稲盛和夫氏死去ーー稲盛語録から。

京セラ創業者の稲盛和夫さんが亡くなった。享年90。2022年6月に鹿児島大学の稲盛記念館を訪問した。階段の両側が資料展示になっているという独特の記念館。一番上は京都賞のコーナーだった。

資料を読み込む前なので、語録を拾うことにした。

 

1932年、鹿児島生まれ。鹿児島大学工学部卒業。

1959年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立し、社長、会長。

1984年、第二電電(現・KDDI)を設立し、会長。

1984年、稲盛財団を設立し、理事長。

2010年2月、日本航空会長に就任し再建を成功させる。

 

以下、稲盛語録から。

人間の能力は未来進行形で発展します。たとえ今は実現できなくても、1年後、2年後に実現するつもりで努力を重ね、勉強をすれば必ず成長する。そのためにはまず、自分の能力が無限に発展すると信じることです。

不運なら、運不運を忘れるほど仕事に熱中してみなさい。多くの日本人が自分に与えられた仕事に打ち込み、また、世のため、人のために役立とうとするなら、21世紀の日本は素晴らしいものになると信じています。

創造的な仕事とは、高度な技術を開発するということばかりではない。今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫をこらし、改良、改善を積み上げていくことである。一人ひとりが自分の持ち場で、もっと能率の上がる方法はないか、昨日の欠点をどうしたら直せるか、考える習慣をつけることだ。

仕事の本当の喜びと醍醐味を味わうためには、渦の中心になって、周囲の人たちを巻き込むくらい、自発的に、積極的に仕事に取り組まなくてはならない。

ひとつの仕事や分野を深く追求することにより、すべてを知ることができる。広くて浅い知識は、何も知らないことと同じだ。

安易に近道を選ばず、一歩一歩、一日一日を懸命、真剣、地道に積み重ねていく。夢を現実に変え、思いを成就させるのは、そういう非凡なる凡人なのです。

「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。

20代や30代のときには、どんなことでもいいからとことん突き詰めて究めることが大切だ。ひとつのことに精魂を打ち込み、どんなことでもいいから確信となる何かを得ることだ。

まだ誰も考えていない事、やらなかった事をやってみようと決心した時は、あれこれと難しく考えてはいけない。また予見をさしはさむのも良くない。よりシンプルに考えて挑戦してみる事だ

人生はつまるところ、「一瞬一瞬の積み重ね」に他なりません。今この一秒の集積が一日となり、その一日の積み重ねが、一週間、一ヶ月、一年、そしてその人の一生となっていくのです

瞬間瞬間を充実させ、小さな一山ごとに越えていく。その小さな達成感を連綿と積み重ね、果てしなく継続していく。それこそが一見、迂遠に見えるものの、高く大きな目標にたどり着くために、もっとも確実な道なのです。

日々新たな創造をしていくような人生でなければ、人間としての進歩もないし、魅力ある人にはなれないだろう

つまらないように見える仕事でも、粘り強く続けることができる、その「継続する力」こそが、仕事を成功に導き、人生を価値あるものにすることができる、真の「能力」なのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」8月30日。国木田独歩「道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」

 国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日明治4年7月15日) - 1908年明治41年6月23日)は、日本小説家詩人ジャーナリスト編集者

千葉県銚子生まれ。広島市山口市育ち。東京専門学校に入学。徳富蘇峰に影響で文学に興味を持ったり、キリスト教の洗礼を受けるなどし、退学する。

 

独歩は「直覚力」と想像力が豊かで、事件の概略を知っただけで細部の事柄まで想像し、正当な解釈のもとで適切な判断を示すことができたようである。独歩は明敏な批評眼を持っており、新聞の美術欄担当記者以上だった。また、編集者としての能力も高く多数の雑誌を企画し一時は12の雑誌の編集長だった。現在も続いている『婦人画報』の創刊者としても名をとどめている。

「唯人間を描き、事件を描く。要なき事はすべて除けり」という独歩は、小説を書く場合に人物の境遇を暗示する手法を極力排除した。それは外国語に翻訳されたときに、日本独自の暗示では理解されないと考えたからだった。ロシア語の翻訳もあるが、翻訳者は独歩に感謝したのではないか。

 

「人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、即ちその人は真の幸福な人といい得る」と語っている。本人は日々楽しく仕事をした人なのだろう。

冒頭の言葉には、その前に「武蔵野を散歩する人は」という言葉がある。自然豊かな武蔵野では足の向くまま歩いていき道に迷っても、かならず意味のある場所にでる。それが武蔵野の魅力であった。

独歩は小学校の教師、徳富蘇峰の『国民新聞』の記者、文筆家、編集者と短い人生の中で足のむくまま仕事を変え、そこでそれぞれに実りを得ている。また、独歩の興味の遍歴、女性関係の発展家ぶり、すぐれた友人たちとの交流などをみると、相当に濃い生涯を送った人だと感心するが、亡くなったのは38歳というから、驚きだ。その人生の歩みを武蔵野の散歩に例えたのであろう。

人生は気の向くままま歩く散歩のようなものであり、偶然と気まぐれによって、どの道を歩むことになろうと、大差はない。どの道にも、それぞれの実りが用意されている。国木田独歩という人物はこのような人生観で日々楽しく充実して生きたのであろう。