学術系雑誌へ寄稿する論文「ライフ・コンシャスの時代に」を執筆中。

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学術系雑誌への論文執筆中。10月中旬までに仕上げる予定。

タイトルは、「ライフ・コンシャスの時代に」にしようか。

ライフ。生活。人生。生命。リモート時代。人生100年時代。曽孫・玄孫。来孫。アタマとココロ。外的世界と内的世界。生命科学情報科学。人間観のゆらぎ。人生観のゆらぎ。たるみ。心の専門家。人物記念館。真・日本人。モデルなき時代。道徳と倫理。大人のための人物論。新・孔子の人生観。公人・私人・個人。自由の拡大。カネ・ヒマ・カラダ・ココロ。全体観。原型。千鈞の重みの名言。

先週の知研セミナーの内容を盛り込むことになりそうだ。

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ユリイカ』1999年6月号の「特集 村山槐多」を読了。

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「名言との対話」9月20日野並茂吉「シウマイ」

野並茂吉(1888年9月20日〜1965年12月6日)は実業家。

栃木県鹿沼市出身の崎陽軒初代社長。横浜駅駅長であった久保久行が、退職後妻コト(旧姓野並)の名前で許可を得ることから始まった。久保は長崎の出身であったことから長崎の別称の崎陽をとした。

婿養子の野並茂吉は、1915年に匿名組合崎陽軒が設立され、支配人となる。横浜の名物を作りたいと念願していた茂吉は、横浜中華街のシュウマイを候補に挙げ、点心の専門家を招聘し、「冷めてもおいしいシュウマイ」を試行錯誤する。1928年、豚肉に干しホタテを加えた「横浜名物シウマイ」を開発、発売した。

野並茂吉は栃木なまりがあり、「シューマイ」と発音できずに、「シーマイ」と言っていたが、広東では「シャオマイ」というと中国人スタッフからおすみつきをもらう。「うまい」ともかけて、「シウマイ」となった。

1950年頃からは、赤いチャイナドレスにたすきをかけた「シウマイ娘」が、横浜駅東海道本線のホームで弁当を売り話題になっている。シウマイ娘は映画や小説の題材にもなった。

1954年、シウマイをおかずとした幕の内弁当「シウマイ弁当」を発売。野並茂吉は1965年に死去するが、崎陽軒はその後も順調に発展していく。シウマイの入った横濱チャーハンも開発している。

横浜名物となった「シウマイ」には、協力者も多く、陶器製油入れの「ひょうちゃん」(ひょうたんの形)には、横山隆一がひょうちゃんの顔を描いている。創業100年には、柳原良平の描いたひょうちゃんも登場している。

2022年2月現在で、崎陽軒218.5億円の売り上げがあり、従業員は1859名を数えている。崎陽軒のホームページでは、真に優れた「ローカルブランド」を目指すとあり、名物名所を創り続けると宣言している。ナショナルブランドではなく、横浜ローカルブランド宣言である。

野並茂吉の故郷の鹿沼市ではJR鹿沼駅前に「シウマイ像」を2121年に完成させている。この除幕式には現在の社長も出席しお礼を述べている。宇都宮の餃子などの名物に対抗しようとしているのだ。「シウマイ」には熱狂的なファン、研究家もいて、シュウマニストと呼ばれている。

崎陽軒のシウマイは私もよく食べるが、このような物語があることを知って、よりファンになった。創業者の野並茂吉は、晩年には「シウマイ王」と呼ばれた。本人も満足だっただろう。