「図解塾」第6期⑥ー「チベットとエチオピア」「辺境の布教」「共通語の成立」、そして来年の「プロテスタントと浄土真宗」のさわり。

「図解塾」第6期⑥。2022年の講義は本日で終了。

近況:塾生の近況を聞く。その後、私の近況報告:

  • 「ACADEMIA」の論文(「ライフコンシャスの時代に」)。『図解コミュニケーション全集』第6巻を入手。『戒語川柳 1』の進捗状況。
  • 寺島実郎関係:今朝電話あり(盛岡での夕食会の山田さんの話題等)。東京MXテレビ「世界を知る力」の解説。雑誌「世界」2023年1月号「戦後民主主義安倍晋三」。新刊『ダビデの星をみつめて』を本日入手、kindle版も。次の日曜日の「世界を知る力」対談(真壁・白井)の情報。

本日の講義:「チベットエチオピア」「辺境の布教」「共通語の成立」、そして来年の「プロテスタント浄土真宗」。


以下、塾生の学び。

  • 本日もどうもありがとうございました。いつもながら、濃厚な知的刺激に満ちた時間を楽しむことができました。本題に入る前の話題についてですが、久恒先生の川柳の本の出版、とにかくそのスピードに驚いています。また、寺島さんの「世界を知る力」の内容や新しい本についての情報もありがとうございます。18日は用事があってその後まだエムキャスで見る時間がなかったのでありがたいです(もちろん、そのうちちゃんと見ますが)。「ダビデの星」や「世界」も注文しようと思います。本題に入りますが、仏教とキリスト教についての歴史や広がりなど、みごとに対称形になっているのに本当に驚きました。それぞれに対応する人物や出来事や国が存在したことが、並べられて示されると非常によく理解できます。しかも言語も同様に並行しているし、辺境のどんづまりも同様です。このような見方ができることを初めて知りました。
  • 先生、皆様、本日もありがとうございました。キリスト教も仏教も、山岳地帯などに追い詰められて袋小路となった場所で発展した、東のコブト派と、西のラマ教が似ている。という図から、人種は違えど、基本人間はみな同じなんだなぁと思いました。キリスト教と仏教が、果ての辺境の地であるドイツや日本へ布教していく2枚目の図は、東と西の対比していて、イメージしやすかったです。武力で国を作り、宗教によって内面的に組織化し、内面的に統一された国家を作る。キリスト教は伝道者、仏教は布教僧が、布教活動をした。布教できたのは、3枚目の図にある、共通語が成立されたことも大事で、ラテン語と古典中国語といった書記言語が成立され、統治者が古典語を学び、民衆は民族語の教育、いわゆる読み書きそろばんを学び、統治者が翻訳した民族語で宗教を伝えていた。これも西ヨーロッパのキリスト教と日本の仏教では流れが一緒なのがよく分かりました。本日の3枚の図から、世界史、日本史、地理、すべてが混ざり合った歴史を感じることができました。 本年は歴史を学ぶ機会を得られてうれしく思っております。ありがとうございます。また来年もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。梅棹忠夫先生の「比較文明論」に関する図解の解説の続きでしたが、今日見せていただいた図解すべてを書き写したいと思うほど、興味深い内容でした。ふたつの帝国という世俗世界の話から宗教に関する話(布教、言語、改革など)まで、すべてが見事に対称になっていることに驚きました。久恒先生が、物事を大雑把に捉えることが大切なんだといつも説明されているのを改めて実感するとともに、学生時代にこのような図解を使った解説をしてもらっていれば、またはこのような副読本があったら、世界史や日本史がもっと楽しく学べたのにと思いました。久恒先生の図解のおかげで梅棹先生の理論に触れることができ、毎回新しい見方、考え方を学べてとても楽しいです。これからもよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。特に印象に残ったことは、梅棹先生の図解の「チベットエチオピア」(陸封型宗教)袋小路に入った宗教のエチオピアキリスト教コプト派とチベットの仏教のラマ教が、生き詰まった状態がどちらも共通点があるということです。①巨大な修道院②おびただしい数の僧侶③ほかの宗教は一切入らない。国家と宗教も一体化。 違う宗教なのに、どちらも①②③が似ている点は、とても興味深かったです。また、図解の「共通語の成立」(宗教を支える言語)では、宗教を言語の視点で見て、対比させると共通点が見えてくることも興味深かったです。キリスト教は、もともとはアラム語だったが、ヘブライ語ギリシャ語になり、カルタゴ会議でラテン語化(古典共通語)された事と仏教はもともとマガタ語だったが、バーリ語、古典中国語(漢文)になり、書記言語では、どちらも共通語が成立するなど、比較すると似たような流れになっており、対比できることがわかり、興味深かったです。そのことは、情報共有のためだけかと思いましたが、共通の民族語による統治の技術とは、知りませんでした。宗教については一つ一つの教義が難しいと考えていたので、図解で対比させながら、教義一つ一つでなく、共通言語や民族語の面から、大枠で理解すると、把握しやすく、新たな気付きが得たり、より理解が深まるように思いました。また次回も楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もおつかれさまです。第6期図解塾の6回目、今回も『宗教』をテーマに久恒先生よりレクチュア頂きました。『西(ヨーロッパ)と東(アジア)』両者を比較・俯瞰した5つの図では夫々、同時期に共通した動きが示され、左右対称の図が形成されている点が参加した塾生共通の驚きとなりました。地中海と古代中国双方では、①夫々の地域で独自な発展・変貌、②夫々分裂しながら領域を拡大。エチオピアキリスト教)とチベット(仏教)では③夫々地理的な「行き止まり」の地で隆盛し双方は酷似(巨大寺院、多数僧侶、単一宗教、国家と一体化)。ゲルマンと日本では④夫々辺境の地で発展(国家・都市の形成、伝道者の功績)と⑤記述言語および教育機関(統治者・庶民で区別)の発達となっていました。どちらの場所でも宗教で人びとの価値観を統一し不平を鎮める事、これを広く行うため、コトバの共通化や印刷(書きコトバ)は必須条件である事が共通していました。このように特定の国・地域を1点深掘りするだけでは所詮片手落ちであり、「年代・地域の分け隔てなく俯瞰・比較」し、『繋がり・関連性』という切り口により立体的に理解する事が重要である事、集めた情報に対し判断を妨げるヌケモレを補ったりシンプル化する事が『ロジカルな思考』の必要要素ならば、図解の活用はそのための必須条件である事に改めて気付かされた事が本日の学びとなりました。有難うございました。
     
