自分出版社協同組合が発足

「自分出版社」の協働組合が発足。

深呼吸学部(橘川幸夫学部長)の関係者がそれぞれ自分出版社を旗揚げし、単独でなく協働組合をつくって、一緒にやっていこうという趣旨。

以下、10の自分出版社(名称と責任者)が参加して始まった。新しいムーブメントにしていこう。

あまやどり出版(竹越和貴)。新宿の父出版社(橘川幸夫)。でたらめ出版社(前川珠子)。自在遊求社(久米信行)。ナマケモノ出版(平方亜弥子)。OitO Books(MasatoIto)。こねずみ出版(m(メートル))。参加型社会学会出版部(橘川幸夫)。自己組織化出版(田原真人)。恒久舎(久恒啓一)。

それぞれの出版社はロゴを作成中。私がつくった『恒久舎』のロゴもできた。

 

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「名言との対話」9月4日。西岡常一「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹みおそれて匠長の座を去れ」

西岡 常一(にしおか つねかず、1908年明治41年)9月4日 - 1995年平成7年)4月11日)は、法隆寺専属の宮大工

法隆寺を中心に、薬師寺法輪寺も手がけた宮大工の希代の棟梁。祖父、父も法隆寺の宮大工の棟梁。

常一は祖父から徹底した英才教育を受けた。3年間の農業学校で土の命を学び、原木の見極め方を学ぶ。祖父は一切教えずに、自分で会得させるやり方で孫をしごいていった。1年間の米作りでは、稲との話し合いと同様に、木と話せるようにならないと大工にはなれないと教えた。

祖父は西岡家に代々伝わる「口伝」を授ける。この口伝は棟梁の資格のある者のみに伝える秘術だ。神仏をあがめることを前提に、「木」と「人」についての教えがある。堂塔の建立には山を買え。木は生育の方位のまま、木の癖のままに使う。百工の百念を一つに統すぶるのが匠長であり、その器量なきものは謹み畏れ匠長の座を去れ。

学者は大工のつくったものを並べて学問と称しているだけで、それは大工以下だとし、仕事はわしがやると言い放つ。法隆寺には「鬼がいる」といわれた。

西岡常一は以下の大事業を行った。法隆寺解体修理。法輪寺三重塔の再建。薬師寺金堂、西塔の再建。道明寺天満宮の復元修羅の制作。薬師寺高田好胤管主に心腹し、西塔再建の建白書をだし、実現させている。

西岡常一の言葉には人の心を打つ真実がある。

「一人前の大工になるには早道はない。」

「仏法は、、、煎じ詰めれば「慈悲心」ですわ。」

「そんなことしたら、ヒノキが泣きよります。」

「わたしらにとって、道具は自分の肉体の先端や。」

「自然の試験を通らんと、ほんとうにできたといえんのやから、安心はできません。」

「職人の中から芸術が生まれて、芸術家といわれている人の中からは、芸術は生まれてきません。」

「木というやつはえらいですがな、、、、、神様ですがな。」

「棟梁は木の癖を見抜いて、それを適材適所に使う、ということやね」。

「功利的なことを考えずに、時間をかけてもええから、本当の仕事をやってもらいたい。ごまかしやなしに、ほんまの仕事をやってもらいたい。」

「自分からしてみせな。それがいちばんですな。なんぼじょうずに文句言うてもあきませんわ。やっぱりまず私自身鉢巻きをしめて、汗を流して、その人の前でこういうふうにやってくれと、実際してみせんとな。」

「「木を組むには人の心を組め」というのが、まず棟梁の役割ですな。」

最後の棟梁・西岡常一には名言が多い。檜を使うこの名人は「木」について多くを語っているが、この木とは人のことである。人の心を組んで初めて後世に恥ずかしくない仕事ができる。名人が発する言葉が、名言なのだと思う。