福岡:仙厓の「聖福寺」。大濠公園の「万葉歌碑」。福岡市美術館の「松永コレクション」

聖福寺

源頼朝の命により栄西((ようさい)が建立した禅寺。

仙厓和尚の墓。『仙厓BEST100ARTBOX』((出光美術館編著)を購入。

この寺は、博多織の祖「満田弥三郎」。総理大臣「広田弘毅」。玄洋社を創業した「平岡浩太郎」の菩提寺だった。

 

大濠公園で万葉歌碑。

 

福岡市美術館の松永記念館室。

電力の鬼「松永安左エ門」の茶の湯コレクション。

松永の茶室の再現。

福岡市美術館所蔵品目録 松永コレクション』を購入。

ーーーーーーーー

「名言との対話」5月30日。東郷平八郎「百発百中の一発、よく百発一中の敵砲百門に対抗しうる」

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日1848年1月27日) - 昭和9年(1934年5月30日)は、日本の幕末から明治時代薩摩藩士、軍人

日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により英雄となった。「東洋のネルソン」と呼ばれた。各地の東郷神社に名を残している。

日露戦争に勝利し、連合艦隊を解散し、平時編成に戻すことになった。その際に連合艦隊解散の辞として東郷が読み上げた訓示は米国のセオドア・ルーズベルト大統領が感銘を受け、英訳文を全米の海軍将兵に配布した。バルチック艦隊を破った名参謀秋山真之の起草した歴史的名文であり、以下全文を掲げる。

-------
20数ヶ月にわたった戦争も、今や過去のこととなり、わが連合艦隊は、今やその任務を果して、ここに解散することとなった。しかし艦隊は解散しても、わが海軍軍人の務めや責任が、軽減するということはない。この戦役で収めた成果を、永遠に保ち、さらに一層国運をさかんにするには、平時戦時の別なく、まずもって外からの守りに対し、重要な役割を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる備えが必要である。
ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ艦船兵器等有形の物や数によってだけ、定まるのではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも実在する。百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当らないような砲なら百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実、即ち訓練に主点を置かなければならない。先般わが海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦争は終ったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。
考えるに軍人の一生は戦いの連続であって、その責務は平時であれ、戦時であれ、その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。事が起これば、戦力を発揮するし、事がないときは、戦力の蓄積につとめ、ひたすらその本分を尽くすことにある。過去一年半かの風波と戦い、寒暑に直面し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、もちろんたいへんなことではあったが、考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、軍人として、この上もない幸せであったというべきで、戦争の苦労も些細なものにしてくれるといえよう。もし軍人が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかに立派であっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。
むかし神功皇后三韓を征服されて後、韓国は400余年間、わが支配の下にあったけれども、ひとたび海軍がすたれると、たちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になれ、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらっても、これに立ち向うことができなかった。目を転じて西洋史を見ると、19世紀の初期ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以後、後進が相次いで、よくその武力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができた。
考えるに、このような古今東西の教訓は、政治のあり方にもよるけれども、そもそもは軍人が平安な時にあっても、戦いを忘れないで、備えを固くしているか、どうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。
われわれ戦後の軍人は、深くこれらの実例、教訓を省察し、これまでの練磨の上に、戦役の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、時勢の発展におくれないように努めなければならない。
そして常に聖諭を泰戴して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく、永遠に国家を護るという重大な責務を果たすことが出来るであろう。
神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。
昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよ」とある。
        1905年12月21日 連合艦隊司令長官 東郷平八郎

 救国の英雄・東郷平八郎は、教訓の省察、技術の錬磨、時勢の知悉で、時節の到来に備えよ、と語っている。百発百中の必殺の大砲一つは、百発一中という精度の悪い大砲百に対抗できるという言葉で、限界のない訓練による技術の錬磨の大切さを述べ、平時においても鍛錬を重ねよと将兵を激励している。そして幸運な勝利に満足してこの鍛錬を怠った者は、すぐに亡ぶと警鐘を鳴らしている。それから40年後の1945年に奢った日本は壊滅してしまう。日本は東郷の戒めの「兜の緒」を締めることができなかったのだ。