図解塾:「図解で学ぶ梅棹文明学」ーー「文明の情報史観」も大詰め。

図解塾を開催。

梅棹忠夫著作集第14巻「情報と文明」の講義も大詰めだ。

10月からは「図解で学ぶ梅棹文明学」を始める。著作集第5巻「比較文明学研究」が対象。

 


 
 


 以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。梅棹忠夫先生の『情報と文明』も終盤。今回は、「情報」は生態学や気象学的な把握が必要だという提言や、情報は向精神薬(=「涅槃薬」)という言葉、「なまの体験」に「イマジネーション」を加えると「インフォメーション」になる、といった言葉が印象に残りました。また「情報社会」について、産業論的な視点を超えて文明史的立場から広く捉える、という梅棹先生の視点についても、改めて理解が進みました。「全産業が情報産業への傾斜を強めつつある」ということについては、今やさらなる加速を感じるところです。『情報と文明』は次回が最終。来月以降の講義について新しい話も伺い、発展的に参加できればと楽しみにしています。
  • 本日もありがとうございました。いつものことながら、本当に充実した2時間でした。久恒先生の手書きの図をただパワーポイントにするにとどまらず、その一つ一つにこめられた「情報」への深い理解と、現在につながる予見を学びとることができました。42番の図の「情報論の課題」のそれぞれが1枚の図に匹敵するような大きな課題を示していました。今後、機会があったら、現在の課題に照らし合わせて考え議論してみたいですね。私が担当した45番の図の中でも、「情報産業=コンピュータ産業」から脱脂切れていない日本の現状が短いディスカッションの中でも見えてきました。可能かどうか自信がありませんが、現在の教育の問題と情報産業論と多少なりとも関連付けて「知研」で話せればと思います。話が前後しますが、最初の久恒先生の報告も非常に多くの耳より情報がありました。聴く読書もこれから使ってみたいと思います。YAMI大学との相互乗り入れも楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。水のように流れてしまう情報に命が宿っているように、この図解塾を通して考えるようになってきました。また美術館などへ出かけると、情報をどのように展示しているかなどにも目を向けるようになり、楽しみも増えました。SNSの発達による情報にあふれている現在にとって、梅棹先生の情報の文明学は、情報を整理して、それをどう使うかを、考えさせられる講義だと思います。また次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。前回参加できなかったので、1か月ぶりの参加となりました。1か月情報が途切れるとここまで感覚を取り戻すのが大変とは。。。宿題の図の清書の説明時には先生にたくさん補足いただき、そういうことなんだと思う箇所もあれば、以前の回で一度は話を聞いたことのあったじゃないかと自分の神経回路を恨めしく思った箇所もありました。継続は力なり、その通りです。
    会社から離れると人との関わりや出会いが意識しないと縮小していく、現状維持ではなく、拡大していこうという意思が大事というのは、会社の中にいても同様のことが言えると思いました。10月からの次の期は、図解”を”学ぶから図解”で”学ぶに少し趣向を変えての講義になるとのこと、楽しみにしています。今期最後となる次回の授業も楽しみにしています。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。新年度開始以降、怒涛のボリウムで押し寄せた社業との対峙で長らくのブランクが生じましたが、本日久しぶりに図解塾に参加出来、ちょっと前の「当たり前」の生活を取り戻す事が出来たなと、感慨深い場となりました。図解塾では梅棹先生著述「全集」の図解化が今も鋭意進行中。手書きのゲラをパワポに起こした図解を塾生が持ち寄り、説明~論議する事により理解を深めています。本日は「情報」を軸に「経済」「産業」「文明」を考察するというフェーズの話題をいくつか取り上げ学びました。60年程前に記述されたモノとは思えない、今でもそのまま当てはまるレベルで的確に分類/関係づけ(構造化)された梅棹先生の著述は、当時のアメリカ直輸入の「文明」にただ流される事無く、幅広く、深い見識と、「タービュランス」(=予兆なく突発する攪乱)、「酸素」(=安心感)等といった比喩表現により読み手の理解をより深める「底なし」なボキャブラリが「知の巨人」ぶりを感じさせます。先日MXTVにて放映された寺島先生の「世界を知る力」では、「世界の中心から後退するアメリカと埋没する日本」の対比が取りあげられましたが、これからの「新しい日本」の立場を確立していく為には、深く正しい見識が必要で、一見取付き難い著述にも、断然理解が早くて深い「図解の技術」は今後益々必要な存在になると確信した次第です。有難うございました。次回も宜しくお願い致します。

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「名言との対話」9月7日。島木健作「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのものはあらわれるもんじゃ」

島木 健作(しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、日本小説家

北海道札幌市出身。高等小学校中退。旧制中学卒業。東北帝大選科を中退し農民運動に参加。3・15事件で検挙され、翌年に転向声明。1932年、仮釈放。

1934年、転向問題をテーマとした『癩』を発表。次に『盲目』を発表。そして短編集『獄』を出版。

1936年に発表した『再建』は発売禁止。1937年の『生活の探求』は青年層を中心にベストセラーとなった。1942年以降は肺結核の床にありながら、長編『礎』を発表。1945年、死去。

島木健作の名は、『生活の探求』という気になる題名とともに記憶している。主人公の駿介は、東京の実業家の書生をしており、志望する農学ではなく、商科への進学を強制される。「食うための仕事」と「本来の仕事」との葛藤に悩まされる。自分に取っては興味の持てない商業という仕事に従事してよいものか。生きるためのいとなみが、そのまま全人間を生かすための道と一つになっているような農業という仕事との対立である。

郷里の先輩は「農民主義、土に還れ主義」として励ましてくれる。郷里の有力者は「今迄の道を、俗世間一般の道を行け」と諭す。父親は「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのもなあらわれるもんじゃ」とのアドバイスをする。つまり、東京で役人や実業の世界で仕事をしようと、故郷で百姓になっても、「えらい違いはありゃせん」というのだ。主人公はその意見にしたがって、農村の生活にはいっていくという物語である。

当時の青年の心をつかんだ小説である。私としては、「生活のための仕事」と「人生のための仕事」という二つの仕事をどう折り合いをつけるかという問題としてとらえたい。いつの世も、この二つの葛藤の中で、青年は悩む。生活のため、パンのため、興味がない仕事に就いてよいものか、いつまでもその延長線上で生活をしてよいのか。こういう葛藤の中で多くの人は苦しむのだ。私もその一人だったので、よく理解できる。

主人公の父親がいう「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのものはあらわれるもんじゃ」という言葉には、今となっては大いに共感する自分がいる。どの企業に入ろうと、そしてどの分野の仕事をしようと、そういった転機の選択はそれほど、重要ではない。そこで問題となっているテーマに取り組む中で、自分というものがあらわれてくるのである。そういった人生の真実を父親は語っているのである。

「生活のための仕事」と「人生のための仕事」という分類の間で悩むことにはあまり意味はないように思う。その人の器量はどこでも現れる。対象を選ぶことより、人生を重くみないで、ぶつかっていくことが大事なのだ。この本を読んで、多くの青年が励まされただろう。