文庫リレー塾は白井さゆり先生の講義。万葉歌碑「赤駒を、、」。全集第6巻進行中。

寺島文庫リレー塾は、白井さゆり「世界経済情勢とカーボンニュートラルに向けた投資の動向」。以下、ポイントのみ。

  • 日本の経済は弱い(2019年第一四半期まで届いていない)。貿易収支も赤字。
  • 2023年のリスク:アメリカの利上げ。4%成長の中国。ウクライナ戦争とエネルギー音大。米中対立。
  • 輸入物価急上昇(40%)。企業物価も上昇(10%)。消費者物価やや上昇(3%)企業努力によって転嫁されていない。
  • 食糧・飲料は7-8%アップ。エネルギーは17-8%アップ。しかし50%を占めるサービス(教育・医療・福祉、運賃、、)は、外食以外は、企業努力によってあがっていない。なんとかしのいでいる状況。
  • インフレ予想:家計は1年先は高騰、企業は一時的、市場は2%以下。需要が弱く、インフレは続かないと予想している。
  • 円安とはドルの全面高。アメリカの金利上昇と貿易赤字が原因、アメリカの金利上昇はゆるやかになり、貿易赤字は改善し黒字になっていくから、大幅な円安にはなっていかない。
  • カーボンニュートラルに向けて再生エネルギー設備投資は増えてはいない。産業革命以降1.2度上昇。目標は1.5度。現状のままだた2.7-3.0度上昇。化石燃料を再生エネルギーに置き換える必要。半分しかやっていない。
  • 温暖化による気候危機(自然災害)を避ける。政府の政策(気候政策・金融規制・金融政策)、ESG投資、市民社会の行動というサイクルをまわす。EUはきちんとやっている。アメリカは各州で。中国も政策は進んでいる。
  • 情報開示の標準化が進行。ISSB(国際サスティナビリティ基準審議会)。

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多摩ニュータウンの一本杉公園の万葉歌碑。

「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遺らん」

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『図解コミュニケーション全集』第6巻「ライフデザイン(人生戦略)を編集中。「まえがき」「目次」「表紙デザイン」が終了し、来週初めに「見本」が届く段階。

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「名言との対話」11月18日。ジョージ。ギャラップ「I could prove God statistically. 」

ジョージ・ホレース・ギャラップ(George Horace Gallup、1901年11月18日 – 1984年7月27日)は、抽出調査の技法を開発したアメリカ合衆国の調査実務家で、世論調査に用いられる抽出調査の統計学的技法によって成功したギャラップ調査Gallup poll)の創始者

アメリアイオワ州出身。応用心理学博士。大学で教えながら、1932年から大手広告会社で、印刷媒体やラジオの需要についての調査にかかわる。どんな広告が影響を与えているかという効果や、コミックがよく読まれていることを発見する注目度などを明らかにし評判をとる。

1935年に企業を設立。翌年のアメリカ大統領選で、ルーズベルトの圧勝を予測し、的中させ、全米を驚かせた。1937年からは、コロンビア大学を離れ、調査実務に集中していく。

1936年のアメリカ大統領選では、リテラシー・ダイジェスト誌は200万人以上のデータを収集し、共和党のランドンが57%を得票し勝利すると発表。ギャラップはわずか3000人のランダム・サンプリングという手法でルーズベルトが55.7%を獲得し勝利するという予測で対抗した。結果はルーズベルトは60%という大番狂わせの大勝利となった。

1945年にはイギリスの総選挙で、チャーチルの保守党の敗北と、労働党の勝利を予測している。

1958年、影響下にあった調査会社をグループ化し、ギャラップ社を結成する。ギャラップ社は、正確な調査とコンサルテーションを得意とする世界的大企業になっていき、ギャラップは世論調査の代名詞にもなっている。

ギャラップには「I could prove God statistically. Take the human body alone - the chance that all the functions of the individual would just happen is a statistical monstorosity.」という言葉がある。

ギャラップは私は神の存在さえも統計を使って証明できる、というのだ。たとえば人間の体を見てみようか。人間に備わったすべての機能のみごとな全体的統一は、統計的にはありえない現象だ。神が存在して作っているとしか思えない。だから神は存在するに違いない。統計という言葉を反語的に使っているが、こういった意味だろうか。統計はすべてを明らかにすることができるという自負をあらわした言葉である。