知研・読書会の第3回目。
今回もバラエティに富む本の紹介がありました。写真集。小説。SF。歴史書。講演録。仏教書。エッセイ。思想書。
万葉の植物と花(散歩中の花の名前。町田の万葉公園)。ねぶた(青森の祭り。知らない分野の勉強は小説がいい)アメリカのショートショート(60年前、個性を持ったコンピュータの予言)。近世日本国民史(この100巻本を完全読破した人には驚いた)。薬師寺の高田好胤の明るい説法(修学旅行で聞いたかも知れない)。IT時代の仏教論(デジタル時代のお墓論のきっかけ)。やばい老人(やんちゃ、ちょいワル)。人新生(1950年から。処方箋は?)。
私は「私の読書の歴史」と2022年現在の「読書革命」について披露しました。「紙の本から電子本へ」「目読」から「耳読」への流れに掉さして、読書が一変したこの半年の激変を具体的に説明しました。30年前の選書術と読書術中心の共著『読書の技術』。10年前からの学部長・副学長時代の「読書日記ブログ」と、2016年からの「名言との対話」を土台とした「名言」シリーズ。
2022年の新ツール、新サービスの勃興による「読書革命」によって、コスト激減、労力減少、パフォーマンス向上が進行中。エピソードは、梅棹忠夫先生の66歳での失明、点字から出発した会社の代表の「音声による読書ができるようになったら福音だ」説、外山滋比古先生の「読書会礼賛」など。
- 都築さん、知研のみなさん、楽しい時間をありがとうございました。今回は、知研・読書会第3回「素敵な本を紹介しよう」に参加させていただき、さだまさしさんの「やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい」を紹介させていただきました。本書には、さだまさしさんが実際にお会いし、お話しして、交遊のあった人間的な魅力に満ちた「お年寄り」の方々の生き様が書かれていて、ご自身は「やばい」と言われる「じじぃ」になりたいとのこと。私はさださんが大好きなので、本書の内容のいくつかは既にコンサートで聞いて知っていましたが、さださんが憧れる「やばい老人」の三つの条件を改めて読んで、私もそんな人になりたいなぁと思いました。知研のみなさんは、それぞれの得意分野でご活躍中で、バイタリティーにあふれ、ユーモアもある方々ですから、正にこの「やばい老人」、またはその候補者ですね。これからも読書会でみなさんからいろんな本を紹介していただくことで、自分が知らない分野について視野を広げ、「やばいばばぁ」を目指そうと思いますので、よろしくお願いいたします。
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職業柄、といえばそれまでですが、植物には多少詳しく、道を歩いているときも道端の草を見て「あれは何、これは何」といつも意識して生活してきました。読書会では、単なる図鑑ではなく、万葉集と組み合わさった本を2種類、紹介しました。文/写真 大貫 茂『万葉の花100選 古歌でたどる花の履歴書』淡交社(2001)。写真と歌、次のページに歌の解説と、その植物を詠んだ別の歌、あるいは植物の名の由来や人間生活とのかかわりなどが書かれています。野外に持ち歩くには少し重いので、部屋で眺めるのに適しています。山田隆彦・山津京子『万葉集とめぐる野歩き植物ガイド』太郎次郎社エディタス(2013)。 こちらは、「野歩き植物ガイド」という名のとおり、散歩の時にも持ち歩ける大きさです。植物の写真、歌と簡単な意味、その植物の解説などがコンパクトにまとまっています。「春~初夏」「夏~初秋」「秋~冬」の季節ごとの三部作です。この本には、植物からとれる染料の話や、各地の万葉植物園案内なども載っています。
- 本日の読書会で紹介されて、興味を持った本は、蔵書を増やさない為に、図書館で予約して読んでみようと思っています。
- 本日の読書会も各人各様に著作を紹介頂き、大変、有意義でした。歳をとると、趣味、関心、好みが固定化しがちですが、新しい情報を得ることが出来、頭の活性化が出来そうです。万葉の世界と植物の世界との融合本、ねぶた造りに人生を懸ける人の小説、SF短編集の紹介、徳富蘇峰の[近世日本国民史]の紹介、高田好胤氏の説法本、お墓の著作、さだまさしの[やばい老人になろう」、最近の読書デバイスの紹介等、自分の世界が拡がりました。黒川様の徳富蘇峰の著作50巻を49巻まで読破されている話には、感銘を受けました。皆様、有り難う。
