「オーディブル」に「Fire7」が加わって「耳読」は新次元へ。

アマゾンのタブレット「Fire7」の最新版を購入。

Kindleで購入した電子書籍をAI(機械言語)によって読み上げてくれる。このレベルが違和感がないまでになってきた。

今までアナウンサーらの専門家が読んでくれる「オーディブル」で「耳読」を楽しんできたが、これに「Fire7」が加わることによって、読書の方法は新しい次元を迎えることになる。

外山滋比古先生の本(TTS Text To Speech)を1.5倍速で試しに聴いてみているが、大丈夫だ。読書の楽しみが増えた。

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「名言との対話」9月6日。黒柳朝「自分で育てた豊かなものは、尽きることなく増えていくはずです」

黒柳 朝(くろやなぎ ちょう、1910年9月6日 - 2006年8月16日)は、日本の随筆家である。愛称、チョッちゃん。享年95。

北海道滝川市生まれ。仙台と北海道で暮らした母は上京し東洋音楽学校(東京音楽大学)に入学するも、在学中にヴァイオリン奏者の黒柳守綱と結婚し、長女の徹子以下4人が生まれる。

夫が出征し、青森で行商を始め、シベリアから帰国した後も、行商を続けている。

長女・徹子の『窓際のトットちゃん』がベストセラーになり、その母親ということで、子育てをユーモラスな筆致でえがく1982年に『チョッちゃんが行くわよ』を刊行し、こちらもベストセラーになった。夫が亡くなった72歳から随筆を書くことになったのだ。

自伝はNHK連続テレビ小説チョッちゃん』となり、1966年にはアニメ映画にもなっている。故郷の北海道滝川市には、長く収集してきた西洋の古美術品600点が「チョッちゃん・アンティーク・コレクション」がある。また滝川市の「市の花」のコスモスは黒柳朝のアドバイスがきっかけだった。

黒柳朝のことは娘の徹子抜きには語れない。ということで黒柳徹子『窓際のトットちゃん』を初めて読んだ。戦後最大のベストセラーだ。少女トットちゃんの挿絵はいわさきちひろである。この中に徹子が描く、ママ朝の素顔がでてくる。

「ママの、きれいな顔が、少しまじめになって」「ママが、あっちこっち、かけずりまわって「バスケ十ボールの選手だったママのあっは、、」「ママは、かなり辛抱づよい人間だっから」「たいがいの洋服は、ママが手製で作ってくれるのだ」「「ままは、とってもおかず上手」「、、、。

1984年「いつも面白い母は、死ぬときも母らしく、前の日に、私と話して、会話の最後は、「じゃね」で」「本当に、母が願っていた「寝ながら死ねたらね」という、その通りに、、」。

この本の「あとがき」でテレビ朝日のオバケ番組『徹子の部屋』のチーフ・プロデューサーが、トットちゃんが尊敬する小林宗作先生を追っていたことを知ったという偶然に驚いている。

本日、午後の『徹子の部屋』をみていたら、84歳の加山雄三と75歳の夫婦がでていた。幾多の困難を一緒に乗り越えてきた夫婦の姿が、黒柳徹子のインタビューで明らかになるとてもいい番組だった。

黒柳朝の「自分で育てたもの」とは、愛情、勇気、情熱、想像力、好奇心などである。この人は自分で自分を育てた人なのだ。そして彼女が育てた傑作が黒柳徹子なのだ。