『千駄木の鴎外と漱石』ーー文豪と呼ばれる理由。鴎外の漱石論と漱石の鴎外論。椋鳥主義。鴎外派から漱石派へ。

千駄木の鴎外と漱石

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「文豪」と呼ばれるのは鷗外と漱石だけでだ。それは二人の教養が群を抜いていたからだ。鴎外はドイツ文学、漱石はイギリス文学。そして二人には漢学という共通の土台があった。「和漢洋」の教養のレベルが高かったのである。

鷗外と5つ下の漱石は、生涯において会合などで数度しか顔をあわせていないが。互いに自著の寄贈を行っている。鴎外から漱石には9冊、漱石から鷗外には4冊だ。鴎外は献本を多くの人にするタイプではなかったから、鴎外にとって漱石は特別の人だった。そして漱石は鴎外の献本があると、近著を返本するという関係だった。

二人はそれぞれ日記をつけている。「胃腸病院にある夏目金之助に、、を贈る」。「鴎外漁史より、、を贈り来る。漱石先生に捧げ上ると書いてあり恐縮」。

鷗外の漱石論。「立派な紳士」「師弟の間は情誼が極めて深厚」「(創作家として)立派な技量」「スバルや三田文学がそろそろ退治させられそう」

漱石の鴎外論。「世間では高等談義などと「悪く」いうが、「物其物が面白いのみならず、目先が替って居る丈でも面白い」。

漱石は鴎外に敬意を表しつつも距離を置く節があった。

鷗外には「椋鳥主義」があった。椋鳥は地方から都会へ行く「おのぼり」だえる。椋鳥であったほうが、かえって新しい情報や思想にも驚かず吸収できるという考え方である。知らないことの強さ、真っ白だったからこそどんどん吸収できる、という田舎からでてきたというコンプレックスを除く方法である。鴎外には「わたくしはわたくしの杯できます」という言葉もある。

この鷗外の「椋鳥主義」には私も共感する。都会育ちの秀才たちの多い職場で、自分のやり方で、余計な忖度なしに、問題を真正面から見つめ、解こうとしてきた。コンプレックスを武器にしたともいえるかもしれない。私も「椋鳥主義」であった。

また鴎外は軍医と作家という二刀流の体現者であった。ビジネスマン時代にはその生き方に大いに関心を持って参考にしていたのだった。束縛があるからこそ自由がある。自由であるとなかなか自由になれない。

ふり返ってみると、ビジネスマンと教育者の時代は鴎外派であった。そういう束縛からはずれた現在は漱石派にくみしているとも言えるかも知れない。

 

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ヨガを1時間。昼食は往復6500歩のレストトランで結婚記念日のお祝い。

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「名言との対話」2月10日。鈴木孝夫「私はすべての英語を知っている」

鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、日本の言語学者・評論家。

東京都生まれ。1944年慶應義塾大学医学部予科に入学。修了後、英語を研究したいという思いを捨てきれず、慶應義塾大学文学部英文学科に編入。1950年、慶應義塾大学文学部英文科を卒業(指導教授はイスラム学者の井筒俊彦)。1990年まで慶應義塾大学言語文化研究所教授。『鈴木孝夫著作集』(全8巻:岩波書店、1999-2000年)がある。『ことばと文化 私の言語学』、『閉された言語 日本語の世界』、『日本語は国際語になりうるか』、『武器としてのことば』、『日本語と外国語』、『教養としての言語学』、『日本人はなぜ英語ができないか』、『人にはどれだけの物が必要か』。

『日本語教のすすめ』(新潮新書)を読んだ。

日本は江戸時代までの外に出た戦争は白村江の戦と秀吉の2回の朝鮮征伐だけである。そして武力攻撃を受けたのは2回の元寇だけだ。日本海を隔てた適度の距離、大陸への渡航にはなんとか大丈夫だが、侵略軍には大きな障害だった。それは半透明膜効果とも呼ぶべき僥倖だった。明治以降は頻繁に対外戦争を行い外に出ていったし、わずか一度の敗戦時もアメリカの間接支配でゆるかった。そしてアメリカは日本語を禁止しなかった。

