第1回「AIのべりすと文学賞」の発表ーーAIとの共同執筆、二人三脚による小説の新しい書き方の実験

「AIのべりすと文学賞」の発表があった。

「AIのべりすと」というソフトとの対話をしながら、小説を書いていくという新しい創作の実験だ。AIで小説を書ける時代になった。私もこのソフトを試したことがあるが、AIとの会話を楽しみながら、また意表を突かれた流れを楽しみながら、文章を書くことができた。このソフトの背後には、膨大な小説が読む込まれているが、さらにその量が増えていくと、小説のレベルも向上していくはずだ。

今年から始まった感もあるが、単語や簡単な文章を入力すると、画像が出てきて驚く。この流れで、音楽も映像も、AIが創作してくれるようになってきた。その精度も次第にあがってきているようだ。プログラミングする必要がないので、ブラックボックスではあるが、鑑賞にたえる作品が生まれつつある。芸術とは何か。創作の世界、芸術の世界も変わっていいく。時代は進む。

ーーーーー

さて、389本の応募作品から以下の作品が顕彰された。

  • 最優秀作品 高島雄哉「798ゴーストオークション」。賞金 50万円・「AIのべりすと」プラチナ会員権12ヶ月。(受賞者コメントから:「思考の深化」「共同執筆」)
  • 優秀作品 minet「Undo能力を手に入れた俺と後輩の桜井さんの長い一日」。賞金10万円・「AIのべりすと」プラチナ会員権12カ月。(受賞者コメントから:「二人三脚」「眠る創造性を豊かに発揮していけたら」)
  • 優秀作品 時雨屋「5分後に探偵未遂」賞金10万円・「AIのべりすと」プラチナ会員権12カ月。(受賞者コメント:文字にしかできないこと」「小説でしかできないこと」)
  • AIショート賞 宇野なずき「空に還る」。賞金10万円・「AIのべりすと」プラチな会員権12か月分。(短歌とAIの相性は結構良い」)
  • 小学館賞 ギン・リエ「カミガカリ 不自然言語処理連続殺人事件」。賞金10万円・「AIのべりすと」プラチナ会員権12ヶ月分。(受賞者コメント:AIのべりすとと文学の距離感)
  • coly賞 坂本未来「好きってだけ」・賞金10万円・「AIのべりすと」プラチナ会員権12ヶ月分。(受賞者コメント:「新しい短歌の作り方」)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

第1回「AIのべりすと文学賞」審査委員長・橘川幸夫挨拶。

第1回「AIのべりすと文学賞」は、AIと人間の想像力が融合して作られた物語の、日本ではじめての文学賞にも関わらず、389本もの作品が寄せられました。本当にありがとうございました。 厳正な審査の結果、大賞には高島雄哉氏の「798ゴーストオークション」が選ばれました。作家としての基本的な技術や構成力を持っている作家が、AI技術による文書生成システムを見事に使いこなした作品だと思います。これからの時代の新しい文学の可能性の扉を開けたと思います。 私見を言わせてもらえれば、インターネットが登場したことによって、私たちの生活意識や生活方法が大きく変わりました。物書きである作家やジャーナリストも、これまでは現場を訪問したり、関係者を取材したり、図書館で資料を閲覧したりして知識を重ねて、文章で表現をしていました。しかし、現在は、インターネットを抜きにした取材活動はありえないと思います。用語の確認や事実関係の確認のために、検索をしない人はいないと思います。 もちろん、インターネットに頼り切った物書きは薄っぺらいものになってしまいますが、ネットとリアルをうまく組み合わせた人たちが、これからの物書きだと思っています。「AIのべりすと」は、インターネット環境の膨大な語彙のデータベースを処理して、一人ひとりの個性的な個人のクリエイティブ行為を支援します。開発者のSta氏は、「AIのべりすと」は「神」でも「奴隷」でもなく、「ティンカーベル」(妖精)であると評しています。まだ開発は、はじまったばかりですが、今後、更にインターネット情報の拡大とともに、作家にとっての愛すべき妖精として成長していくと思います。 また、2022年は、AI技術を使った絵の創作や、音楽の創作技術が急激に進歩しました。それらを称して「AIクリエイティブの時代」が始まったといえるのではないでしょうか。そして、新しい時代に即した、新しい表現者が登場するのでしょう。 第一回の「AIのべりすと文学賞」の各賞を受賞された皆様、おめでとうございます。惜しくも選に漏れた応募者の皆様に、深く感謝いたします。皆様のエネルギーをいただき、第二回の「AIのべりすと文学賞」を推進していこうと思います。ぜひ、進化している「AIのべりすと」を、引き続きご利用いただき、次回も力作の応募をお願いいたします。 そして、はじめての文学賞の審査をお引き受けいただいた審査員の皆様に、あらためて感謝いたします。実験的な作品が多く、ご多忙に皆様には、貴重な時間をいただきました。今後も、「AIのべりすと」の可能性を見守っていただけると幸いです。 人間と情報システムの新しい関係によって、私たちの新しい世界が開いていきます。今後とも、よろしくお願いいたします。

