知研セミナー「日本経済はスポーツ競技の国際化の歴史に学べ」

知研セミナー「日本経済はスポーツ競技の国際化の歴史に学べ」のゲストは、伊藤廉さん。

ここ数十年の日本経済の低迷と対象的に活性化しているスポーツ界を対比させ、スポーツ界から日本経済復活の処方箋を書こうとした内容だった。

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  • 本日の知研セミナーもたいへん充実していました。そもそも、日本経済とスポーツを結び付けて考えたことなどこれまでなかったので、多くの新鮮な気づきを与えてくださいました。スポーツにおける日本の活躍の一方で、落ち込む日本経済。この原因について、アスリートたちがどんどん海外で活動しているのに企業も若者もどんどん閉鎖的になってしまっていること、女性アスリートの活躍がめざましい一方で、企業などにおける管理職の女性の割合が非常に低いことなどが挙げられていて、納得はできました。質疑応答の中で、アフリカなど途上国における中国のやり方とODAも停止した日本の現状の話など、たいへん重要なことも学ぶことができました。講師をつとめてくださった伊藤さん、どうもありがとうございました。
  • 本日も知研セミナー開催できました。ゲストの伊藤さん、どうもありがとうございました。経済とスポーツの世界(業界?)との関係性をどのように考えるのか、興味深い卓見を拝聴できました。多くのデータから分析されていて、日本経済30年の変化から、GDPの実態、アスリートの世界の30年間の変化(お家芸の柔道、大層、マラソンから、現在の陸上トラック、フィールド種目、サッカーなどへの変遷)オリンピック含め国際大会の勃興理由、結論としての国際化、女性登用への道筋と、スポーツ界では常識的に考えられ、現代ビジネスでは世界的常識とされていることが、日本経済に足りないのではないか、という問題提起もあり、良いセミナーでした。 セミナー後のディスカッションでは、今回特に建設業界経験者の参加者が多かったためか、講師の伊藤さんの経歴から業界の裏話など含蓄の深いお話も聞けたことが個人的には収穫でした。伊藤さん、貴重なお話を重ねて感謝申し上げます。
     
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    19時からは、知研幹部会。
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「名言との対話」8月19日。ココ・シャネル「私はヒロインではない。しかし、自分がこうしたいと思った人生を生きた」

ココ・シャネルCoco Chanel、出生名:ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chasnel)またはガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)、1883年8月19日- 1971年1月10日)は、フランスのファッションデザイナー企業家

女性ファッションの革命家・シャネルの功績とブランドの価値は偉大だ。貧しさから抜け出し、身につける服、宝石、「シャネルの5番」という香水などを含めた女性の生活と生き方のスタイルを変革させる世界的な企業を立ち上げ、女性たちの圧倒的な支持を得た女性が、ココ・シャネルだ。

リトルブラックドレス、コスチュームジュエリー、ショルダーストラップ付バッグ、女性のためのジャンパー、トラウザーズ、スーツ、トレンチコート、、、、などココ。シャネルがつくりだした作品はあげればきりがないが、こういったスタイルは今も生き続けている。

リサ・チェイニー『シャネル、革命の秘密』(中野香織訳)を読んだ。

自分の生い立ちや過去を隠したがっていたシャネルは、才気にあふれ、奇抜で、魅力的な女性であった。グラマーではなく中性的なココ・シャネル自身のための服が、シャネルブランドであった。シャネルを高みに引き揚げた「5番」と命名された香水は、は清潔な女性の身体が匂い立つような香水であった。若く魅力的で自立した女性のイメージを持つ傑作だった。

革新的な生き方と成功を手にしたシャネルは、「お金は人生に華やかな歓びを与えるが、人生そのものではない」という信念で、ピカソコクトーストラヴィンスキー、ダリ、ディアギレフといった、当代一流芸術家たちとの関係を築き上げた。男女関係をリードするようになっていき、 ほぼ全員がココ・シャネルの恋愛の相手となった。

この本を読むと、スリムで女性としての魅力に富んだココ・シャネルは現実とは思えないほどのさまざまの分野の一流の人物たちとの華やかな交流が、常に行われていることがわかる。まるで美しい映画の作品をみているようだ。

ジャン・コクトーは「彼女は、奇跡的に、芸術家にしか価値がわからないような規則に従って仕事をしている」というが、シャネル自身は自分は芸術家でなく、自身を職人だと規定している。「服は悲劇ではないし、絵画でもない。ほんのひとときだけ輝く魅力的なもので、永遠に残る芸術作品ではない」という考えだった。

シャネルによれば、「ファッションの創造は、デザイナーと時代のコラボレーションだ」となる。ファッションは時代の考え方、慣習、出来事と関わっており、この場所のこの瞬間を表現する。それは時代の空気を読むことで実現できる。だから、お客様はいつも正しいのである。

「私の前には誰も黒を着る勇気がなかった」「真似されることを怖がるなんて、なんてお堅くて、怠惰で、想像力に欠けるんでしょう。移りゆくファッションほど、完成度が高いのよ。死んでしまったファッションなんて守らなくていい」「私は記憶を洗い流し、覚えているものすべてをきれいに消す必要があるの。前よりも良いものを作らなくては」「私が提供するものは、〈スタイル〉であって、ファッションではない」。

シャネルは「新しい社会」に向けて生涯働きつづけた。それが、生まれてきた理由であり、長い年月をモチベーションを維持できた理由であるとふり返っている。

墓碑銘には「晴れの日にも雪の日にも、結婚せず、子供も作らず、美しい幻影も抱かず、独り、私は闘い続けてきた」とあり、最後に「私はヒロインではない。しかし、自分がこうしたいと思った人生を生きた」と刻まれている。

ココ・シャネルという伝説の女性をえがく伝記は多く、また新しい材料がでてくると新たな伝説が増えていく。「時代」という魔物と格闘し、その姿をとらえた人の作品は、音楽であれ、文芸であれ、ファッションであれ、大衆の圧倒的な支持を得る。コオ・シャネルは、その一人であった。

この本の出版社はディスカバー・トゥエンティワンで、干場弓子社長が惚れこんで自ら編集にあたったと「監訳者あとがき」にあり、なるほどと納得した。私も干場さんから依頼されて『志 KOKOROZASHI』という本を2009年にだしている。感度の高い女性編集者が目をつけたココ・シャネルという女性の新しい伝記を、すぐれた作品に仕上げたことは素晴らしい。