6000種の言語のうち使用する人が1億人を超える大言語は10前後しかない。日本語は大言語である。しかし、明治以降日本語放棄論の長い系譜がある。劣等言語であるという根拠のない思い込みである。森有礼は英語。志賀直哉はフランス語。尾崎行雄は日本語廃止。田中舘愛橘のローマ字運動。梅棹忠夫の漢字の音読みもその系譜に連なっている。

漢字には訓の二重読みがあり、訓読みにすると誰でも理解できる。そして日本語は書かれたものをみれば意味の見当がつく。「葉緑素」「胡蝶蘭」などは見てわかる。同一の概念が二つの別々の言語で音声化されているのである。漢字は元来書写記号であり、どう声に出して読むかは自由である。漢字は中国の知識を広い範囲の日本人に開放してくれた。

同音異義語が多い。遊園地を遊園池。入場料を入城料。名答を迷答。これを混乱とみるか、文化とみるか。家族の間での呼び方についての考察も興味深い。自分のことをママ、お父さんと言い、姉自身のことをおねえちゃんと呼ぶ。家族の最少年者が原点なのである。

日本語は、英語などのラジオ型言語ではなく、聴覚と視覚の両方を利用するテレビ型の言語であり、このおかげで高度文明を運転できている。漢字の映像の助けなしに音声だけで高度な文明社会を支えてゆけるだろうかと鈴木は憂う。

アメリカの学習態度は攻撃的で、叩きつぶす目的で敵の言語を学ぶ。逆に日本は敵性言語は禁止する。正反対だ。中国は対外宣伝が目的となる。国によって言語に対する考えが違うのである。

日本は「口の痺れた巨人」「声を出さない巨象」「自動金銭支払機」などと言われ、受信機能に優れているが発信機能はきわめて弱い。これでやっていけるか。専守防衛が国是の日本は言語による国際対応が最重要な国防であると鈴木孝夫は考える。

以下、鈴木孝夫の主張。

言語鎖国を脱し、日本という魅力に溢れた国を世界に開くべきだ。外国が日本を学ぶ努力をすべき時代だ。日本語を読める人を増やそう。広く外国に役立る知識、日本人ならではの独創的考えを世界に発信すべきだ。

「言葉こそが棄てた武器に替る新しい武器だ」とする言語外交が生きる道である。社会科学、人文科学系の学者は、ひろく外国の人に役立つ知識、日本人ならではの独創的な考えを世界に発信するべきだ。

日本語は劣等言語だという根拠のない思い込みを払拭したい。言葉こそ最強の武器であり、防衛力である。日本語を広めよ。鈴木孝夫の主張は本の題名にもなっている「日本語教のすすめ」である。

梅棹忠夫鈴木孝夫の日本語についての対談を読んだことを思い出した。外に向かって日本語を広めるべきだという考えは同じだった。その上で梅棹は音読み日本語とも呼ぶべきローマ字日本語を主張していた。ラジオ型言語への転換である。幸いコンピュターの入力はローマ字式だから、日本語への変換をしなければ、少し工夫はいるが、そのままで外国人も発音できる。内では漢字の音と訓を持ちいた日本語、外に向かっては訓読みのローマ字日本語のすすめであった。

この本を読んで、気づいたことがある。毎朝散歩するときに、公園の木々や花々の名前がカタカナで表示されていることに不便を感じていた理由がわかった。これは音読みのカタカナ表示なのだ。

慶應の井上逸平教授は、ケンブリッジ大学の客員フェロー時代の鈴木孝夫らしいエピソードを挙げている。教授陣だけが参加するハイ・テーブルと呼ばれる食事会でのことだ。この席で「私はすべての英語を知ってる」と宣言した。教授たちは次々に難しい質問を投げかけるが、それにすらすら答えていった。そういう言葉はラテン語ギリシャ語が語源だ。そういう分野は教鞭をとるくらい知っているので、わけはない。知的ハッタリが成功するには、事前の仕込みが大事だ鈴木先生は語っていたそうだ。こういう知的いたずら好きの先生だった。

英語の総本山であるケンブリッジ大学の最高峰の教授たちに向けて「私はすべての英語を知っている」という大きな知的ハッタリで皆の注目を集めたエピソードは、鈴木孝夫の人柄を彷彿とさせる。こういうエピソードを毎回入れることができたら、この連載も面白くなるだろう。