の父」。浅田長平「鉄鋼の巨人」。金子直吉「財界のナポレオン」。遠山元一「兜町の天皇」。二宮忠八「日本の航空機の父」。里見弴「小説家の小さん」。永野重雄「戦後財界のドン」。青木繁「悲劇の天才画家」。
- 塾生からの本と映画の情報。「氷雪の門」「日本は核武装せよ」(橋本)。「色川大吉」「読書会という幸福」(外山)。「日日是好日」(森下典子)。「職場のウェルビーングが、、」(日経)。「フィンランド 幸せのメソッド」(集英社新書)。映画「ラパッチ」。「みつもとかずひこ」。「こばやししょうたろう」。
以下、塾生の学び。
- 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今日は7名の創業者の方々をご紹介いただきましたが、一番印象に残ったのは、 「事業というものは植林と同じです」という 岩谷直治氏(岩谷産業)の言葉でした。 「 苗を植えて肥料をやり、草をむしり、丹精をこめて育てなければいけない」 「小さくはじめて、だんだん大きくしていく」 など、コツコツと時間をかけて 必要な商品やサービスを 足腰の強い事業に育てていくところに魅力を感じました。また、 「知識の組織化が一番大事」 という能村龍太郎氏(太陽工業)。テント という一つの分野をあらゆる側面から探求していったとのこと、知的な感じも受けます。(東京ドームは「テント」から来ていたことには改めて驚きました)。ほか創業者の信念が伝わってくる味わい深い言葉がたくさんありました。ありがとうございました。
- 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。冒頭久恒先生より「人物研究者としての第一歩を踏むこととなった」旨宣言があり、百数十人に及ぶ著名人たちの名言を集めた「全集」パンフレットのゲラから、その大作ぶりが大いに感じられました。今秋発売との事、今から反響が楽しみです。さて本日「幸福塾」のお題は「公人:起業家」の2回目で、比較的近代を生きた身近な「ブランド」を創った人々の名言コレクションを堪能する事が出来ました。そこには様々なスタイルが。①熱血漢、これと決めた分野一本で勝負、②事業は大成功も家庭では失敗、ビジネス引退後は償いの人生、福祉財団、③小さく始めて、丹精込めてコツコツ。問題解決は草むしりと同じ、ヒトを育てる、④「局地戦」⁼食卓で勝つ、「味&手軽さ」から「健康」へ、⑤ひとつの分野にこだわり、「組合わせて新しい」ものを次々と。⑥出来上がったら注目の場で勝負、「頂上決戦」…等様々でしたが、なかでも当方が特に惹かれたのは、⑦「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変える」というモノでした。常に「危機感」をもって自分から積極的にチャンスを取りに行く、自分が変わらないと周りが変わらないという姿勢に、丁度先日放映された「世界を知る力」で加藤登紀子さんが仰っていた「革命とは、自分を変える事なのです」という鮮烈な言葉と戦中生まれとは思えない実にエネルギッシュな姿が重なり、本日ひときわ腑に落ちたなと感じいった次第です。社業大忙しの為、足掛け4か月にわたり塾への出席が叶いませんでしたが、本日久しぶりの出席が実現でき、皆様とお目に掛かりながら「ちょっと前の日常」を取り戻し「幸福」なひと時を過ごすことができた事が本日イチバンの収穫となりました。大変有難うございました。
- 本日もありがとうございました。創業者という共通項で経営や生き方について学ぶということは、これまでほとんど経験した来なかったので新鮮で、かつとてもためになりました。永谷園、佐川急便、ロイヤルホスト、岩谷産業、アシックス、リクルートなどよく知っている企業もあれば、テントなどほとんど意識したことのなかった業種など興味深かったです。しかも迷いの連続の後半生だったことなど、勉強になりました。「人生は自分の才能を励ましてくれる師をもとめて歩く。」というのもいいですね。永谷園の「ぶらぶら社員」というのも興味深いです。たしか、アカデミアの世界でもサバティカル休暇というのがあったと思います。いいアイディア、クリエイティブであるためにはそういった時間も必要ですね。今後も楽しみにしていますし、できるだけ友人を誘いたいと思います。
- 先生、みなさま、お疲れ様でございました。今日は、名前を知っている企業の方々のお話が多く、想像しやすく親しみやすかったです。江頭匡一さんの、「目標を作り計画をたてそれを確実に実行するときは間違いなく目標に到達する」これはその通りなのですが、「確実に実行する」、それがなかなかできなくて難しい。他ご紹介くださったみなさんも、一つ一つ達成し掘り下げ、目の前のことを着実にこなしていかれてることが、この言葉と重なりました。あとは、みなさんからたくさん本や映画やドラマなどご紹介いただいたので、手に取ってみたいと思いました。本日もありがとうございました。
