地元:コンサート。古本祭り。沖縄そば。深呼吸第3期「市村清」。

地元の文化会館のミニコンサートを楽しみました。。

ビスコ・マルオノという若い人のピアノ。すべてオリジナル曲で、春、夏、秋、冬をテーマとしたオリジナル曲。コロナ禍で生き延びてなんとか演奏を続けられたという述懐は聴いている人の心をうった。演奏終了後、私たち夫婦もそうだが、親や祖父母にあたる人たちから激励を受けていた。

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駅前で古本祭りが始まった。30分ほどで、5冊購入。2000円と少し。

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昼食は最近できた「沖縄」の店で、沖縄そば泡盛「与那国」をいただく。

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16時から、深呼吸学部第3期生の講座に出席。

  • 研究開発型講義「市村清」:5人の発表。「発想法」「市村清孫正義」(安川)「茨と夢と」「銀座三愛」「子ども」。私の関心「市村清講演集」「市村学校」「アイデアの方法」「事業家と経営者」。「名言との対話」は研究開発型講義を毎日一人ででやっている感覚。市村清(1900年生)と野田一夫(1927年生)の関係。
  • 橘川:「言葉の力」塾(第1.第3火曜日)。文章(9月23日)。創造性学科。中老PJCT(LP。sportifyでラジオドラマ)。深呼吸旅行社(花火、中華、賽村)。博多(11月17日)。滑川翻訳講座(アメリカの青空文庫。火曜日)

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「名言との対話」9月8日。東野英治郎「顏はその人の人生の総決算書みたいなもので、いいか顔になろうと思えば、それだけの努力をしなければなれるものではない」

東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年9月17日 - 1994年9月8日)は日本俳優随筆家

明治大学商学部に入学し、プロレタリア演劇研究所の第1期生となり、新築地劇団に入っり、同劇団の中心となる。歌舞伎に対抗する新しい劇が新劇である。俳優と政治運動家の両立に苦悩して、1940年に治安維持法違反容疑で留置場生活を送る。1944年、千田是也らと「俳優座」を創設する。戦後は舞台と映画で活躍し新劇界を代表する演技派となった。

日本映画界を代表する脇役だ。演技幅も広く、善悪さまざまな役をこなした。 後年になって脇役が増えた平幹二郎に「芝居は主役が芯をとってリードする。その流れている芝居のテンポに沿って、自分の役を作っていかなきゃいけない」とアドバイスをしている。「知識や理論は実践でのみ生きる」が東野の信条であり、出演映画は「七人の侍」「どん底」「自由学校」「東京物語」など330本以上にのぼっている。

テレビドラマでは1969年8月4日からTBS系列の時代劇水戸黄門』で主役の徳川光圀を、第1部から第13部まで足掛け14年、全381回にわたって演じ、高視聴率をりこれが東野の代表作となった。この番組は西村晃里見浩太朗武田鉄矢などが、演じて国民的人気番組として長寿を誇っている。私もよくみたが、名脇役東野英治郎は「水戸黄門」の主役として歴史に名を残した結果となった。

息子の東野英心『漫遊役者 東野英治郎』を読んだ。東野の私生活が明らかにされている。下宿の大家であった英のは男勝りの頑固な明治の女で英治郎より年齢は一回り上である。その英のと所帯を持った。しかし、21歳年下で19歳だった禮子に東野は惹かれていき妻と別居状態となり、禮子と同棲生活を送る。30年以上経って、英のの死後、1982年やっと入籍する。当初反対していた英心は長い年月日陰の身で父を支えてくれた禮子との結婚を承諾する。

さて、「顏」のことである。バーブ佐竹には「顏じゃないよ、心だよ」という歌がある。顔学を提唱する原島博「人間は顏の下半分で感情を表し、上半分で私は何者かという識別情報を伝える」と分析している。確かにそういう感じがする。

リンカーンは「男は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」といっていてよく知られている。池波正太郎の「顔というものは変わりますよ。だいたい若いうちからいい顔というものはない。男の顔をいい顔に変えていくことが、男をみがくことなんだよ」も同じ意味である。大宅壮一「男の顔は履歴書」と断定した。それをもじって藤本義一は「女の顔は請求書」という本を書いて話題になった。

顏の専門家とも言うべき役者の東野英治郎は「顏はその人の人生の総決算書みたいなもので、いいか顔になろうと思えば、それだけの努力をしなければなれるものではない」と味わい深い言葉を語っている。中身と顔は別ではない。識見や思考が、人間としての深さや幅に出る。それが演技ににじみ出る。顔はやはり人生の総決算書である。