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  • 先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。梅棹忠夫比較文明論。今日一番印象に残ったのは「宗教を支える言語」についての話でした。宗教が広がるうえで大きな役割を果たしたのが、記録することに使われた「書記言語」。キリスト教でいえばラテン語であり、仏教でいえば古典中国語(漢文)。聖書がラテン語で書かれるようになって地中海やゲルマンへ広がっていったことと、漢文で書かれた経典が日本へ広まっていったところなどが見事にパラレルになっていて面白いと思いました。共通して使われる言語は、宗教をはじめ同じ文化圏を形作る大きな要素になっていると改めて感じます。また、山岳地帯という袋小路に入ったような地域では、似たような特色を持つ宗教へ変化する、という話も面白く聞きました。エチオピアキリスト教コプト派とチベット仏教ラマ教がその例。巨大な修道院、おびただしい数の僧侶、国家と宗教の一体化など、類似しているところがあるとのこと。このように比較して眺めるのは初めてでしたが、とても印象深く伺いました。次回もまた楽しみです。
     

     
     
     
     
     
     
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「名言との対話」12月21日。茅誠司「小さな親切」

茅 誠司(かや せいじ、1898年明治31年)12月21日 - 1988年昭和63年)11月9日)は、日本物理学者。第17代東京大学総長。享年89。

神奈川県出身。東京高等工業学校(東京工大)を経て、東北帝大理学部を卒業。のち、本多光太郎に師事。1926年、助教授。1931年、北海道帝国大学大学教授。1943年、東京帝国大学教授。1954年、日本学術会議会長。1957年、東京大学総長。1963年、卒業式で「小さな親切」の重要性に言及。1964年、文化勲章

茅誠司は東北帝大から、北海道帝大、東京帝大と移り、最後は東大の総長にまでなっている。師の本多光太郎との関係がうまくいかなったことが幸いしたのだろうか。

吉田茂首相の私的ブレーン、日本の南極観測参加に尽力、原子力研究にあたり「自主、民主、公開」の三原則を提唱するなど、社会活動が活発だった。

茅誠司という名前は、東大総長という肩書とともに、「小さな親切運動」の提唱者として記憶されている。当時、私は中学生だったが、大きな話題になったので、よく覚えている。

1963年3月の東京大学卒業式告示を「小さな親切」運動本部のHPで改めて読んでみた。

「諸君は専門家ら見ても、また人間として見ても、共に未完成であります。大学教育の目標は、優れた専門的能力と、豊かな社会的教養をかねそなえた人間をつくる、と申すよりは、そのような人間になるための、潜在力の育成にあります。このような人間像は、この大学教育によって培われた潜在力の基盤の上に、諸君の一生涯を通じての努力と刻苦によって、初めて達成されるべきものでありましょう。」

「教養を基盤として人格をつくっていくにはどうすればよいか」、という問いをあげ、カリフォルニアで受けた小さな親切を説明している。

「小さな親切」はCo-operativeする現象であると解釈している。何かのきっかけで小さな雪がころがり出し、それが「なだれ」になる。「小さな親切」をきっかけとして、これが社会の隅々までもなにげなく、またまんべんなく行われるようになることを、わたしは心から希望してやみません。

「この「小さな親切」を絶えず行っていくということは、このバラバラなエンサイクロペディア式知識を融合させる粘着剤の役目をつとめ、ひいては立派な社会人としての 人間形成の基盤となることと信じます。諸君の一生の目標たる、教養高き社会人への道は、このような、やりうとすれば誰でもできることから始められる、、、」

やさしい言い方だが、目標とすべき人間像の提示と、そこにいたる道すじを示した名告辞である。この告辞は、多くの人々の共感を呼び、大きな社会的反響があった。その3か月後には、「小さな親切」運動本部がスタートし、現在もその活動は続いている。茅誠司は、初代代表として23年間活動している。

私が知る限りでも、野田一夫先生が初代所長をつとめた(財)日本総合研究所の初代理事長だったし、八王子の大学セミナーハウスの初代トップも茅先生だった。セミナーハウスにかかる橋の名は「茅橋」だった。

あらゆるところに「茅誠司」の名前がでてくるのではないか。声をかけやすい人柄であったと思うが、頼まれたこと一つ一つを「小さな親切」精神で引き受けたのであろう。それがきっかけとなり、小さな雪がころがって、さまざまなところで、「なだれ」をおこしているのだろう。茅誠司の生涯は、「小さな親切」精神で彩られていたのであろう。