見本チェック。ロゴの相談。業績の確認。

午前:近藤秘書と打合せ。

夜:デメケンミーティング。力丸君と打ち合わせ。深呼吸学部事務局ミーティング。

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  • 「図解塾」第2期レポート、見本をチェック。

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  • 自分出版社『恒久舎』のロゴの検討。
  • 2021年の「業績」のまとめのチェック。

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「名言との対話」8月29日。大内兵衛「統計を立体的に利用せよ」

大内 兵衛(おおうち ひょうえ、1888年明治21年)8月29日 - 1980年昭和55年)5月1日)は、大正昭和期の日本マルクス経済学者。東大教授。法政大学総長。

兵庫県南あわじ市出身。旧制洲本中学、五高、東京帝大経済学部を首席卒業。卒業後、大蔵省に入省。1919年新設の東大経済学部助教授。1920年に森戸事件に連座1921年ドイツのハイデルベルク大学に私費留学。1923年復職。1938年、労農派教授グループ事件で検挙、起訴され休職。

1949年、東大退官。1950年から法政大学総長。向坂逸郎社会主義協会社会党左派の理論的指導者として活躍した。

長く社会主義者であった大内は、ソ連・中国の計画経済を社会主義を高く評価し、レーニンスターリンを賛美している。またハンガリー動乱についてもソ連を擁護した。また「特殊部落」という比喩的な言葉を使い、糾弾されたこともある。

社会保障制度審議会初代会長として、国民皆保険制度、国民皆年金の創設を答申している。今日のわが国の優れた健康保険制度や、年金の仕組みは大内兵衛の功績だったのである。

また、近代国家の土台ともいうべき「統計」のついての功績も見逃せない。1946年に統計委員会の初代委員長、その後も統計審議会会長として、官庁統計の整備、充実に尽力している。大内兵衛は「統計を立体的に利用せよ」と『統計』で述べている。県であれば、国の統計との結合、比較などを通じて、複雑な実相を描きだせというメッセージだ。国家という魔物の実体をつかむことは容易ではない。経済も、そして企業自体の正しい姿をつかむにも大変な努力が必要なのだ。間違い、ごまかしなどのハードルがいくつもあるのが普通だろう。この辺りの機微は企業で数字をいじくっていた私はよくわかる。統計の重要性を忘れてはならない。

戦後マッカーサーが「日本の統計がいい加減で困る」と苦情を述べたときに、吉田茂首相は「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったら、無茶な戦争などいたしません。また統計通りだったら、日本の勝ち戦だった筈です」と答えた。それを聞いたマッカーサーは笑いだしたという。大内は戦前の経済統計の杜撰さを反省し、統計の再建を志したのだ。

最近、政府統計をめぐる不祥事が相次いでいる。意図的にあるいはそうではなくても、GDPに影響する統計数字の改ざんまでが疑われている。実体と経年変化がみえなくなるので、適切な対策が自信をもって打てなくなるのだ。それは精神論で大東亜戦争に突入した時代を思い起こさせる。ここにも、日本の危機がある。