『図解コミュニケーション全集』第6巻「展開編3 ライフデザイン(人生戦略)」を刊行。

『図解コミュニケーション全集』第6巻「展開編3 ライフデザイン(人生戦略)」を刊行。全10巻を予定しており、この6巻で大きなヤマは越えた。

「まえがき」

 私は30 歳の時に「一生の計画」を立てています。これは井上富雄『ライフワー
クの見つけ方』『サラリーマン20 年計画の実践』などの影響でした。今この計
画をみると、40 歳までの10 年間は、行きたい部署と役職、家庭生活、そして
知的生産での希望などが書いてあります。40 歳以降は60 歳過ぎまでを視野に
おいてはいますが、空欄になっていました。その時点では人生計画とはいっても、
具体的なイメージはなかったようです。その後、年初に毎年の計画を具体的に記
し、年末に◎〇△×で総括をするという習慣を維持してきました。
 10 年後の40 歳では「30 年計画」を作っています。40 歳までの「基盤構築期」を、家庭、仕事、知的生産、趣味、資産などの分類で、55 歳までの「充実期(創造
と交流)」、70 歳までの「飛躍期」の計画を書き込んでいます。50 歳では本社の
部長、評論家・作家、大学講師という希望を根拠なしに記してありました。55
歳で退職し、講演、執筆、研究をしながら日本全国を歩くとなっています。この
計画には「ライフコンシャス」という言葉もありました。
 今からふり返ってみますと、50 歳の時の郷里での同窓会で挨拶を頼まれた時
には「人生80 年時代」という話をしています。そして20 年後の70 歳の同窓
会では「人生100 年時代」の到来を念頭に挨拶をしました。この20 年間に、
人生に対する意識は20 年ものびているというわけです。 
 40 歳で「ライフコンシャス」という言葉を意識した時、ライフは人生と同義
語で考えていました。現在では、ライフには3 つの意味があると思うようにな
りました。「生活」「人生」「生命」です。今日一日を充実して生活をする、それ
が積もり積もって人生を豊かに過ごすことができる、そしてその蓄積を次の世代
に残すことになる。つまり、生活が人生になり、人生が次の生命につながってい
く。それがライフを意識することではないかと考えるようになりました。
 全集第4 巻は「ワークデザイン(仕事論)」、第5 巻は「キャリアデザイン(キャ
リア戦略)」でしたが、この第6 巻では「ライフデザイン(人生戦略)」と銘打っ
ています。この「展開編」の3 冊で、「図解」という武器を使った人生戦略が完成することになりました。
 『30 代からの人生戦略は「図」で考える!』、『図解で考える40 歳からのライ
フデザイン』、『50 歳からの人生戦略は「図」で考える』は、各年代の読者を想
定して上梓したものですが、基本的な考え方は同じあり、60 代、70 代以降にも
あてはまる考え方と方法を提示できていると考えています。
 『書くだけで人生が好転する妄想ノート』は、私の人生計画の経験をもとに、
人生計画を立てるための具体的なやり方を中心に書いてあります。
 『図解 書いてスッキリ! 働く女性の成功ノート』では、男性に比べて種々
の制約がある女性の悩みを解決する方法を、図解を用いてアドバイスすることを
テーマとしています。
 第6 巻の5 冊は、「新・孔子の人生訓」、「人生鳥瞰図」「公人・私人・個人」「豊
かさは自由の拡大にある」など、私の思想、哲学で貫いていると考えています。
「人生100 年時代」を迎えつつある今日、現在のあらゆる世代、そして次世代に
も参考になれば幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」12月12日。木村伊兵衛「いつでもカメラを手から離さずにいる事が大事だ」

木村 伊兵衛(きむら いへい1901年12月12日 - 1974年5月31日)は、20世紀に活動した日本写真家。享年72。

東京都下谷出身。子どもの頃からオモチャのカメラに興味を持った。1924年、写真館を開業。1929年、飛行船ツェッペリン号が飛来したとき、船長が首に提げていたライカIAに魅せられる。1930年、花王石鹸に入社。購入したライカIAで撮った広告写真が注目される。1933年、「日本工房」に参加。1934年、「中央工房」を設立。1938年、「写真週報」に抜擢される。1941年、「東方社」の写真部責任者。1942年、グラフ誌「FRONT」の制作・発刊。1943年、『王道楽土』を出版。

戦後の1950年に日本写真家協会初代会長となる。双璧とうたわれた土門拳とリアリズム写真運動を牽引した。没後に木村伊兵衛写真賞(朝日新運社主宰)が創設された。この賞は新人の登竜門となっている。

土門拳が対象を突き詰めて撮るのに対し、木村伊兵衛は対象者が気がつかないうちに自然な姿を撮影するという作風だった。小型カメラで一瞬で撮る写真術は居合い抜きのようだった。木村は女性のポートレートの名手であった。

「NHK人物録」で生前の木村伊兵衛の姿と肉声を聞くことができた。スナップ写真の名手はその極意を語っている。年を重ねることによって、人間がわかるようになる。写真は一瞬を撮影するものだが、見て構えてシャッターを押すのでは遅い、気配を感じてカンで撮影するのだそうだ。それを「技術と体験の蓄積によってはじめて写真家の勘は生れる」と説明している。

スナップ写真はどうやったらうまく撮れるのか。木村はカメラを手から離さないことだと答えている。私も今まで、大型のカメラ、小型のカメラなどを、いくつ使ったかわからない。シャッターチャンスを逃してきた歴史だといってもよい。近年はスマホを片手に散歩することが多くなってきたので、逃すことは少なくなっている。木村はライカという小型の名機を使ったが、私たちはそれと同じような環境に恵まれるようになっている。私は意識として「後姿」を撮るようにしているのだが、これもシャッターチャンスをつまう勝負だ。スナップ写真の名手の言葉を胸に「人間」を撮り続けることにしよう。