オーディブルで「耳読」:山本一力『だいこん』。

山本一力『だいこん』(朗読 大森みゆき)をオーディブルで聴き終わりました。1.3倍速で11時間11分。ウオーキングの友のアイフォン。今日は1万歩。

「江戸・浅草で一膳飯屋「だいこん」を営むつばきとその家族の物語。腕のいい大工だが、博打好きの父・安治、貧しい暮らしのなかで夫を支える母・みのぶ、二人の妹さくらとかえで―。飯炊きの技と抜きん出た商才を持ったつばきが、温かな家族や周囲の情深い人々の助けを借りながら、困難を乗り越え店とともに成長していく。直木賞作家が贈る下町人情溢れる細腕繁盛記」。

この本では庶民相手の食べ物屋を切り盛りする娘のつばきが主人公で、ご飯、味噌汁、お茶、だいこん、漬物、日本酒、、などに関する蘊蓄の説明が出色だ。池波正太郎の作品のように、胃袋をつかまれる感があり、食欲をそそられる。つばきの人や世間をみる目、きっぷのよさ、難局をのりきるたくましさ、新鮮なアイデア、洞察力などに感心させられるが、こ食べ物に関する知識の深さに感銘をうける本である。

山本一力は、職人の世界、捕鯨と船乗りの世界、そして江戸の食べ物の世界など、ひと仕事ごとに、主人公の仕事の世界を深掘りしていっているようだ。

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考えてみると、山本一力の本は、全部オーディブルで聴いている。一番長かったのは、『ジョン・マン』。ジョン・万次郎の一生を描いた傑作。

いつだったか、ラジオで山本が「ジョン・マン」を書くと言っていたのを聞いたことがある。「こんな男がいたのか」という驚きをもって語っていたのを思いだした。

第1巻「波濤編」。鯨の油が貴重な明かりとりの燃料であることから始まった捕鯨の最盛期であるが、なにか別の油が出てきたらという不安を語る人もる。油田の発見で世の中ひっくり返ることを匂わせている。鎖国しており、近づくと侍が発砲する「ジャパン」についてはオランダ情報が貴重であり、その情報はニューヨークで船長が手に入れている。オランダ人の入植から始まったニューヨークにはオランダ人が多く住んでいた。こういった情報も入っている。

血湧き肉躍る内容で、実に楽しめる。船に関する数字が実に細かく調べ上げていることに感心した。故郷土佐での暮らしと万次郎らが漂流した鳥島での150日間の無人島暮らしと、アメリカの捕鯨船が出帆するまでを交互に書き進めている。その出会い、そして水夫になる。、、、

以下、「2大洋編」、「3望郷編」、「4青雲編」、「5立志編」、「6順風編」、「7邂逅編」(2019年7月に刊行)まで全部聴いた。8巻も予定されている。決意のライフワークなのだろう。1.2倍の速度で聴いても1巻当たり5-6時間。

 

指物職人の弥助は、親方によばれ、七代続いた老舗の近江屋から「是非手代になって欲しい」という話があると聞かされた。根っからの指物職人にお店勤めなど無理な話だが、近江屋の主人は「ひとつことに秀でた人は畑が違っても必ず頭角をあらわします、うちの奉公人の手本になって欲しいのです」と懇願するのだった。」
山本一力の時代小説は読んだことはない。聴きごたえがあった。細かい描写や蘊蓄があり、そして最後には希望がある。現代小説よりも時代小説には味がある。

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「名言との対話」9月29日。正木ひろし理性のなくなった人間は、動物以下であり、表現の自由のないところに、人間の社会は成立せず、生ける屍と言えよう」

正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年明治29年)9月29日 - 1975年昭和50年)12月6日)は、日本弁護士である。 

東京都墨田区出身。八高理科を中退し、進路変更し七高英法科を経て、東京帝大法学部を卒業。1925年、弁護士事務所を開業した。

正木は多くの事件の弁護士として活躍している。1944年の首なし事件から、1955年の丸正事件まで、仕事量が多い。扱った事件について語ろう。

1944年の「首なし事件」。拘引された被疑者が巡査による取り調べ中の殴打で死亡した事件だ。警察は病死として処理しようとしたが、拷問ではないかと疑ったものから正木は相談受ける。正木は墓地で埋葬された遺体の首を切断し、東京帝大の法医学教授に持ち込み、他殺と鑑定され、巡査らを告発した。1955年に巡査の有罪が確定した。

1951年の八海事件。強盗殺人事件で犯人が共犯者として名指しした4人が、1968年の最高裁判決で無罪となった。

1949年の三鷹事件国鉄三鷹駅構内で起きた無人列車が暴走し、脱線転覆により商店街の6人が死亡、負傷者も20名という大惨事になった事件。下山事件松川事件とともに国鉄三大ミステリーと呼ばれている。正木は一審判決で10人中9人の無罪を勝ちとったが、弁護団を脱退している。

1951年のチャタレー事件。英国の作家D・ローレンス『チャタレー夫人の恋人』の日本語訳出版の伊藤整と出版社社長が、わいせつ物配布罪が問われた事件。正木の他には環晶一(後の最高裁判事)、特別弁護人として、中島健蔵福田恒存らがおり、大きな話題になった。1958年に最高裁で有罪判決。

1955年の丸生事件では、1960年の最高裁による被告人の有罪判決確定後に、それ以外の者を真犯人として名指しして、名誉棄損として正木は高裁で有罪判決を受けている。正木はこの裁判の上告中に亡くなった。

優秀な闘う弁護士・正木ひろしの生涯を観察するに、40歳を過ぎたあたりから個人雑誌「近きより」を1937年以来出し続けたことが大きかったように思う。寄稿者には長谷川如是閑、内田百閒、武者小路実篤などの陣容をそろえた。また小林一三藤田嗣治三木清萩原朔太郎などが購読者であり、影響力も大きかった。この個人雑誌は、大東亜戦争に向かう政府を舌鋒鋭く批判した内容でり、桐生悠々の『他山の石』と並ぶ雑誌となっていた。その結果、この弁護士は著書が多くなった。「裁判官」「検察官」「弁護士」という司法の主役たちのことがよくわかる本もある。『裁判官』はベストセラーになり映画化された。本業の「弁護士」に関する著作は3冊もある。『近きより』全5巻は、死後に毎日新聞出版文化賞特別賞を受賞している。

チャタレー裁判で、正木ひろしは「表現の自由のないところに、人間の社会は成立」しないと語っている。自由な表現ができないならば、生きた人間ではなく、「生ける屍」と断じたのである。最近のDNA研究によると、チンパンジーと人間の差は、個体差を入れるとわずか1.06%しかなく、それは意思疎通に関わる部分であるとわかってきた。まさに人間の特徴は表現にある。正木の発言は現在の科学によって裏付けられたのだ。「表現の自由」の問題は、そういう意味で根源的なテーマなのだ。