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都筑さん主催の読書会第3回終了いたしました。8名の方の読書(本)に関するレビュー、またその解説があり、とても楽しく過ごせました。季節の写真集から小説、歴史書、マニュアル本、エッセイ、諸論など、バラエティに富みつつ、最後は本を読むことの意味や意義についてのまとめのお話もあり、なかなかに歯ごたえのあるイベントだったと思います。読書は『術』などではなく、テーマを決めて持続することで、知的生産のためのソース、原動力になるということ、先人の知恵や見識を知ることが歴史の継続につながっていくのだと実感しました。 毎回の出席は難しくとも、多くの人に参加していただければと願って止みません。ホストの都筑さん、よい機会をありがとうございました。以下、欠席だった福島さんの書き込み。夜が仕事でなかなか読書会には、参加できません。先日,読んだ本をご紹介します。100年人生に、ちなんで、、。「これでおしまい」篠田桃紅 (講談社)。 昨年,107歳で亡くなってから一年半、今年も展覧会がオペラシティで6月まで開かれていました。女流アーティストとしての自由の思想、生涯現役を超高齢まで貫いたことの精神性に惹かれて読んだのですが、むしろ、当時の日本のエリート家庭の環境と教育、生活が興味深かったです。徳川幕府の教えを受けつつ、明治維新後の新しい時代に合わせていく父親とその家庭生活、作者の幼年期から女学校、そして、アメリカに渡り考えたこと、明治から昭和、さらに令和まで生きた大変動の時代の個人史です。新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラー。2021年3月1日、老衰のため、東京都青梅市の病院で死去。107歳。大正2年、満州の大連、ジョサイア・コンドルの設計した元ロシア帝国の家で、三男四女の五子として生まれ、満州子(ますこ)と名づけられます。5歳で雅号を桃紅とした、その父は煙草会社の支社長。父は、休日、漢詩を作り、書を書き、印を彫り、謡に親しみ、庭の作庭、季節のしつらいなどをしました。関東大震災で、和装が洋装になります。9月1日に関東大震災で、もう9月に洋服屋が学校に来て、木綿地が生徒に渡され、お母さんたちが縫って洋服にしました。シンガーミシンを買い、家に西洋人がミシンの使い方を教えに来たそうです。大正デモクラシーでモダンガールにならなくてはいけないと思い、ホットケーキの製粉会社の社員がつくり方を教えに女学校に来た。上等舶来という言葉があったのです。しかし、その後、日本は、反動的に国粋主義になり、ハイカラなどととんでもない、英語は国賊語になるのです。日本の家屋は、障子でスカスカしていて、炭火で一酸化炭素中毒にならない。着物は、包む、洋服は入れる。人間が入っていく。着物は人間に対して謙虚、洋服は人間を規制している。着物はどんなに太っても痩せても同じ一枚で済む。1956年渡米、アメリカに乾いた空気は、墨に合わないと思ったそうです。「自由と言うのは、自分と言うものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと、自分の行動を責任持って考え、自分でやる。自らに由ると書く。」二河白道(にかびゃくどう)「火の河と荒ぶる水の河のあいだに一筋、白い細い道がある。それを見つけて生きるのが人生であるという比喩。自由奔放に生きれば火に落ちて火傷する。石橋を叩いてばかりだと荒ぶる水の河にさらわれる。人間はどちらの河にも落ちやすい。」「人って、自分で自分に迷う道、迷路をつくって生きている生き物よ。迷わない道をつくればいいのに、みんな、迷う道ばっかりつくる。つくるっていうことが迷うってことなの。」「絵というのはつくるものじゃなくてできるものなの。できてみて初めて、ああこういう作品ができたって思うの。」「歳を取って、だんだんと腕力で引く線の力は薄らいで、線に込める心の部分が出てきている。」
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以下、書きかけ。
「名言との対話」9月23日。森信三「例外をつくったら、だめですぞ」
森 信三(もり のぶぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。
愛知県知多郡出身。広島高等師範学校卒。京都帝国大学文学部哲学科で西田幾多郎に学ぶ。大学院に席を置きながら師範学校で講師。1939年、旧満州の建国大学に赴任。1946年、帰国。1953年、神戸大学教育学部教授、1965年の退官後は神戸海星女子学院大学教授。森信三は個人雑誌を出している。月刊誌「開顕」(創刊 1947年〜 1956年終刊)、月刊誌「実践人」(創刊 1956年)。1992年、96歳で死去。
実践社を立ち上げた息子が急死した後、「森信三全集 全25巻」、「森信三選集 全8巻」 、「森信三著作集 全10巻」、「森信三全集続編 全8巻」、「森信三講演集 全2巻」などを刊行する。また、致知出版社は、「修身教授録―現代に甦る人間学の要諦」「人生二度なし」「修身教授録一日一言」「森信三一日一語」「女性のための「修身教授録」」「家庭教育の心得21 」など森信三の本を多数刊行している。
