橘川幸夫『メディアは何をしたか? part1 ChatGPT以後の社会』の出版記念会。

大学セミナーハウスで開催された橘川幸夫さんの新著の出版記念パーティに参加。

書名は『メディアは何をしたか? part1 ChatGPT以後の社会』。

既存の本の流通のしくみにのせずに、本人が手渡すという直版という方法にチャレンジするから、アマゾンでも本屋でも手に入らない。著者と読者の顔の見える関係を大事にしよういうスタイルだ。昨日、自宅に届いたのでその日のうちに読み終わった。

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プチ紹介動画: https://youtu.be/DnloliiOWtU
 

この講演ではChatGPTを「チャット野郎」と擬人化しているのが面白かった。AIはすでにある情報を食ってまとめるに過ぎない。そういうことはAIに任せて、人類として大事なことは新しい情報を創造してチャット野郎に食わせることだという強烈なメッセージだ。

この本には例によって新しい知見やキーワードが随所にある。大事なメッセージの一つは、橘川さんや私たちが含まれる団塊の世代は、近代の負の部分を克服し、新しい理念や新しいサービスを開発するのが、使命だということである。それを大義、社会的モチベーション、オリジナルな方法という言葉で煽動している。

私たちは近代日本成長と没落を知り、現代日本の成長と没落を見ている。経済的衰退と精神的退廃が今の日本の病だ。没落過程に入った日本の根本原因は、日本人としてのアイデンティティの衰微が極めてはっきり見えてきたことにあると私は考えている。

それぞれの人がその解決に貢献しなければならない。この歴史的使命にどうやって貢献するのかという問いにどうこたえるか。「日本人のアタマとココロの革命」を標榜してきた私は、「自分の頭で考えることのできる真・日本人」の育成への貢献をテーマに、やっていこう。

以下、講演を聴きながらとったメモ。

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「名言との対話」5月6日。九鬼周造「人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならない」。

九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者京都帝国大学教授。享年53。

東京出身。先祖は九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆、父は文部官僚の九鬼隆一男爵。周造を妊娠中の母・波津子はアメリカから帰国の途中、送っていった夫の部下であった岡倉覚三(天心)と恋に落ち、別居、離縁となる。この事件は世間の耳目をそばだてたが、九鬼と岡倉の仕事上の交流には影響を与えていない。

一高文科から、東京帝大文科大学哲学科でケーベルに学ぶ。大学院を中退。九鬼は亡くなった次兄の妻と30歳で結婚する。1921年から8年間のヨーロッパ留学。ドイツでは新カント派のリッケル、フランスでではベルクソンとと面識を得る。フランス語の個人教授の先生は若きサルトルだった。ドイツに戻りハイデッガー現象学を学び、1929年の帰国後は日本に紹介した。

最初の結婚が破綻した後、再婚の相手は祇園の芸鼓であった。九鬼は京都帝大で哲学を教え、講師、助教授を経て、1935年に西洋近世哲学史講座の教授となる。1930年に『「いき」の構造』を発表、1932年には「偶然性」をテーマに博士の学位を得ている。1935年、『偶然性の問題』を刊行。

九鬼周造随筆集』(岩波文庫)で九鬼の考えを追った。

「書斎漫筆」では青年時代からの愛読書をあげている。『キリストのまねび』、ヒルティ『眠られぬ夜のために』、ニイチェ『ツァラトゥストラ』などを読むが、全面的には共感できない。そういうものは自分で書くよりほかはないと思う。しかし自分の中の悪と善の双方をさらけ出すのは躊躇がある。それでも注文のもあるし、書きたいと思うこともあるとし、いくつか本を紹介している。プラトン『饗宴』は道徳と芸術と宗教と哲学の中核をつかんだ名著で、ルネサンスでは聖書と並ぶ評価だった紹介している。一高時代は独法科で外交官志望であったが文科に転じたのは、この書の影響であったと述べている。聖フランシス『小さき花』には本当のものがある。学問と思索の方法を自叙伝風に書いているデカルト方法序説』。哲学とは何かを紹介したベルクソン形而上学入門』。永遠と輪廻を扱った『那先比丘経』。歌の音楽性を欲求した藤原浜成『歌経標識』。奴隷から自由の身になった不屈の人・エピクテトスの『遺訓』。

「偶然と運命」。「運命とは偶然の内面化されたものである」。「人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならない」。九鬼の文章の中には、西郷隆盛が出てくる。「天を相手にして人を咎めず、わが誠の足らざるをたずぬべし」という言葉が好きだと語っている。この言葉は、私も大学生時代に愛した言葉であり、九鬼周造も同じだと知って共感した。

「岡倉覚三氏の思い出」。岡倉覚三(天心)を九鬼は幼い頃「伯父様」と呼んでいた。母と天心の夕餉のときに、母の膝に抱かれていた。美術学校に連れて行ってもらって、橋本雅邦に写生してもらったり、天心自身からも絵を描いてもらった。天心は犬好きだった。九鬼は天心の天才をみていた。

九鬼周造の代表作をひも解くのではなく、随筆を手にしてみた。哲学書は客観性を重んじるが、随筆には「自分」がでてこざるを得ない。だから、日常の暮らしや心の本音がいやでもでてくる。公人としての顔ではなく、私人としての顔をみることができる。だから、最近は自伝だけでなく、エッセイを読むようにしてうる。九鬼周造について、この本を読んだために、血と肉と感情を備えた人としてまみえることになったはよかった。

九鬼周造については「人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならない」を採ることにしよう。