ーー

文学賞から始まるAI創作の世界」( AIのべりすと開発者:Sta)

「トリポッド」というSF小説があります。間抜けで知能の低い生き物のふりをした異星人を小ばかにしているうちに、気がつけば地球はまるまる侵略されてしまう。西洋の人々は常にマンメイドの知能にあこがれながらも、「生態系の頂点にある自分たち人間を超えるものを作りたい」が「自分たちが超えられて支配されるかもしれない」という矛盾した欲求と恐怖を抱いてきました。AIは本当に異星人のような、到底理解しようのないものなのでしょうか?無機物や架空のものに人格を与えて可愛がったり、本気で入れ込んだりするのは私たち日本人や、東洋人に特有といいます。今や日本は半導体やAIの覇権争いからは蚊帳の外かもしれないけど、逆にいえば私たちにしかできないパーソナルなAIの世界を構築できるはずではないでしょうか。AIのべりすとは、まさにそこを最初から目指してきました。今回のAIのべりすと文学賞は、始まりに過ぎません。「AIに仕事を取られるかも」とか「AIに負けるかも」という恐怖ではなく、「AIを活用して大作家になった」とか「AIのおかげで創作が苦でなくなった」という実際の成功体験がこれから次々に出てくるはずです。その最初の触媒のひとつがAIのべりすと文学賞なのだと思います。受賞者の皆様、おめでとうございます。これからもAIのべりすとを使ったクリエイティブな作品との出会いを楽しみにしています。

AIーーのべりすと文学賞 (demeken.net)

第1回 AIのべりすと文学賞 受賞作講評/作者受賞コメント
https://demeken.net/ai-novelist/commentary/

 
 
 

 

ーーー

松戸川柳会に初投稿。宿題「偉業」を選択。他の題は「いそいそ」「エコ」「誘う」。

 偉人より 異人を目指す 若き人

 平凡を 続ける人は 非凡です

 オンリーワン 続けられれば ナンバーワン

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」11月1日。萩原朔太郎「幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とは、それの反対を記憶している人々である」

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年明治19年)11月1日 - 1942年昭和17年)5月11日)は、日本詩人

2016年に前橋文学館「萩原朔太郎記念館」を訪問した。朔太郎は、15歳で鳳晶子(与謝野晶子)の歌に接し熱病に犯され、「鳳晶子の歌に接してから私は全で熱に犯される人になってしまった。」と述べ、16歳で初めて歌を作っている。「この時から若きウェルテルの煩ひは作歌によって慰められやうに成った」。青年の悩みは、作歌という活動によって昇華されていく。そして詩人になっていく。

朔太郎の年表を眺めると、学校への入学と退学を繰り返しているのが目にとまった。21歳五高(熊本)英文科を落第、22歳六高(岡山)独法科退学、25歳慶応大学予科入学、26歳京都帝大選科受験失敗という経歴をみると、何か世間におさまりきれないものを感じる。父は前橋医師会の会長をつとめるほどの人だったので、こういう生活も許されたのだろうか。

27歳で故郷の前橋に戻って芸術家としての活動を始める。この頃の写真には、ハンサムではるが神経質そうな表情で、トルコ帽をかぶった姿があった。この地を本拠地として、互いに認め合い生涯の友人となった二つ年下の室生犀星、二つ年上の北原白秋、そして山村暮鳥、日夏などの詩人と交わる。