森信三に27年間仕えた寺田一清編『森信三 魂の言葉』を読んだ。副題は「二度とない人生を生き抜くための365話」である。森信三の著作の中から、一日一つのテーマで選んだ名言が並んでいる。
森信三は、一代の業績のまとめとして、70歳で『全集』25巻を発行、87歳で『続全集』8巻を刊行している。「全国教育行脚」のおかげだと述懐している。70歳で「不尽」と号した。終りがないという意味である。坂村真民は森信三の学問について、高さとすそ野の広さがあるとい評している。
森信三は多くの先達に学んでいる。頼山陽(詩人)。芦田恵之助(教育者)。岡田虎二郎(教育者)。慈雲(「十善法語」)。松井立身(教育者)。中江藤樹。石田梅岩。道元。宮本武蔵。柳宗悦。東井義雄(「培基根」)。宮沢賢治。司馬遼太郎。石川理之助。三浦梅岩。田中正造。二宮尊徳。吉田松陰。良寛(「良寛禅師戒語」)。山県三千雄)「人間」)。三浦修吾(「学校教師論」)安藤州一(「清沢満之信仰座談」)、、。。
以下、森信三の所感など。
・戦後20年近く、年間250日にわたり全国行脚をした。
・一日一信(修行法の一つ)
・立腰道
・人間のしまりとは、女と金と酒。
・真の心の「師」は、生涯に一人あれば足りる。
・仕事はすぐにその場で片づける、心の負債をつくらない。
・幸福の条件:足るを知る。他と比べない。現状に感謝。
・行動的叡智を身につけた人物。
・『論語』の学而篇の暗誦。『歎異抄』の最初の10ヵ条の暗誦。
・定年退職後の心の慰めは『論語』だった。それは失業者の心懐の記録なのだ。
・何ごとも覚悟を決めて10年やる。それをずっと続ける。70からもまた10年。このコースが一生で一番おもしろい。
・教育者の根本条件は「自己の人生の生き方の探求者」あでること。
・金に困らぬ人間になること。まず基礎蓄積をつくる。
・生きた叡智へのアプローチとしては西洋哲学は日本人には向かない。
・人間は一生のうちに、一人か二人、その人の全著作を読みぬく人を持つのがよい。
・偉大な魂の足跡を具体的に学べる偉人の伝記を読むことをすすめている。そして一人の生きた一人の「師」に就くこと。
・一人雑誌の意義は、主体性を確立と同志相互の生命の呼応。
・立志とはローソクに火を点ずるようなもの。
・人間の役目:実践記録を残す。報恩のために自伝を書く。社会奉仕に生きる。
・30代の10年は生涯で最も大切な時期だ。
・学校卒業後には読書会を設けてあげること。
・一日読まざれば、一日衰える。
・出処進退。平素の心がけが最後の引き際に影響する。
・教育とは人生の生き方のタネ蒔きなり。
・偉人の伝記を読むのは、立志の時期(18歳まで)、発願の時期(34歳あkら40歳前後)そして60歳前後の一生のしめくくりを以下にすべきかを考える時期。
・最上の書籍である天地を読む学者のみが真の学者。
・明治元年から10年までに生まれた人に、土性骨のしっかりしている人が多き。
・80歳の感慨。この世の中には多くのすぐれた人がいるということ。満天の星座の無量多の星辰のごとくだ。
・80歳。日常生活の挙措は「俊敏」に。
他にも、以下の名言が多数の本の中にある。
- 一日は一生の縮図なり
- 道徳とは自分が行うべきもので、人に対して説教すべきものではない。
- この人生は二度とないのです。
- 例外をつくったら、だめですぞ。
- 人間の人柄というものはその人が目下に対する場合の態度、とくに言葉遣いによってわかるものであります。
- 一日の予定を完了しないで明日に残して寝るということは畢竟人生の最後においても多くの思いを残して死ぬということです。
- 人間には進歩か後退かのいずれかがあって、その中間はない。現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ。
- 人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、おのずからそこに一小天地が開けてくるものです。
- 一生を真に充実して生きる道は、結局今日という一日を真に充実して生きる外ないでしょう。実際一日が一生の縮図です。
- 教育とは流れる水の上に文字を書くような儚いものだ。だが、それを岸壁に刻み込むような真剣さで取り組まなくてはいけない。
- 人間は徹底しなければ駄目です。もし徹底することができなければ、普通の人間です。
- 自分が現在なさなければならならぬとわかった事をするために、それ以外の一切の事は、一時思いきってふり捨てる。
このように、森信三には無数の名言がある。この中で、「例外を作ったら、駄目ですぞ」を選んだ。毎日、決めていることをやり続けることにしよう。森信三の実践的叡智には学ぶものが多い。