- 久恒先生、みなさん、本日もありがとうございました。「公人」の幸福について、今回は企業家7人をご紹介いただきました。有名な企業の創業者であるみなさんでしたから、親しみやすかったです。どなたもそれぞれの理念を大切にし、その実現に向けて取り組んだ結果、大企業となっているわけですが、業を継続する、盛り立てる方法などは全く違っている点が興味深かったです。また、公人として幸福であっても、私人として幸福であったかどうかは別というお話もありました。 人が感じる「幸福」とは何だろうかと、もっと知りたくなりました。これからもいろんな方の幸福感を学ぶことで自分の幸福感の幅を広げられたら、私の人生がもっと楽しくなるんじゃないかと思いました。引き続きよろしくお願いいたします。
- 久恒先生、皆様、ありがとうございました。昨日もまた刺激をいっぱいいただきました。身近な企業の創業者の方の事業化へのアプローチに方法、一点集中・きりもみ作戦、勉強になりました。リクリートの定年が38歳、結果として人材育成の場となっていることは、今後の日本の成長のための指針ではないでしょうか、と感じました。それにしても、宅急便・テントといい新規の取り組みに対しての一番の障害がお役所というのは考えさせられます。最後に、幸福度ランキング一位のフィンランド、首相の発言も含めもう少し調べてみます。次回も宜しくお願いします。
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「名言との対話」7月27日。山本有三「「たった一人しかない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら人間生まれてきたかいがないじゃないか」
山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。
栃木市出身。山本有三は、劇作家、小説家、教育者・文化人、政治家という4つの活動を行い、それぞれの分野で一流の価値ある仕事をしている。
第六高等学校合格後の父急死による断念、第一高等学校学科試験合格後の体格試験での不合格を経て、第一高等学校文科に入学したときは、すでに満22歳になっていた。一高での落第、2年終了で東京帝国大学独逸文学科入学などで、同級生に多くの優れた友人を持つことになった。近衛文麿、土屋文明、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、新関良三、三井光弥、、、。落第を含む変則的な人生にも、そういう効能がある。そして有三は生涯にわたってその縁を生かしている。
二度目の結婚で得たはなは、近代的なセンスと文学的素養があり、有三にとって理想の人であった。はなは生涯にわたり、妻と秘書の一人二役を精魂込めてはたした。はなの助力がなかったら、あれほど幅の広い勝利は不可能だっただろう。
山本有三の思想の核には、自然的事実としての生存闘争と、道徳的善の要求がある。題材に応じて戯曲と小説に書き分けたのである。
有三の教養小説は、人間の外的成長に内的発展をからませて、主人公が何らかの人生の知恵に到達する過程を描く小説だ。「路傍の石」、「真実一路」などがそれである。現実の社会を一大劇場に見立てて、普通の人の群像を登場させ、人生の喜怒哀楽を描く。左右のあらゆる主義も単なる社会現象として著述する視野の広い作風である。
明治大学文科専門部文芸科長に招聘されたとき、教授陣は山本有三の厚みのある人脈が動員されている。里見弴、岸田国士、横光利一、土屋文明、久保田万太郎、小林秀雄、獅子文六、萩原朔太郎、谷川徹郎、長与善郎、舟橋聖一、今日出海、、、。山本は「人をつくる」「人物を養成する」「子どもを育成する」という表現を好んだ。教育方針は「作家を作る」ために、「自ら会得させる」「芽を伸ばさせる」ことを重視し、見学、座談という体験学習にも力を入れた。
国語改革についても功績がある。GHQが日本語のローマ字化を目指す案を持っていたが、山本有三に「日本語の問題は自分たち日本人の手で解決するから口を出さないでもらいたい」と拒絶している。「国民の国語運動連盟」は、日本国憲法の口語化を実現した。国語審議会の「常用漢字表」の主査委員長となり、「当用漢字表」案を提出する。当用とは「当面使用すべきもの」という意味である。参議院議員に出馬したのは「国語研究所」をつるためだった。。「新しい国家を築きあげてゆこうとする時、文化人みずからが引っ込んでいて、どうして、本当の文化国家を建設する事ができましょう」。参院では「緑風会」を田中耕太郎らと結成している。有三命名のこの名前は、参院を理性の場にしたいという念願ならであった。仮名交じり文ではなく、漢字交じり文を主張し、耳で聞いてもわかる文章、文体を作りあげようとした。また山本有三は国語教科書を責任編集している。山本有三は文壇的存在よりも、社会的存在になっていく。山本有三は文化勲章を受章している。
「今ここで死んでたまるか七日くる」が辞世となった。猛烈な仕事師であった山本有三らしい。戯曲『米・百俵』では、小林虎三郎を題材に「人物さえ出てきたら、人物さえ養成しておいたら、どんな衰えた国でも、必ず盛り返せるに相違ない」ことをテーマとしている。山本有三は幅の広い活動を生涯行ったが、私の見るところ、この人は教育者であった。教育者的資質が、様々な方面に生かされたのだと思う。