川島織物文化館(京都)ーーー日本最古の企業博物館

川島織物文化館を訪問する機会を得た。洛北の藤原勝紀先生の自宅を訪問したら、すぐ近所にあり、見学することができた。

川島織物セルコンは1843年創業の呉服商から始まり、室内装飾を扱う名門企業であったが、2006年にインテリア商品や内装材を扱う「セルコン」と合併した。

川島織物文化館は1889年に二代目甚兵衛が「織物参考館」をつくり、翌年に帝国博物館総長の九鬼隆一が「川島織物博物假館」命名した。川島織物文化館では染織物、帯、美術工芸織物、室内装飾織物などの史料を収納している。「織物文化」を探求する日本最古の企業博物館である。


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川島甚兵衛(2代目。1853年ー1910年)は初代川島甚兵衛の長男。1879年に初代が死没し二代目となる。丹後ちりめんと西陣の技術を応用する新製法を開発。ドイツ視察時にコブラン織と日本の綴織が同じ原理であることを知る。帰朝後、自宅の一隅に「川島織物参考館」を新築。1898年帝室技芸員。1910年、58歳で死去。

初代と二代目の 集めた染織品が8万点、国内外の古書2万点、試験織・原画類が6万点の計16万点を所蔵している。

「ゆらめく立涌文様」展をやっていた。雲気(水蒸気)が立ち上がる状態に見立てた文様で、運気上昇の意味が込められて縁起がよい文様。

「卓上の華 テーブルクロスと皿敷」展もみた。卓上を華やかに飾る卓被、卓敷など。

「ありがとう そして、未来へ」展。初代甚兵衛から四代にわたる史資料展。


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宮内省(庁)御用達業者一覧。トップの「織物業」として「明治24年」に「川島甚兵衛」の名がある。老舗の名門企業ということがわかる。。

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セルコンのインテリア。こちらはモダン。大阪万博用の製品を作成中だった。


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・妻の歌集の「あとがき」の執筆。
・幸福塾の準備。

・原稿修正。

・読書:岬龍一郎「日本人のDNAを創った20人」

・「アクティブ・シニア革命」編集会議

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「名言との対話」6月17日。岩橋明子「音声によって手軽に読書が楽しめたり、情報の伝達ができればそれは本当に福音でしょう」

岩橋明子(いわはし あきこ 1929年5月2日〜2019年6月17日)は、社会福祉活動家。享年90。

19歳の時、岩橋武夫が設立した学校の教師になる。岩橋武夫は早稲田大学理工学部在学中に網膜剥離で失明し中退し、郷里の関西学院大学文学部に入学し卒業した。日本盲人エスペラント協会を創設。ヘレン・ケラー女史を2回にわたり日本に招致した人物である。1937年、1948年にヘレン・ケラーを迎えて、障害福祉を啓発するための大々的な全国キャンペーンを展開し、1949年に身体障害者福祉法が公布される成果をあげた。
岩橋明子は1952年、29歳で二代目理事長となる岩橋英行と結婚。40代後半で失明した夫の秘書役をつとめた。夫の奈良女子大の講義の準備、海外での会議での同時通訳も担当した。「後になると必ず忘れてしまうのが海外での特徴的な現象」であり、その日のうちに記録を作り続けた。岩橋英行は、法人名を日本ライトハウスと改め、視覚障害リハビリテーション体系を確立し、1969年には「職業・生活訓練センター」を完成させている。

アジアを中心とする盲人の国際交流の推進に努めた英行が59歳で急死し、明子は後を継いで社会福祉法人日本ライトハウス理事長となる。事業発展に尽力するとともに世界各国の視覚障害者福祉の新しい流れを紹介し、わが国の視覚障害関係事業推進に寄与し、視覚障害がある人も、ごく普通に社会に出て行ける道をつくった。

『展示と朗読を学ぼう』(福村出版)を読んだ。日本点字図書館理事長の本間一夫、宮城教育大学教授の田中農夫男と岩橋明子の共編だ。点字と朗読について、実際の例や実情に即してわかりやすく取りあげた本で、点字や朗読をめぐる今日の情勢や話題についても広く取りあげている。以下、目次。1目の不自由な人の生活、2点字とその実際、3朗読とその実際、4点字と朗読をめぐる話題で構成されている。目や耳の不自由な人たちの生活とそれを克服しようとする関係者の努力が分かる労著だ。編者でもある岩橋明子は「私と朗読」という章を担当している。

「目の見えない方・見えにくい方の情報誌読書2019年8・9月号」(社福)日本ライトハウス情報文化センター)をみると、「ひごばしニュース」 1頁「便利グッズ紹介」4頁「お役立ち本棚」6頁「情報カフェ」6頁「点字新着図書」7頁「録音新着図書」12頁「図書特集」18頁「情報カフェ(続き) 」20頁という構成で情報が満載でずいぶんと喜ばれているだろう。

近年では 視覚障害をもって生まれる子どもの数は減っているが、逆に中途失明者や高齢の視覚障害者は増えている。根気と意欲がいるので途中から点字を習得することは難しく、『点字と朗読を学ぼう』で「音声によって手軽に読書が楽しめたり、情報の伝達ができればそれは本当に福音でしょう」と岩橋明子は30年前の1991年に語っている。その後のインターネットの普及や耳で聞くオーディオブックの誕生、ポッドキャストでの音声による情報発信、近年の音声技術の発達等で随分と視覚障害者には便利な世の中になってきて、岩橋明子の夢は実現しつつある。

何代にもわたる先人の努力の積み重ねがあり、さらに新しい技術を加味しながら組織は発展していく。先人たちはその組織を担う人たちの心に中に永遠に生き続ける。目の見えない方・見えにくい人々のための総合福祉施設である 日本ライトハウスは、岩橋武夫が1922年に自宅で点字図書を出版した年を創業の年としており、2022年には創業100年を迎えた。現在では視覚障害リハビリテーション部門、盲導犬訓練所、点字出版部門(点字情報技術センター)、点字図書館部門(情報文化センター)を擁している。障害者福祉の世界を少しだけ知った。

 

参考:『展示と朗読を学ぼう』(福村出版)