31歳で第一詩集「月に吠える」を出版し世に出る。この頃谷崎潤一郎と会う。33歳で上田稲子と結婚する。この結婚は10年ほど続く。37歳、関東大震災。親戚を見舞いに上京する。39歳、上京し、芥川龍之介室生犀星と往来する。中野重治、堀辰夫。48歳、明治大学文芸科講師。52歳、「日本への回帰」を刊行。この年、大谷美津子と結婚。54歳、透谷賞を受賞。56歳、死去。

1917年の第一詩集「月に吠える」。「詩は言葉以上の言葉である」と代表作「月に吠える」の序で語った朔太郎は、写真、音楽、書物のデザインとマルチアーチストだった。

1923年の「青猫」。「青猫」はブルーな、ゆううつな色調でおおわれており、生の無為、倦怠が一貫したテーマであり、ニイチェやシーペンハウエルの思想の影響を受けている。この二つの作品で、口語自由詩を完成させ、後の詩人に多大な影響を与えた。朔太郎は大正時代近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称されている。

日本詩界の潮流を根本から覆したと言われる「月に吠える」は、発行人は室生犀星、序文は北原白秋である。序文で白秋は「何と言っても、私は君を敬愛する。さうして室生を」から始まる。白秋は朔太郎より2つ上で、朔太郎は犀星より2つ上であり、この3人は互いを評価しあっていた。朔太郎は「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」と述べている。

高村光太郎は、「この詩人の詩は、ああ蒼く、深く、又すさまじく、美しく、日本語の能力を誰も予期しなかったほど大きくした」と評価している。

詩の目的は、「感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである」と朔太郎は言っている。「どんなに真面目な仕事をしていても、遊戯に熱している為時ほどには人を真面目にし得ない」という朔太郎の故郷の前橋での生活を記念館で眺めると、写真、音楽、書物のデザインとマルチアーチストだった。やはり、一筋に修行するというタイプではなかったようだ。

ふらんすに行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。、、で始まる有名な「旅上」は、萩原朔太郎の作品だったことを知った。

「詩は何より音楽でなければならない」という朔太郎は、マンドリンを演奏する。前橋で活動したクラブは、群馬交響楽団の前身である。アマチュアカメラマンとしても相当の工夫をする腕前だった。朔太郎の写真の対象は、第一の弟子であった三好達治によれば「要するに、例外なく、その夥しいコレクションは、いづれもごたごたとした人混みの、市井のつまらぬ風景だった」のである。朔太郎は自然の景色には全く興味がなかった。

朔太郎は、書物の装幀とデザインに凝り、自身も手掛けている。「装飾とは内容の映像」という考えの朔太郎は、自身唯一の小説「猫町」のデザインを自著のもっとも気に入っている。煉瓦の壁に「Barber」という文字と「猫の顔」が描かれた面白いデザインである。この本には、「装飾案・萩原朔太郎 画・川上澄生」となっているから、案を自分でデザインし、それを画家に描いてもらったのだろう

第一詩集で代表作なった「月に吠える」でも、独特の幻想的なデザインで、詩と画とが一体となって美しく、書物としても近代詩の世界でも画期的な詩集だった。「美しい詩画集を出したい」と装飾を依頼した恩地孝四郎にあてた書簡でも語っている。恩地と田中恭吉と三人の芸術的共同事業でありたいと願った朔太郎は、「実に私は自分の求めている心境の世界の一部分を、田中氏の芸術によって一層はっきりと凝視することが出来たのである」と書き記している。

それでは、萩原朔太郎にとって「詩」とは何か。詩の目的は、「感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである」と言っている。

前橋文学館が編集した「萩原朔太郎室生犀星の交流」という小冊子を読むと、二人の飾らない交流がわかる。
「萩原と遊ぶとセンチメンタルといふ言葉を常に新しく感ずるとは不思議なり」(再生)。「犀星といふ男は真に不思議な恵まれた男であり、生まれながら文学の神様に寵愛されたやうな人間である」(朔太郎)

室生犀星は「善良で好人物である正直者はいつも人生で損ばかりしているといふことも、この詩人の生涯を見渡していると判って来るのだ。」と語っている。ここには、神経質で気難しい朔太郎の姿はない。

「幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とは、それの反対を記憶している人々である」。幸福か不幸かは、客観的に推し量れるものではない。性格というか、心の持ち方というか、そういう主観に大きく左右される。つまり下から登っていって来し方を眺めその高さに満足するか、なかなか行き着かない頂上との距離に不満を抱え嘆息するかという態度にかかっている。朔太郎は幸福であったか。