ユーチューブ「遅咲き人伝」の録画:二期作型の伊能忠敬と二刀流の与謝蕪村

「遅咲き人伝」の録画。

  • 伊能忠敬:前半は庄屋、名主、村方後見役として成功。「いや、わしは51歳になったばかりだ」と言い、後半は17年かけて日本を測量し、日本で初めての正確な日本地図をつくったという人。4000万歩の男。3500キロ、前半より後半が大きいという二期作型の遅咲きの偉人だ。

  • 与謝蕪村:20歳から俳諧の道に入り40歳を超えて花開き55歳で夜半亭二世を名乗る宗匠となる。「五月雨や大河を前に家二軒」など2800句を詠んだ。長い間、趣味で描いていた絵でも人気画家として名を挙げる。50代半ばからは、俳句と絵画をあわせた「俳画」というジャンルに励みこの分野の大成者となった。二刀流型の遅咲きの偉人だ。

    その後、新雑誌のインタビュー。テーマは「偉人の母は偉い人が多い」。世界の母親をめぐる言葉。日本の言葉。女子教育の重要性。野口英世の母・シカ。田中角栄の母・フメ。遠藤周作の母。ヘレン・ケラーの母。井上ひさしの母・マス。以上を実例として紹介。この動画は「遅咲き偉人伝」の番外編とする予定。

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立川:「たましんRISURUホール」での孫娘のバイオリンの発表会。シューマンモーツアルト、バッハ、ドヴォルザーク、などの名曲を聴くことができ楽しめた。こういう子どもたちを戦場に送る世の中にしてはいけないと思った。第一部の子どもたちの名前はいわゆるキラキラネームばかりだが、第二部はほとんどは「子」がつく女性がほとんどだったことにあらためて驚いた。終了後、2人の孫と娘夫婦と婿の母親、そして私たち夫婦で昼食。

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「名言との対話」6月4日。鉃村 光子「カレーライスの作り方」

鉃村 光子(てつむら みつこ、1894年1月17日 - 1956年6月4日)は、日本料理研究家家庭料理の第一人者。日本で初めてテレビ料理を紹介した人物。

広島市出身。先祖は刀鍛冶だったことから、金偏に矢の文字を使っている。一戸栄養研究所で学ぶ。徳川義親公爵の御膳所主任となる。赤坂に鉃村家庭料理研究所を創設し所長に就任。

1953年2月1日にNHKテレビ放送が開始された、その2日目に「ホームライブラリー」という番組で「季節の料理①夕食の工夫」に出演した。日本で初めてテレビで料理を紹介した人となった。

2月2日の番組ではカレーライスの作り方を実演している。3日は「お弁当の工夫」、4日は「日本料理ー来客用」、23日「手軽な西洋料理①鯵のから揚げ」、24日「手軽な西洋料理②ビーフステーキとフライドポテト」、25日日「③若鶏煮込みブルジョアズ」と続く。

この「ホームライブラリー」の料理部門は、冨田勲作曲の軽快でほのぼのとしたテーマ音楽で始まる「きょうの料理」という人気の長寿番組となっていく。

家庭料理の第一人者として、下記の著作がある。『お惣菜料理集:新しい栄養料理五百種』1947.6 婦人図書出版社。『お惣菜向き中華料理集』。948.3.20 婦人図書出版社。『和洋華三百六十五種の作り方:毎日のお惣菜』1948.6 主婦之友社。『一年中の漬物の漬け方』1949.9.20 主婦之友社 

1953年の2月2日の番組で「カレーライスの作り方」の実演を行った。これは、後にNHKや民放で隆盛を誇る根強い料理番組のさきがけだった。料理番組からは何人ものスターが誕生するが、鉃村 光子はそのトップバッターの栄誉を担った。その最初の料理がカレーライスだった。