大手メーカーの「図解コミュニケーション研修」講師の日。

朝:ヤマユリが咲き始めた。

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今日は大手メーカーから依頼された「図解コミュニケーション」研修の講師として、リモートで朝9時から17時半までの時間を使った。

中心は30歳前後で、最年長は50代半ば。男女は半々といったところで、受講者は13名だった。

「文章至上主義と箇条書き信仰」に汚染された世界を革新する「図解コミュニケーション」の考え方と技術を実践的に学ぶという趣旨で募集したところ想定以上の応募があったが、リモート形式であり、打ち切っている。

品質保証、電力制御、エネルギー、ブランドマネジメント、プロモーション、マーケティング、商品企画、法務、住宅、開発、新規事業、デジタル、設計。これほど広い職種が応募してきた研修は珍しいというのが、研修担当者の説明だった。あらゆる職場で、求められている考え方だからだろう。

日本の製造業の現場で必死で取り組んでいるテーマを知ることができたのは収穫だった。17時半に、気持ちよく、研修を終えることができた。

夕:くちなしの花。

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「名言との対話」7月9日。川添登「デザインは明日の歌である」

川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は日本の建築評論家。享年89。

 東京出身。早稲田大学専門部工科建築専攻、文学部哲学学科心理学専修に進む。卒業後は考現学創始者今和次郎の助手をっとめながら、建築学科で学ぶ。1953年から1957年まで雑誌『新建築』編集長として建築ジャーナリズムを確立し、「現代と伝統」についての論争をしかけるなど、日本建築とは何かを問い続けた。

1960年、世界デザイン会議日本実行委員に就任したのをきっかけに、メタボリズムグループを結成し、『METABOLISM 1960 都市への提案』(美術出版社)を出版し、日本発の世界的な建築理念を発表する。

1969年には大阪万博博覧会テーマ館サブプロデューサーに就任し。日本万国博覧会に尽力し、当時41歳の川添は、林雄二郎(51歳)、梅棹忠夫(47歳)、加藤秀俊(37歳)、小松左京(36歳)と日本未来学会を発足さてた。1970年には京都にCDI(Communication Design Institute、コミュニケーションデザイン研究所)を設立し所長をつとめた。

1972年には日本生活学会を設立し理事長。1981年開催のつくば国際科学技術博覧会では政府出展総括プロデューサーに就任。1987年から郡山女子大教授(1999年まで)。1999年より2002年まで田原市立田原福祉専門学校校長を務めた。

1960年『民と神の住まい』により毎日出版文化賞、1982年『生活学の提唱』により今和次郎賞、民間学である生活学を体系したことで1997年南方熊楠賞を受賞している。

建築評論から、都市、民俗学まで広範な領域で発言した。都市評論家、文明評論家である。建築の実作はつくらなかったが、日本の建築思想を牽引し、建築家たちの考え方と作品に大きな影響を与えた。

 1971年刊行の『デザインとは何か』(角川選書)を読んだ。日本万国博が終わったばかりの45歳の作品である。川添登の名前は見かけてきたが、よくは知らなかった。この本を読み終えて、この人は英知と洞察の人だと感じることになった。

人間の世界を「観念」「エネルギー」「実体」と分けて考え、実体の世界のことを考えるのがデザインと定義している。そして、第2章「物質の歌」では、骨、石、土、レンガ、木、竹・藤など、ガラス、紙、金属、セメント、プラスチックについて考察を加える。それぞれの材料についての広範な説明は物理的、歴史的に深められている。第3章「形の意味」では、今和次郎の「肉体労働者」「知能労働者」「情意労働者」の類型をあげている。「知能労働者」はサラリーマンで、「情意労働者」は経営者のことだ。機能主義のモダン住宅はサラリーマンの住宅だという。そしてデザインは「明日の歌」であるという川添登は、メタボリズムは、人間は不断の新陳代謝を繰り返しているという思想で、人間は環境、都市を再生産し続けると主張した。21世紀は人間の幸福とは何かを問い、人間尊重が基調となっていくと予測している。

この本の刊行から50年経った21世紀に我々はいる。

デザインとは何か (1971年) (角川選書)