築地本願寺の「東日本大震災 十三回忌法要」ー「南無阿弥陀仏」の意味(法然と親鸞の解釈の違い)。

本日は「3・11」、東日本大震災が発災した日。あれから丸12年経った。私は2008年3月に仙台の宮城大学を辞し、4月から東京の多摩大学に移った。その3年後の2011年に東日本大震災が発生した。当日の夕刻からは、NPO法人知的生産の技術研究会の総会が行われる予定で、多摩から都内へ出かける寸前の14時46分に大地震が起こって、自宅に戻ることができた。

今日は銀座に出る用事があったので、築地本願寺に寄ってみたら、「東日本大震災 十三回忌法要」が営まれていた。焼香をして、茨城県の住職の講話を聞いた。

築地本願寺は、西本願寺を本山とする浄土真宗の寺院で、インドの古代仏教様式(ガンダーラ様式)を採用しているのが一大特徴だ。東大の伊東忠太博士が本堂を設計している。

1617年の浅草で創建された寺院。1657年の「明暦の大火」で消失し、江戸幕府から再建の知として与えれた海上を埋め立てて、土地を築き本堂を建立した。それが「築地」の由来となって、「築地本願寺」となった。

築地本願寺浄土真宗の寺院。宗祖の親鸞の像があった。2023年は親鸞(1173年ー1262年)の生誕850年にあたる。

「南無」は「まかせる」の意であり、「阿弥陀仏」は、無限の光明と無限の寿命を持つの意である。

浄土宗の開祖法然は、南無阿弥陀仏と称え「どうか、私を救って下さいと」願う事で「阿弥陀仏極楽浄土へ導かれる」と説いた。これが浄土宗だ。

弟子の親鸞は、阿弥陀仏が「われにまかせなさい。必ず救うぞ」との呼び声であるとし、名文を唱えさえすれば、阿弥陀仏が唱えた人をそのまま救うという意味であると、師の解釈に付け加えた。それで浄土真宗とした。

偶然、娘と孫が都内に出ていたので、築地本願のカフェで待ち合わせて、食事をした。阿弥陀仏のお導か。

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「名言との対話」3月11日。夢野久作「これを書くために生きてきた」

夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年明治22年)1月4日 - 1936年昭和11年)3月11日)は、日本幻想文学作家。享年47。

福岡市出身。父は玄洋社系の国家主義者の大物である杉山茂丸。その長男。修猷館卒業後、志願兵。除隊後、慶應義塾大学文学部に入学するが中退。禅僧、農園主、能の教授、新聞記者と種々の経歴を持つ。1926年、『あやかしの鼓』を雑誌で発表し、作家生活に入る。『缶詰の地獄』『いなか、の、じけん』等、因縁と心理遺伝を題材とした作品を表した。

作品を読んだ父親が「夢の久作が書いたごたる小説じゃねー」と評し、それを使って夢野久作というペンネームにしている。「夢の久作」とは九州福岡の方言で、「夢ばかり見る変人、夢想家」の意味である。

一人の人物が話し言葉で事件の顛末を語る独白形式と、書簡をそのまま地の文として羅列し作品とする書簡形式という独特の文体を用いた。

「アッという間、夢、幻、このように一生を懐古するする人は多い。その間に経験することは、年齢も、出会いも、すべてが初めてのことだから、うまくたちまわることはなかなかできない。生まれて死ぬ間は、会って別れての連続である」という夢野久作の感慨には共感を覚える。いつだれとどのような場所で出会うか。人の運命は出会いによって変わることは確かだ。

夢野久作ドグラ・マグラ』(上。角川文庫)を読んだ。 小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』と並ぶ日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる、構想10年の畢生の奇書『ドグラ・マグラ』は、比類のない評価を得た。

「精神医学の未開の領域に挑んで、久作一流のドグマをほしいままに駆使しながら、遺伝と夢中遊行病、唯物化学と精神科学の対峙、ライバル学者の闘争、千年前の伝承など、あまりにもりだくさんの趣向で、かえって読者を五里霧中に導いてしまう。それがこの大作の奇妙な魅力であって、千人が読めば千人ほどの感興が湧くにちがいない。探偵小説の枠を無視した空前絶後の奇想小説」というのがアマゾンでの紹介だ。

ドグラ・マグラとは、「幻魔作用」となっている。舞台は福岡の九州帝国大学の医学部精神病科である。、、、、脳髄が物を考える。狂人。自我亡失症。脳。胎児のみる夢。神の否定。夢。時間。仮死。、、、。狂人の書いた推理小説という設定で、夢野の思想と知識の集大成である。一度読んだくらいではよくわからない難解な内容だった。そういった本を奇書というのだろう。

夢野久作は「これを書くために生きてきた」と語っているように、10余年かけて書いた畢竟の力作である。30代半ばから40代後半にかけて構想、執筆し、1935年に自費出版で刊行された1500枚の長編である。完成した翌年に47歳で死去しているから、まさにライフワークとなった。夢野久作は47年という短い生涯でライフワークを完成させた人である。

「これを書くために生きてきた」は、心に響くメッセージだ。こういう言葉を吐けるほどの作品をものにしたか、と自分に問いかけると、「否」と答えるほかはない。